本とデバイス

絶対的に紙の本信者だった私が、kindleを買ったのは二年くらい前か。
軽くて、しかも目にも優しく、どの本でもカバンの中身を入れ替えることなく持ち歩ける気軽さで素晴らしいと感動した。実際、持ち回りのよさはkindleに軍配が上がる。
これから出る新刊を読むにはたぶんkindleを多用していくだろう。それでも私は今年に入ってkindleの端末を手放した。
一つには、iPad miniを持っていてサイズも似ており単純に「読みやすさ」を優先して持ち歩くには端末二台はきつかったせいだ。そしてネットサーフィンにも使えるiPadが生き残った。これが一番大きい。
もう一つは、結局以前から持っている本のほとんどは紙のまま読んでいるという事実。あえてkindleに持ち替えようとは思えないのだ(クリスティの全巻を売ってしまったが、結局kindleでまた読もうとは思えない。。)ペラペラの薄く丈夫なハヤカワミステリの紙に小さなフォントで印刷されたあの本でないとクリスティという気がしないのだ。
今となっては英語圏の本は原書主義なあたしも、子供のころから繰り返し読んできたクリスティに関しては、古くからの名訳を愛してやまない。そしてkindleで読むことが想像できない。

以前、日本人の有名デザイナーの作ったデザインに関する小さな本を、装丁があまりに好みだという理由だけで買ってしまった。中身も一読はしたが、覚えていない。ただ、その装丁のセンスだけはさすがと思ったものだ。その「読まない」本をいまだに私は手放さない。

また先日とある勉強会では、紹介された詩人の本をちらと見せてもらった。
4センチ近い分厚いハードカバーで、でも版は小さめ。今の出版社ではほとんど出さないだろうし、とうに絶版している。そこに書かれた詩はもちろん、その本のたたずまいに惹かれて、買おうと思ったらネットでは目が飛び出るような値段がついていた。神保町でも今は似たようなものだろう。
つまり、本は今や読むものではなく、コレクターズアイテム。私はその手触りのよい紙をめくりながら、ボツボツとした印刷の文字を読みたいから、そんなに綺麗なものでなくともよいのだが。。

kindleの本は「データ」で、紙の本は「本」。やはりその境界線はくっきりとまだまだ色濃いのだ。

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