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『話さないコトが品性』なのだろうか?ってお話。

こんにちは。ネコぐらしです。

昨日、気まぐれに投稿した人生初の小説記事。

一晩寝て起きるとあら不思議。

手直ししたい箇所が10個くらいある…。


え、っていうか丸々書き直したいぐらいなんだけど…。



…なるほど、これが勢いで書いた「世界最高峰と思わしきラブレター」が一晩熟成された結果「史上最低の禁忌ネクロノミコン」に化ける現象ですか…。

身をもって味わった今日このごろですが、コレも書いたことではじめて気づけたのです。きっと必要なコトだったのでしょう。
書かなければよかったなぁとはまったく思っていません。
※後日、結構手直ししました。(2024/3/10追記)

さて、そんなお話から関連して今日は、

話さないことが『品性』なのでしょうか?

ってふと疑問に思ったお話を、掘り下げていきたい。

・・・

⇩こちらのショートショートチャレンジ記事⇩で顛末に触れた言葉があります。

何が話せるかが 知性
何を話さないかが 品性
何を伝えるかが 人間性

私が当初この言葉を聞かされた時、いたく感動し、盲信していた節すらあります。

ですが、この数日に渡って思考を巡らせている内に、ふと疑問が湧いたのです。

『何を話さないかが 品性』


果たしてそうなのだろうか?と。

上下の2つはそれほど引っかからない。それらは今だスッと入ってくる。

しかしこの2行目。これだけはどうにも引っかかる。引っかかってしかたないのです。


確かに人間関係において、自分の思ったこと感じたことを火の玉ストレートで投げ返してしまっては、ストラックアウトよろしく人の心のど真ん中を穿ってしまう。

相互理解、相互尊重は必須。言葉の暴力はいけない。暴力は最終手段。行き着いてしまったら、その先はもうない。

そうなると話さない事が、自分の品性を磨くことに繋がるかも知れない。
「相手」を観察し、自身の社会性を天秤にかけ、深い考察をもって相手を慮る。そういった自戒が、精神的な成長を促し自身を洗礼していく。やがてそれは「品性」に繋がる。

なるほど、こう表現すると「何を話さないかが 品性」という話も頷ける。

・・・

だが、時に「イイたくないコト」を率先して話さなければならないシーンも存在する。

「あなたのタメを思って」ほど信憑性の欠ける前置きもないけど、今を生きる誰かの心は、その人にとってのメンターが放ったいつぞやの叱咤で支えられていることもある。noteの世界を揺蕩っていると、そういったエピソードに出会うことが多い。

「話さないこと」は平等ではあるが、不公平でもあると感じる。

人は生まれつき、思考の量に差がある。知識ではない。根本的な思考の発生源の話だ。
しかし、そういった鬱屈や衝動を内に押し込めることが「正」とされてしまうのであれば、思考の洪水が頭の中を駆けずり回る人にとって、世界はただのディストピアになってしまう。
社会的ユートピア側の住人から見れば、彼らの思想は「品位」に欠けると判断されるだろう。その激流は、世間をいたずらに騒がす混沌に過ぎない、と。

でも、それって『品位』の皮を被った『都合のいい自己保身』に過ぎないんじゃないか、と私は思うのです。

・・・

ひとつ、反証的なお話をば。

パブロ・ピカソ。誰もがご存知の通り、稀代の天才画家です。
私の中学校の体育館にも彼の『ゲルニカ』がデカデカと飾られています。きっと開校時に熱心な美術教諭がいたのでしょう、それはオリジナルの採寸と同等、つまり3m×7mの縮尺をもって体育館の一面を完全に支配してしまっていました。

さて、そんな「品位」ある『ゲルニカ』の作者ピカソは、その生涯を終えるまでにいくつの作品を作り上げたと思うだろうか?

《ゲルニカ》パブロ・ピカソ:1937



正解は、150,000点。

少なく見積もっても、です。

生涯におよそ1万3500点の油絵素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻陶器を制作し、最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている

パブロ・ピカソ


彼はそれだけの「無関係の人にとって言わなくても良いこと」も全部含めて、世に送り出してきた。

彼の代表作たちが、たとえば丸の内のオフィスに飾られていたとして、どうだろう。「品」がないと感じるだろうか。いや、決してそうではない。むしろ教養と芸術への理解を示せる絶好の機会になるだろう。

実話を元にした映画『最強のふたり』でも、スラム暮らしをしていた黒人男性が教養を学び、「ダリ」の絵を面接官と語りあうシーンがある。彼は全身不随の資産家男性に対して余計なコトばかり言っていたけど、作品を通して「いわなくていいこと」は一つもなかった。話してしまうことは必然で、作品の最後、彼は「極上の品性」を手に入れていた。


⇩実はレビューを書いてたり、文章力が未熟な頃なのでハズカシイ…⇩

《記憶の固執》サルバドール・ダリ:1931年


品位とは「圧縮」なのではないだろうか。


正直『言いたいことも言えないこんな世の中はpoison』なのだ。

反町もそう言ってる。



何を話さないかを選別することは「社会のシステムのタメ」にはなる。

しかし、そうして抑圧されて心に廃棄された言葉たちは、自分自身にとっては「毒」以外の何者でもない。



品位あふれる人を、わずかではあるが人生で見てきた。

彼女ら、彼らは、何よりも雄弁だった。
目や表情、立ち居振る舞い。そして語る言葉。
わずかな言動のひとつひとつに、100の意味が込められていた。
その目に射抜かれて、いてもたっても居られなくなったことがある。
さる精神病棟でのエピソードだが、今は深く語らずにおく。


もしも、「文字」を取り扱う者にとっての「品位」とは何かと聞かれる。

「たった1行」に「100の意味」を内包できることだ、


と私は答える。

そうして、その意味の中には「誰かにとっての、話さなくて良い」ことすら含まれている。


あらためて、今回の疑問をもう一度。

『何を話さないかが 品性』

これは「社会的な生活」においてはホントのことだろう。
目指すべき素晴らしい指標だ。

だが、同時に、自分に嘘をつかせる指標だ。
心に反するような、まったくの嘘っぱちであるとも言える。

心の品性とは
『言葉を100吐き、それを1つの言葉に凝縮する』
『さらにその言葉もう100作り出し、そうしてまた1つに凝縮する』

それらの作業をつまびらかに、泥臭く繰り返してきたモノだけが、手にできるものではないのだろうか。少なくとも、凡人が「言わないコト」を繰り返しただけでたどり着く境地とは思えない。

とにかく、吐いて吐いて吐き出す
私達noterやライターであれば、書いて書いて書き出す

『全てを吐き出しきった先に身につくのが 品性』

ではないだろうか。
まわりの目を気にするその姿勢が、品性だというのなら。
私は、そんなみすぼらしい品性など、要らない。

・・・

最近、私も読書がすっかり習慣化し、読むスピードもそれなりになってきた。200p足らずの文庫本であれば一時間もかからない。

だが、たまに「書籍に起せば3ページ程度の文章に30分かかること」がある。

読みにくいわけではない。むしろ専門性もなくありふれたエッセイであることが多い。

そういった文章には、言葉が「圧縮」されているのだ。

1の言葉から100の意味を読み取れてしまう。お腹の中で膨張する乾燥ワカメみたいにして、私の目や脳をアップアップと溺れかけさせる。

そんな文章には、たまらず品性を感じてしまう。
口汚い言葉とか、ホメられた言葉かどうかは、この際関係ない。酸いも甘いも一緒くたに込められて、凝縮されているのだ。おそらくは、その人の魂すらも。

そんな文章に出会うと思い出す。

立ち居振る舞いが強烈なまでに洗礼された、さるご婦人の姿が私の脳裏に浮かぶ。
その方ほど、品位に満ち溢れた方はいなかった。スッと突き出すたった一歩、本をめくる指先、瞬きの一つでさえ、意味を内包していた。
あぁ、、まるで情報の塊だ。ピカソが作り出した15万点の作品をギュッと一身に詰め込んだようなお人だった。

私は品性をイメージするとき、必ずそのご婦人を思い出す。

これを今読むあなたにも、そんな人物がいないだろうか?
記憶の中にいるその人物が、あなたにとっての品性の師であることを願う。

・・・

たくさん言い続け、言葉を圧縮する。
実は「言葉」に限らなくてもいい。

絵、歌、陶芸、アート、映像、脚本、シナリオ、なんでもいい。

雄弁に語って語って語り尽くせ。
自分が出し切れると思うまで、命を込めて。

そうして没頭している内は、言わないほうがいいことを考えている暇なんて、ないのかもしれない。

・・・

と、いっても。


実際、社会生活の中では分別は必要です。

TPO、しっかり意識しなければ、それは文明人としては眉を顰めてしまう言動になるかもしれない。

ただ、自分の時間くらいは、全てをさらけ出してもいいんじゃないだろうか。
もしくは、信頼できる人たちのコミュニティに囲まれ、安心安全が保証された空間で紡がれる言葉も、あなたを形作る立派な一つの品性じゃないかな、なんて。

私にはこれまでそんなコミュニティはなかった。
けれど今はこのnoteがそうです。
自由で、いろんなクリエイターが集まる「創作の街」
とても居心地が良い。

あなたが居場所がないと感じるならば、ぜひこのnoteの街においで。
四六時中は一緒に居られないけれど、借りたアパートの一室で叫びを綴るあなたの文章が、いつかこの街の掲示板に掲載されて、私はそれを手に取る。
きっと素敵なことだ。

・・・

人生をあっちへいったりこっちへいったり。
たくさん心を揺らして、震わして。吐きたいほどドロドロに酔っぱらって。
その全部をこめてもなお溢れ出る輝きこそ「真の品性」なんじゃないかなって。そんなふうに、私は思うのです。


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