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« l'absurde »と終活

 ゆうべも相変わらず義理の両親の話が出た。ほとんど日課のようになってしまった。話が出るからと言って暗くなることはないですが。

 ただイライラする。話題にすると言っても新しい情報はちょっとしかないし、話を続けていると前に聞いたことばっかりで堂々巡りしている。

 人の最後ってなかなかすぐには来てもらえないものみたい。何年も前からあそこが悪いここが悪いで、いまだにそれが続くんだから。

 回復の見込みもないし、あの人たちに関しては医者の言う通りにする事すらままならない。ジリ貧で悪くなっていってる。

  « bipolarité »「双極性」と呼ぶらしい。ほとんど一生それで生きてきた人なのでちょっとくらい自覚してもいいと思うんだが、していない。外面は良く、何でも自分でできているような顔をする。だから殉教者みたいにわざわざ辛いことをやろうとする。それでいて内では文句だけは言う。始末に負えない。

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 自分自身が人生の3分の2をやってしまったので周りを見ると自分くらいの歳の人が多くなってしまった。定年している人が多い。尋ねはしないが色々やっているようだ。

 「定年退職って結局人生のお払い箱に入ることになるんじゃないの?」と昨日の仕事の帰り道の車の中で考えていた。家に到着する300m前の10コ上の夫婦の家の前を通った時のこと。なんとも失礼なことを考えていたもんだ。

 人生90年なんで、定年した後も20年は生きていることになる?定年なので普通には働けない。バイトなら可能なんだろうが。

 「死ぬまで生きるってことだよなぁ。その後死んでも何も残らんのやろうなぁ。生きるために働いてんの?働くために生きてんの?そもそも何で生きてんといかんのかなぁ?」

 ボーッと考えるにしては何ともヒドイ内容だ。

 « l'absurde »「不条理、馬鹿馬鹿しさ」

 真面目な話も突き詰めるとバカバカしいところまで行ってしまう。

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 « nihilisme »「虚無主義」が見えてきたところで手前でストップ。何をしても意味がないという結論は死ぬ時まで取っておこうと思う。

 最後の20年ほどの時間で何をするかを今考えるつもりはない。でも何をしていても途中で終わらされることは確実。だから「いつ終わってもいいわ〜」くらいの気分でいるのが良さそう。


 こんなことをグダグダ書いているのも、すぐに死ぬことはないと信じていることが根にあるからなんだ思う。まあ事故にあわない限りその通りだろう。

 元気なうちに遺書を書いておく人もいるらしい。「いつでもどうぞ」と思えるくらいにシュミレーションしておくかなぁ?


 義理の両親を見ながらそんなことを考えている。

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