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死なないで

 自殺を考えている人から「なぜ死んではいけないのか」と聞かれる。確かに自殺するかしないかは本人の意思にゆだねられており自由だ。しかし自殺してはいけないという言説は普遍的な原則のように用いられている。ここでいま一度、なぜ死んではいけないのかを理詰めで考えてみたい。もちろん自殺しようと考えている人に論理を使ってネチネチ説得するのは逆効果であるということは承知の上だ。

 現時点での私は、この質問に二つの解答をもっている。

 まず、自殺は可能性を否定するからだ。世界には知らないことがたくさんあるし、知らない人がたくさんいるし、知らない感情もたくさんある。そしてそのいずれともいつ会うか、あるいは会わないのか、すべてが予測不可能だ。つまり人生は可能性の海に開かれているようなものだ。この可能性の海では想定外の事ばかりが起こる。だから未来には大きな幸福が訪れるかもしれない。たとえ今が苦しくても、可能性は常に開かれている。苦しみが終わったのちには幸せが待っているかもしれない、待っていないかもしれない。ただ今の段階で苦しみがずっと続くと断定して死んでしまうことにはリスクが大きすぎるだろう。その断定は著しく根拠に欠ける。

 二つ目に、自殺は殺人であるからだ。自分という存在は、自分だけで成り立っているのではない。自分という存在はたくさんの人によって成り立っている。たくさんの人と会話をしたり作品を見たりして関係をもち、影響を受けることで自分という存在は徐々に形成されていく。ゆえに自分という存在はたくさんの人によって成り立っているということができる。これをより敷衍するならば、自分という存在は他人でもあるといえる。自分も少なからず友人や家族らに影響を与えているはずであるから、その意味においては友人や家族らを構成しているものに自分はなっているはずだ。このことを踏まえると、自殺ということは自分自身を殺すことだけではなく、他人を殺すことと同義である。

 これら二つはもう何百回も言われた古臭い理由かもしれないが、現時点の私に考え付くのはこれら二つくらいだ。今後よりこの考えが深まり次第、付記していきたいと思う。

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