大学受験に古典・地歴は必要か?

こんにちは。最近投稿が著しく滞っており、申し訳ございません。年末年始にかけて、業務が多忙を極めており、なかなか執筆が進みませんでした。受験対策も含め、必ず再開しますので、しばしお待ちいただけますと幸いです。

さて、大学受験シーズンです。大変痛ましいニュースもあった今年の入試ですが、インターネット界隈では古典を受験科目とすることの是非について議論がなされているのを目にしましたので、私見を述べたいと思います。なお、お恥ずかしながら理系のことは分かりませんので、文系の受験のみの話になります。

私個人としては、歴史は好きでした。東大二次試験の受験科目も世界史・日本史でした。古典は得意ではなかったものの、後から考えると、古典から学ぶ教養も多かったと思います。ですから、これらの科目が「日本人の人生にとって必要か」と聞かれれば「あった方が良い」と答えます。

その上で聞いていただきたいのですが、結論から申し上げると、私は古典、そして地歴についても、大学入試で高い配点を振ることには強く反対です。

この手の議論をすると、ほぼ必ず「古典/地歴から得られる教養が大事である」といった趣旨の反論を受けます。勘違いしないでいただきたいので繰り返しますが、私も古典や地歴から得られる教養は大事だと思いますし、否定するつもりは毛頭ありません。私が問題提起したいのは、それが無数にある他の学問と比較しても、本当に受験科目として適切か、優先順位が高いかです。


端的に言えば、

10代の記憶力豊かな期間で、古典の文法・単語や、地歴の細かなキーワードを覚える時間がもったいない。国際的に競争すると言う観点からは、より学ぶべき科目や知識の方が多い

と思います。

まず、16歳〜19歳前後の受験期は、10代ならではの記憶力、集中力、体力をもって豊富に知識を吸収できる期間です。その時期に覚えるべき事柄として、古典でしか使わない文法・単語や、地歴の細かい年号・単語を血眼になって覚える意義は本当に大きいでしょうか。

英単語は理にかなっていると思います。国文学を除けば、ほぼ全ての学問分野を勉強するに当たって、英語はどこかで必要になりますし、仕事でも英語ができるかできないかで大分業務の幅が違うと思います。英語圏の国で勉強や仕事をすると分かりますが、日本人は帰国子女・インターナショナルスクール生・外国人の家族を持つ方を除いて、本当に英語ができないです。TOEIC900点をとったとしても、ほとんど英会話が成立せず、苦笑されるのが関の山です。海外の大学や大学院で学問を修め、国際的に通用する人材を育てるならば、絶対に古典の文法や単語、地歴の細かい単語を覚える時間を使って、英会話の勉強に充てた方が良いのではないかと思います。

逆に、これらのことを暗記せずとも、古典や地歴の学問としてのエッセンスは伝えることができるはずです。古典の面白さや、古典から学べる教訓のほとんどは、現代語訳でも伝わるはずです。教養という意味で言えば、むしろ世界で教えられているシェークスピアなど、他言語の古典も同等に学ぶべきだと思います。語学を勉強するという観点からすれば、端的に英語や第二外国語を勉強した方が良いと思います。

地歴についても、歴史の流れや、歴史から学べる教訓は、細かい年代や人名、地名を覚えなくてもできると思います。地歴に関して、教科書レベル・共通試験レベルを超えた細かい用語集を暗記することに何の意味があるのか分かりませんし、難関と言われる大学が異常に細かい単語を出願することは、受験生を暗記マシーンと見ていることの証左であり、ナンセンスとしか思えません。

逆に、現代の社会を形成している、政治経済や現代社会、もっといえば法律学についても軽んじられすぎてはないでしょうか。例を挙げれば、世界史のハドリアヌス帝やグレゴリウス7世の名前を知っていても、エドマンド・バークやジョン・ロールズの名前を知らないと言う高校生は相当に多いのではないでしょうか。古文の助動詞は覚えているけれども、憲法21条が何を保障しているかは知らないという高校生はむしろ多数派ではないでしょうか。私は、現代社会を生きるにあたっては、バークやロールズ、憲法21条の方が覚えるべき知識だと思います。

ですから、私はむしろ小論文、政治経済、現代社会、法律学といった科目に重点を置くべきだと思っています。そして、古典や地歴を受験科目として存置するなら(現実問題として、向こう数十年は存置されると思いますが)、少なくとも暗記ゲームのように単語や文法、年代を問うような入試問題はやめて、論述式試験や、歴史の流れを大局的に見ることのできるような問題を中心とすべきだと思います。

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