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「絶望する映画」で希望を知る

映画や小説の概要文で、「遭難」や「漂流」というキーワードがあると敏感に反応してしまう。

極限状態に置かれた人間たちのドラマに、強く魅力を感じる。

「遭難」や「漂流」に惹かれるのは子どもの頃からで、学生の頃に出会い、今も繰り返し読む小説のひとつに吉村昭『漂流』がある。江戸時代に太平洋を漂流の末、無人島で13年間暮らした男の話は、何度読んでも胸打たれる。

『漂流』は、北大路欣也主演で映画化(1981年)されているが、原作にないシーンが描かれていたり、雰囲気ぶち壊しのBGMが流れたり、原作ファンからすると、残念な作品である。

しかし、『漂流』の他にも、遭難や漂流を扱った映画は数多くあり、中には、多くの感動を与えてくれる作品もある。

「絶望する映画」の特徴

遭難や漂流を扱った映画の魅力は、絶望感をどれだけ描けているかにかかっていると思っている。

映画は疑似体験装置という役目もあり、遭難/漂流がテーマの作品で疑似体験するのは、主人公が陥る絶望感だからである。遭難もしくは漂流を扱う映画とは、主人公と一緒に「絶望する映画」であり、そのため、絶望感こそが主役となる。

氷点下の雪山や大海原といった絶望的状況においても、何とか生きようとする主人公の姿。そこに、忍耐力、生への執念、そして、希望の尊さを知り、胸打たれる。

それら「絶望する映画」における、優れた絶望感の演出の特徴としては、以下があげられる。

特徴1. リアリティがある

映画においては、リアリティを必要とする作品とそうでない作品がある。

「絶望する映画」においては、リアリティが必要となる。もしくは必須要素と言ってよいかもしれない。なぜなら、観ていて、嘘っぽいなあとか作り物っぽいなあとか思ってしまうと、途端に絶望感が薄れてしまうからだ。

漂流した7人の男女が無人島に辿り着く『マタンゴ』(1963年)や、飛行機事故で見知らぬ山奥に不時着する『吸血鬼ゴケミドロ』(1968年)も、遭難を扱った映画といえるが、それら作品の愛すべき作り物感は、「絶望する映画」とは別種の魅力であり、そのため、これらは「絶望する映画」とは呼べない。

特徴2. 実話を基にしている

「based on the true story」もしくは「実話を基にしている」。

「絶望する映画」は、オープニングクレジットで(エンドクレジットでも)、実話を基にしていることが示される必要がある。

たとえ実話を大幅に脚色していたとしても、実話ということを示すことで、絶望感が増す。"ただの怖い話"より、”本当にあった怖い話"の方が怖そうな気がするのと同じである。

そのため、雪山での遭難を扱っているものの実話を基にしていない『バーティカル・リミット』(2000年)はアクション映画であり、やはり「絶望する映画」とは呼べない。

特徴3. 説明台詞が少ない

国民的人気の高い『風の谷のナウシカ』(1984年)では、冒頭、ナウシカが「胸がドキドキする」等、自分の心境を実況中継するような台詞が続く。これは、低年齢の観客を想定していることもあっての台詞と思うが、「絶望する映画」には、このような説明台詞は要らない。

「寒い」とか「苦しい」と言わず、凍傷で肌が変色していたり、体がブルブル震えていたり、観ているこちらが寒気を覚えるような、痛々しい描写が必要となる。

主人公が感じる絶望は、説明台詞でなく、絶望の表情や痛々しい描写でこそ感じ、疑似体験することができる。

特徴4. フラッシュバックを多用しない

「絶望する映画」は、実話通りに真正面から描くと退屈になる。なぜなら、遭難や漂流をそのまま描くと、主人公が寒さに耐えている姿や、船の上で空腹に耐えながら寝そべっているシーンくらいしか描きようがないからだ。特に、遭難/漂流する人物が一人もしくは少人数だと、それが顕著になる。

そのような退屈さを回避するため用いられるのが、回想シーンの挿入、つまりフラッシュバックとなる。

このフラッシュバックは、適度に取り入れるならよいが、これが過剰になると、映画としてのリズムが崩れる

『127時間』(2010年)や『アドリフト 41日間の漂流』(2018年)は、遭難/漂流時、主人公の過去の映像が頻繁にフラッシュバックで登場する。そのせいで、絶望感が削がれる結果となっており、実話を基にした作品でありながら「絶望する映画」としては不満足な出来になっている。

そのため、両作品とも作品のクライマックスにおいて、『127時間』は腕を切り落とすシーン、『アドリフト 41日間の漂流』は幻覚と現実の交錯によるどんでん返しという、絶望感とは別の飛び道具を使っている。

特徴5. ラストは悲劇が望ましい

「絶望する映画」を観終えた後、絶望的状態から生還した主人公をみて、「かっこいい!俺も遭難しに行くぞ!」となってはならない。

そのため、「絶望する映画」のラストは悲劇が望ましい

しかし、実話を基にしていれば、悲劇でなく生還した主人公もいる。そのような生還の結末であっても、爽やかな感動を与えるような作りにせず、観終えた時の感想は「山って怖い…」とか「俺には無理だ…」とならなければいけない。

そのためやはり、絶望感を疑似体験させることが重要となるのである。

これらの特徴を備えた優れた「絶望する映画」と思う作品をいくつか、紹介していきたい。

「絶望する映画」傑作選

『アイガー北壁』(2008年)

遭難や漂流を扱った映画となると、『キャスト・アウェイ』(2000年)が有名作として名前があがりそうだが、勝手ながら、この『アイガー北壁』こそ「絶望する映画」の最高傑作と思っている。

1936年、スイスのアイガー北壁初登攀を目指すドイツ人登山家たちを描いた作品で、リアリティ溢れる登山シーン、寒そうで痛そうで辛そうで「もういいよ」と思えてくる遭難シーンは、絶望感をこれでもかと感じさせてくれる。

それでも諦めない主人公たちの強さ。そして、壮絶なラスト。

最初観終えた時、遂に「絶望する映画」の傑作に出会ってしまったという興奮から、複数の人にこの作品を勧めたが、観てくれた人からは「絶望しかない」「なぜこれを薦めた」「夜寝れなくなった」「トラウマになる」「二度と見ない」と、散々な感想をもらうことになった。

そのため、以後、この作品を薦めることを自重したが、しかし、「二度と見ない」とか「トラウマになる」ほどの絶望や余韻を感じさせてくれる作品である。

やはり傑作だった、と納得したのだった。

『エベレスト3D』(2015年)

1996年に起きたエベレストでの大量遭難事故を描いたこの作品は、映像のリアリティが素晴らしい。

壮大なエベレストの雪景色、猛烈な吹雪が圧倒的迫力で描かれている。

ストーリーにおいては、事故での遭難者が多いため、会話を含む複数のエピソードを描くことができている。そのため、余計なフラッシュバックもない。結果、リズムが乱れることなく、ラストまで突き進む。

ラストも実話通り悲劇となっており(悲劇だけでなく救いも描かれているが)、絶望する映画のお手本ともいえる作品と感じる。

『ザ・ディープ』(2012年)

1984年にアイスランドで起きた漁船沈没事故と、その後、極寒の海を泳いで唯一生還した男を描いた作品が『ザ・ディープ』となる。

この作品も、事故や漂流シーンが、非常にリアリティある映像で描かれている。

漂流するのが男一人なため、海を泳いでいるだけの退屈になりそうな展開だが、事故も漂流もコンパクトに描き、退屈させない。漂流するシーンではフラッシュバックも用いられているが、適度に抑えられており、リズムを乱すこともない。

生還後、なぜ一人だけ生還できたのかを科学的に検証しようとする様子も描かれ、「生還できてよかったね」で終わらせず、しっかりと海の怖さも描いた作品となっている。

『八甲田山』(1977年)

冒頭に書いた残念な作品『漂流』を監督した森谷司郎監督作品には、遭難を扱った『聖職の碑』(1978年)もあるが、『聖職の碑』は遭難以外の部分を多く描きすぎており、「絶望する映画」としては『八甲田山』の方がふさわしい。

1902年の八甲田雪中行軍遭難事件を描いており、まだ雪山に対する防寒対策の知識もない中、強行行軍する兵士たちの姿が描かれる。

軽装備の兵士たちはバタバタと倒れていき、発狂しだす者、更には、立ったまま凍りついてしまう姿に、雪山の恐ろしさと絶望を知ることになる。

『運命を分けたザイル』(2003年)

『運命を分けたザイル』は、1985年、アンデス山脈での登山中に起きた事故を題材としている。

生還した登山家本人のインタビューと再現映像で構成された作品で、インタビューに応じる登山家は無事生きているので、観ている側は「生還できるのかどうか」でドキドキすることはない。「こんな絶望的状況から一体どうやって生還したのか」という観点でドキドキすることになる。

事故にあった登山家は、下山中、クレパスに落下、足を骨折し、身動きができない。食料もなく、氷点下60度の極寒の世界。どう考えても絶体絶命の状況で、観ている側も「もうダメだな」とまさに絶望を感じる。

しかし、そこから不屈の精神と体力で生還する登山家の凄さに、胸を打たれることになる。

『生きてこそ』(1993年)

1972年、ウルグアイのラグビーチームを乗せた飛行機が、アンデス山脈に墜落した事故を描いたのが『生きてこそ』になる。

墜落前、アンデス山脈での飛行シーンは光学合成で作られており、時代を感じる部分もあるが、遭難時は、しっかりとリアリティある映像となっている。

墜落時には28人が生存しており、そこから一人一人と減っていき、72日間もの間、極寒の山で過ごすこととなる。28人、72日間という、遭難人数の多さや、遭難日数の長さにより、複数人による会話やエピソードが描きやすくなっている。

そのため、回想シーンの挿入はなく、どのように彼らが極限状態を生き抜いたかが丹念に描かれている。

また、禁断の行為・人肉食のシーンも中途半端な描き方をせず、しっかり真正面から描いている点も高評価できる。

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