第6回九州学びの会(2023/11/03)

 こんにちは!まなぶ研究会〜ラフテル〜の立川です。
 今回は、11月3日に太宰府東中学校にて行われた第6回九州学びの会にて、経験させていただいたことや感じたこと、考えたことをお伝えできたらと思います。今回なんと!!佐藤学先生にもお会いすることができました!
 学びの共同体の授業を実際に見る経験が初めてでした。今までビデオで見てきた時は基本全てのグループの学びを見ていたのですが、実際に教室にはいると、それがすごく難しかったです。1つか2つのグループの学び合いに耳を傾けることで精一杯でした…。なので、今回の投稿も私が観察できた特定のグループの学び合いの様子しかお伝えできません。1時間でひとクラスの学びどころか、全クラスの学びを見に回られている佐藤先生って普通じゃないな…と感じました。この点は、今後の自己課題としていきたいです。

【1.第1学年 国語科「星の花が降るころに」】
 教材は「星の花が降るころに」で、ジャンプの課題は「作品の中で、『私』の気持ちの変化を読者に感じさせるための重要な人物、物は何かを考え、周りが納得する説明をしよう。」でした。
 私が中心的に見ていたグループ(3人)では、AさんとBさんは「銀木犀が変えた物ではないか」という考えを持っていました。それをきいた後の場面です。Bさんはグループで出た考えを記すホワイトボードを書こうとしています。
_____________________
C:銀木犀は変えたものじゃなくて、気持ちを表しているものだよ(...説明が続く)。
A:じゃあ、物はなに?(少し怒った感じ)
C:え、だからさ、掃除のおばさんが(...続く)
B:あーね(個人的には、心の底からの納得というより、Cさんの熱弁を受けてサラッと出てきた「あーね」に聞こえました。お?それでいいのか?というのがこの時点での私の心情です)
_____________________
そして、グループの意見を示すホワイトボードに書かれた「銀木犀」とは違うもの(掃除のおばさん)と書こうと、続いて話そうとしました。
すると、AさんもCさんの考えをきいて考えたことを言い出そうとタイミングが被ってしまいました。
_____________________
A:ごめん、言い出したのを止めてしまった。
_____________________
学びの質が高まり、自分の考えも聞いてほしい!!発信したい!!という気持ちだけでなく、他人の考えを尊重しようとする姿勢が見られました。その場面が、個人的にとても感動しました、、、
その後、Aさんが納得したので、グループとしてホワイトボードに出した考えは「掃除のおばさん」でした。
一件落着か、と思い、隣の個々で教科書と静かに向き合っている班に向かおうとした時です。
_____________________
B:本当に「銀木犀」違う?
_____________________
私はこの時、Bさんは(薄い)「あーね」で納得しきってはいなかったのではないか?!と思いました。
その後の会話は以下の通りです。
_____________________
C:え?(ホワイトボードに「銀木犀」と)書く?
B:いいよ、いいよ(遠慮)
C:(発表の時「銀木犀」は違うって口頭で)説明しよう。
A:(「銀木犀」は)情景描写だ(という説明をする)
_____________________
Bさんは理解できた様子でした。
Bさんの疑問を素直に発言できる(わからないを言える)、そしてその疑問をみんなで考えることができる学びの場ができていることに感動しました。また、このグループは一冊の教科書にみんなで頭を寄せ合って進めていました。その一方で、隣のグループでは、一人一人が各々の教科書と対話しながら時々つぶやきが生まれているような様子でした。様々な学び合いの形が保障されているクラスなのではないかと感じました。
 授業後にBさんに「いつも、みんなで今日みたいに一冊の教科書を中心に学習を進めるの?」と尋ねたところ、「いつもではないけど、たまにある今日みたいなグループでの活動の時はそうすることが多いです」と答えてくれました。個人的に、今回のような学び合う学習の機会が“たまに”ではなく、“日常”になったらもっと深い学び会う関係になるのではないか…と感じました。

【2.第1学年 理科「身近な物理現象」】
めあて(ジャンプの課題)は「凸レンズの上半分を隠すと起こる現象を説明できる。」という光の性質の単元でした。
 実験後に結果を作図する場面がありました。つかむ(導入)の段階で子どもたちは前時までに学習した、凸レンズの基本的な作図の方法を確認していました。それを思い出しながら映る像を作成しようとしているけど、なかなか進んでいないグループをみていると、授業開始前の休み時間からちょっかいをかけあっていた生徒の一人(Dさん)が「これってさ…?(本当にすみません。ここで、学びをぐっと深めるような、前に進めるような発言があったのですが、正確に覚えれていません。)」と発言。それを聞いて周りのメンバーは「え?!なるほど!」といったような雰囲気になりました。その直後、教師が全体に戻しました。ちょっかいをかけあっていたもう一人の生徒(Eさん)が発言を促します。しかし、Dさんは首を縦にふりません。Eさんが「なんで?」ときくと、「間違っとったら恥ずかしいけん。」。私は「え?!」という感情と同時に「そっか…」という気持ちにもなりました。
 個人的にこれが初めてジャンプの課題を用いた中学校の理科の実践を見る機会でした。実験は1グループ約8人で行われていました。実験前の予想もそのメンバーで共有していました。実験器具の数の関係もあるのかもしれないが、8人は多すぎないか?と思っていましたが、一人の生徒のつぶやきから予想の共有は始まり、実験も私の見えた範囲では学びから離脱している生徒はいなかったように見えました。
 また、この授業の最後に先生が示したのは、光の量が多すぎるため、白とびしている(?)写真がでした。「これどうしたらもっといい写真になるかな?」本時の学習を踏まえながら次時以降考えていこう!という予告で終了。生徒たちは身近にある凸レンズ(カメラ)を知り、次時への期待が膨らんでいるように見えました。

【3.第二学年 社会科「北海道地方」】
 ジャンプの課題は「北海道地方は今後も食料供給地であり続けるか。」でした。計9つのグループで始まった授業は、各班に2人ずつ教員がついて学び合いの記録をとっているようでした。(個人的にこの授業研究の方法が一般的なのかどうか分からないのですが、長所も短所もありそうだな…と感じました。)
 今回は、最後に全体で共有する際に発表された3グループのうち2番目と3番目に発表したグループの様子をみて感じ取ったことを述べたいと思います。まず、2番目に発表したグループ(グループ⑤(仮)/4名/Fさん、Gさん、Hさん、Iさん)はグループに戻された後、しばらく各々が教科書とにらめっこ状態が続いていました。ジャンプの課題を考えるヒントを探しているのかな…と思いながら待っていると、
____________________
Fさん:「(教科書にジャンプの課題の答えは)書いていないから考えよう」
   と話し出したのに加えて
   「農業って何?」と加えてつぶやき。
Gさん:「哲学みたいだね(笑)。」
Hさん:「じゃがいもは農業だけど、酪農って農業に入るのかな?」
____________________
とくわえてつぶやかれたところで、再び教科書との対話に戻りました。
少ししてから…
Gさん:「輪作すればいいのか」
このつぶやきの直後に、全体に戻る(足場掛け)に移りました。グループ⑧がしようとしていることが共有されました。グループ⑧は農業以外にも視野を広げようとしているようです。Fさん:「なるほど…」
再びグループに戻されました。
Gさん:「県ごとにまわす…」「できんか、難しいか」
Fさん:「教科書にあるよ(←この発言の前の流れが上手くつかめませんでした…)。もっと活性化…」
ここで、Iさんのつぶやきが見られないことに気付きませんか?Iさんはつぶやきこそなかったのですが、学びから逃げている様子ではありません。他の人のつぶやきを聞いて、教科書と発言を積極的に比較しようとしており、つぶやきの裏側を探っているようでした。授業の後半では、Iさんにも発言が見られました。
 次に、グループ④です。グループ④も同じく4名(Jさん、Kさん、Lさん、Mさん)です。Jさんは生徒会でも中心として活動している生徒、Kさんは特別支援学級に在籍する生徒さんでした。このグループを皮切りに歩いて他のグループを見に行く流れができます。Jさんがグループに戻ってきました「大きく2つあったよ」と報告が始まりました。個人的に、自分たち(グループ)での思考が限界に達して停滞してしまい、学びから離れていってしまう児童がいるのであれば、他のグループに聞きに行って持ち帰って自分たちがそれまでに考えていたことと関連を見つけて再び学ぼうとして行く方が良い学びではないか、と思っているので、グループを越えた学びには肯定的な考えがあります。それこそ、分からない、と発信できることなのではないかと考えるからです。(異なる考え方があることは分かっています、、、)
グループ④はそれがきっかけとなって深まっていったように感じました…。

【4.講演会:佐藤学先生「探究と協同の学びの創造」】
  初めて佐藤先生の講演会に参加させて頂きました。が…なんか不思議な感じでした。一方的に佐藤先生が話されるわけでもありませんが、関連する話題がポンポン出てきます。シナリオというか台本あるのかな…と少し感じました。名言というか印象に残るというか…刺さる言葉が沢山ありました。今回は3つ紹介させて頂きます。
 「全ての教師と子どもがゴッドハンドをを持っている。それをどう引き出すか。」
それを引き出せる力が佐藤先生にはあるのかな…と思いつつ、学びの共同体の学校改革って結局(最後は)は教職員が動かないと変化しないことだよな…自分(もしくは佐藤先生以外の力)でその手って引き出すことできないのかな…とぼんやり考えていました。
 「学力は下から押し上げるのではなく、上から引っ張りあげるもの。」
基礎学力という言葉がある様に、学力って積み上げていくもので教師はその積み重ねを手伝うイメージがあったのですが、1人で達成できるの課題より下で子どもたちは学ぼうとしない、ということからも、ジャンプの課題を用いて引っ張り上げる方がしっくりきたような気がしました。
 「「わからない」と言い出せない子どもほど学力が低く、そこから抜け出せない。」
2つ目と同様に学力の話をしたものと関係がありそうなのですが…。「わからない」と発信できることの大切さを改めて実感できました。

【5.懇親会】
 懇親会で同じテーブルになった先生は、中学校の美術科の先生と、再任用で初任研を担当していらっしゃる先生でした。学びの共同体についての話をしつつ、現場のお話を聞かせて頂きました。特に、後者の先生は自分が目指す小学校に勤務してこられたということで、はっとされられる話が多くありました。その先生の印象は、教師として成長し続けるってこういうことなのではないかな…ということです。「初任の頃は指導要領なんて今みたいに分厚くないしもっと小さかったんだよ。」という発言はいやみったらしい感じではなく、続いて、「道徳が教科化されたり、英語が教科化されたりしてきたでしょ。でも、私たちが学生の頃英語なんて教えてもらったことはない。だから一から模索してきたんだ。」というように、新しいものを拒むのではなく、悩み、葛藤しながらも子どもたちのために教師として挑戦されてきたんだろうな。という感じでした。失敗してもそこで何を学ぶかを大切にされているようでした。
 また、後半は社会科の公開研究をされた先生と、太宰府東中学校の校長先生とお話しさせて頂きました。私が個人的にすごく気になっていたことは、校長先生として、学びの共同体を取り入れることに不安要素などはなかったのか、ということです。こんなチャンスめったにないぞ!と自分の背中を押してきいてみると、即答でした。「ないないない。」「だって、みんなで一緒にやるんだから。管理職も先生方も子どもたちも、地域もいっしょに、みんなで一緒にするから。」本当に冗談ではなく"みんなで"を凄く強調される先生でした…鳥肌がとまりませんでした。一緒に聞いていた新田さんと「やばい」これ以上の言葉はありませんでした。
 実は、講演会の時に佐藤先生から「授業研究に熱心」というお話がありました。佐藤先生の言う“いい学校”ってどんな学校何だろう…と思い、新田さんと一緒に親睦会が始まる前に佐藤先生質問していました…その時の回答が、「この学校(太宰府東中学校)もそうだよね。教師同士が学び合える、子ども一人もひとりになっていない、親や市民が協力して支えている学校」という返答でした。
 ・・・校長先生が目指している、作っている学校と佐藤先生がおっしゃる“いい学校が”ピッタリ重なったんです!!!!
個人的ハイライトはここでしたねぇ…ちなみに佐藤先生はその学校の子どもの声を聞いただけで"いい学校"かどうか分かるそうです…

 話の締め方が分からず、迷走していますが、一旦このあたりで報告を含めた私の考えは終えたいと思います。長文にお付き合いいただきありがとうございました。

 今回は本当に貴重な経験をさせていただいたなぁ、とつくづく実感しています。このような機会を提供してくださった九州学びの会をはじめ、学びだらけの授業を見せていただいた太宰府東中学校の先生方(私たちの拙い質問にも丁寧に答えていただきありがとうございました。)、当日運営をして下さった福岡教育大学の皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?