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【反省の向こう側】娘の手を握って気づいた

久々の投稿です。

しばらくnoteが凍結状態になっていました💦


やっと娘のインフルエンザが治まり、日常が戻ってきました。
長かった・・・

コロナが去ったと思ったらインフルエンザが到来してしまい、
様々な予定が崩れるだけでなく、私の体調も崩れるっていう始末……



年々身体がきつくなってきていると自覚していたものの、
今回はつくづく歳を感じました。

一方で、新たな気づきがありました。



① 【安心感】は、薬より最強みたい


今回の娘の症状は咳が酷く、夜は眠れないほどでした。

咳は全身に力が入るし、結構体力を消耗しますよね。

娘は肺炎の既往があるため当時の様子が頭をよぎり、
さぞかし苦しかろうとベットサイドへ行くと

「咳で苦しくて眠れない。手を繋いでくれる?」

咳込みながら「お願い」と頼まれました。

もう、こういう時って、
自分が変わってあげられたらいいのにって思いますよね。

咳って見ている方もツライ。

呼吸が楽になるように枕の下に毛布を敷き入れて上体を高くしたけれど
何ら変わらないし、
冷却シートを胸に貼っても、蜂蜜を舐めても、
一切効果がなくて咳込まれたら、私にできることはただ一つ。

娘に頼まれたように
「苦しいね」「ツラいね」と声をかけながら手を握ることでした。


娘からは
「なんか手が冷たすぎる」
「手がガサガサだね」
と冷たーいお言葉をもらったけれど、
「苦労している母の手と言ってよね」
と小話をしていると、
ナント15分くらいしたらスーっと寝息が聞こえてきたのです。

あらっ。


さっきまでゴホゴホと咳をしていたのに、ですよ。


何ということでしょう~✨

ホントに不思議。

安心感からなのでしょうか?


でも、完全に寝入るまでは時間を要するようで、
体制がきつくなって座りなおそうと動くと
娘がギュッと手を強く握るのです。
まるで行かないで!と言うように。(かわいかった~)

「いやいや、行かないよ。座りなおすだけよ」
改めて握りなおすと、娘はゆっくりと手を緩めるのでした。


このような夜が数日間続きました。



② ゆっくり手を握ったことはあったか?

手を握りながら色々と振り返り、思い出しました。


娘の小さい頃は一緒に寝ていたし付きっきりで看病していたけれど、
娘がひとり部屋で寝るようになってからは
「じゃあね」と部屋を出ていました。

手を握って付き添ったのは、肺炎で入院した時ぐらいかな?

もしかすると、「ひとりは嫌だな」と思った夜があったかもしれません。

ただ、娘が言わなかっただけで。
あり得ますよね。

子どもが発熱や嘔吐した場合は
真っ先に仕事のことが気になって
自動的に頭の中にタスク処理一覧を発動させ、
あーしてこーしてとフローチャートを連想したものです。

夜に発熱した場合は症状の記録をするだけでなく、
翌朝微熱だった場合、夜通し高熱だった場合・・・と状況によって
病児保育以外に県外に住む義母にヘルプを頼んだ方が良いか
などを考えていました。

加えて、シフト表で研修や年休取得者の有無を確認して、
年休を取得しても大丈夫そうかを気にしたり。

夫とは会議はあるか、年休または半休取得できそうか、と相談も。


私の当直が重なる場合は夫が確実に休めそうか、
それとも当直を変わってもらった方が良さそうか、など。

目の前の子どもを観察しつつも
頭の中は色んな事をぐるぐると考えていたのですから、
私は始終険しい顔をしていたかもしれません。


子どもからしたら、
親が仕事の都合をつける姿を見ながら療養しているワケですし、
落ち着かなかったかもしれませんね。


子どもは甘えられなかったかも。

まさに綱渡りの状態でした。


それに比べて今は、「うつった時は仕方がないねー」って
思いながら接していますし、夜付き添ったとしても
「眠くなったらお昼寝するから大丈夫」って思っているので
緊張感がまるで違います。

仕事のことを気にかける必要がないので、
気持ちに余裕があります。


40代後半からは疲れやだるさを感じやすくなり、
寝ると回復するってことはありません。
50代になるとますます体力の温存が難しくなってきています。

数年前まで当直していたとは、信じられません。ホント。


もしかしたら、
気持ちにゆとりを持って子どもを看病したのは、
今回が初めてだったかもしれません。

ずーっと手を握るなんて、記憶がありません。

そのくらい、以前の私は余裕がなかったし、
許容範囲がMAXの状態だったように思います。


③ 頑張っていたね、自分。


余裕を持って看病できていなかったなーとは思うものの、
仕事をしながら家事をしながら、子育てしながら、
よくやっていたなと思います。

娘の手を握りながら
走馬灯のように色々と思い出しましたが、
どれも想い出には変わりありません。

綱渡りのような日々でも、です。

あーしとけば良かった
こーしとけば良かった

本当に反省することは数知れず。

とても仕事と家庭を両立できていたとは言えません。


でも、その時に自分ができることをしていたし、
頑張っていました。

テキパキとこなすことができず、
ただ不器用に、要領の悪いまま物事を進めていたのでしょう。

ただひたすらに。

もっと手放せること、手を抜けることがあったでしょうにね。


子ども達もたくさん我慢しながら駆け抜けたのは、かれこれ10年以上です。


反省は尽きないものの、
見方を変えれば
思春期の娘に「手を握ってて」と言ってもらえるとは
ありがたいことですよね(≧▽≦)

改めて、私なりに母親をしているのだと気づきましたし、
娘に私の気持ちは伝わっているのだろうと勝手に思いました。


娘の咳が酷くて付き添わなかったら、
娘の手を握らなかったら、
このような振り返りはしなかったと思います。

昔を思い出すこともなかったかもしれません。

ただ、自分の歳を感じただけだったかもしれません。


看病は大変だったけれど、今回は大きな気づきがありました。


子どもの手を握ると寝入りが良いことがわかったし、
娘がギュッと手を握ってくれたことは
嬉しくかわいい出来事でした。


看病しながら今までの自分を労い、
自分の頑張りをたたえることができました。

反省ばかりでは、つまらない!



想い出の一つになりそうです。



ありがとうございました。
























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