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「○○監督だったらどう撮る?PART2」映画監督における構図の特徴

巨匠たちの構図

以前、映画監督における構図の特徴について記事を書いた。

今回、前回取り上げなかった、巨匠と言われる他の監督たちの構図の特徴について、再び考えていきたい。

場面は前回と同様、「野原で二人が会話しているシーン」とする。

○○監督だったらどう撮るか?

成瀬巳喜男だったら

小津、溝口、黒澤の日本三大映画監督に次ぐ第4の巨匠とも評された成瀬巳喜男だったら、きっとこう撮るだろう。

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男女二人が向かい合うのではなく、並んで同じ方向へ歩きながら会話する。

この時、ミディアム・カット(膝や太腿から上を映すカット)で二人を撮る。

ミディアム・カットにすることで、二人の顔の表情が観客に見えることになる。また、二人が並んだ同じような構図を何度も繰り返す。日本映画史上の名作と評価される『浮雲』などは、二人が歩いて会話するシーンが多発する。

成瀬巳喜男作品は、主人公、特に女性の心理状況の変化が描かれる点が特徴だ。

二人が並んで会話するミディアム・カットを繰り返すことで、観客に主人公たちの表情や視線の変化を感じさせる。そこで観客が感じるのは、主人公たちの機敏な心情の変化であり、それは切なさに通じる。

成瀬作品から切なさを感じるのは、このような構図による効果が影響している。

今村昌平だったら

世界最大の映画祭、カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを、日本人監督で唯一二回受賞したのは、今村昌平である。

日本を代表する映画監督である今村昌平だったら、どう撮るだろうか。

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会話する二人を画面中央から少しずらして配置するのではないか。その二人の後ろにザワつく人々を配置する。そして、二人の前をさーっと、横切っていく通行人を映すかもしれない。

通常、二人の会話シーンであれば、その二人が画面の中央に配置される。それが映画のお作法である。

しかし、今村昌平の場合、中心人物であるはずの二人は画面中心から外れ、さらに、二人の前を、何でもない通行人がさーっと素通りするのである。これは、映画のお作法からすれば、マナー違反である。しかし今村昌平は、お作法は無視とばかりに、平然とそんな画面を作り出す。

こうすることで、映っている画面が、作られたセットでも用意された舞台でもない、事件現場にカメラを置いたような、物語としてのリアリティを超えた、ドキュメンタリーのような強烈なリアリティを生み出す。

北野武だったら

ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した北野武だったらこうだろうか。

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固定カメラによるロング・ショット、それも人物が豆粒くらいにしか見えない超ロング・ショットである。

超ロング・ショットにより、観客は、人物が何かしているけれど詳細はわからない、つまりどこかミステリアスな雰囲気を感じる。そして北野武だったら、次の瞬間、銃声とともに血を流す人間を映すかもしれない。

北野武作品は、乾いた暴力、静寂から突然起きる暴力が最大の特徴だ。

超ロング・ショットによる静寂でミステリアスな画面から、銃声と流血シーンという急激な落差。

観客は、超ロング・ショットの画面のミステリアスな雰囲気によって、銃声にも流血にも備えていない。そのため、その後の突発的な暴力描写に強い衝撃を受けることになる。

スタンリー・キューブリックだったら

映画界において、最も巨匠という言葉が似合うかもしれない監督、スタンリー・キューブリックだったらこんな画面を作るかもしれない。

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前景に会話する二人、背景には会話を見守る人々がズラリと画面奥に並んで配置される。

キューブリックといえばシンメトリー(左右対称構図)である。キューブリックのシンメトリーを形づくっているのが一点透視法(画面の奥に消失点を作り、全てのものがそこに消失するように描く)である。

シンメトリーは、見る側に安定感を感じさせる。それは、映画に限らず絵画や建築、ポスターやチラシなどでも同様だ。また、一点透視法により画面には奥行きが生まれる。

キューブリックの作品は、一点透視法によるシンメトリーの構図がこれでもかと多様される。そうすることで、観客はどっぷりとその安定感に浸る。そして気がつけば、キューブリック作品の世界に酔いしれ、没頭することになる。

マーティン・スコセッシだったら

現役監督における巨匠といえば、マーティン・スコセッシは外せない。

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マーティン・スコセッシだったら、二人を真上から、つまり、俯瞰視点、神の視点で撮る。

このような真上からの視点というのは、普段目にすることがない。そのため、二人が会話しているという当たり前の光景なのに、見たことのない異様な印象を生み出す。

また、俯瞰視点により、意図的にカメラに映す、映さないといった隠し立てがきかない。すべてありのままが映し出されるのである。

このような俯瞰視点によって、スコセッシ作品では、隠し事のないありのままのリアリティ、そして、普段見ることのない視点による異様さを醸し出す。

映画監督それぞれの特徴

今回、5名の巨匠と呼ばれる映画監督たちの構図について考えてみた。

しかし、前回及び今回の映画監督以外の監督も、当然、それぞれで構図に特徴がある。そして、それらは、何かしらの意図をもった構図である。

映画を観る、そして楽しむうえで、構図ということに注目して観るのも、一つの楽しみ方なのかもしれない。

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