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Creepy Nuts試論①:結局、明日のたりないふたりとは誰だったのか

コロナ後に、日本のお笑いとの距離が近くなった。オンラインライブのおかげである。先月末に、ゴッドタンのオンラインライブ を晩酌しながら観てて、ゲラゲラ笑っていていた。やっぱり、自分語りというか、歴史って本当に重要だなーって思った。誰かにとっての悪役が、他の誰かにとっての恩人だったりする映画にありそうなプロットが、そのまま芸人のエピソードとして語られていたのが印象的だった。確かにケンドーコバヤシが言うように、「芸人が裏側を語り始めたらお笑いは死ぬ(大意)」、というのは一理あるだろう。でも、その裏側すらお笑いに変えられるのは芸人だけだったりするのかなーと、このオンラインライブを観ながら思った。後にキングオブコント審査員になるかもしれない人がいるため、過去の話にフォーカスを置いた佐久間宣行(テレビプロデューサー)さんはさすがだとも思った(実際、東京03の飯塚さんは審査員になった)。

ただ同じ佐久間さんプロデュースでいうと、今年8月に『あちこちオードリー 真夏のオンラインライブ』の方が正直心に残っている。実際、8万枚のチケット売れており(売上で1.6億円だと??…)、今年のお笑いオンラインライブの売上枚数で1位と言われている。具体的な内容を投稿しないというのが条件だったので書けないが、若林正恭さんがご自身の本で書かれているように、そこには「血の通った関係」がより前面に出ていた。

傷つけば血が流れる、そのつながりのことを言っている。だから、似たようなことで傷ついてきたもの同士が出会ったり、共通の敵と戦った者同士であったり。そういう絆には経済を超えて強い結びつきがある。そういう絆は何も実生活で繋がりのある人とのものだけじゃない。…そいうった存在との血の通った関係は、生きづらい道のりを歩く灯火になる。

若林正恭、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』

かなりバタイユ的な文章である。若林が岡本太郎が好きなのも納得できる。(ひょっとすると、若林正恭は現代日本人の一部にとっての「ジョーカー」なのかもしれない。)そして、この生き様芸人としての若林イズムが、いや彼の「開いた傷口」が剥き出しに現れてしまったのが、伝説のオンラインライブ、『明日のたりないふたり』だった。


『明日のたりないふたり』とは何だったのか

世界には、〇〇以前・○○以降という言葉がある。例えば、松本(人志)以前・松本(人志)以降、大友(克洋)以前・大友(克洋)以降、ゴダール(ジャン=リュック)以前・ゴダール(ジャン=リュック)以降、ピンチョン(トマス)以前・ピンチョン(トマス)以降などなど。(人ではなく)コンテンツとして、私は、『明日のたりないふたり』はその以前・以降という言葉が使われるべきであると信じてやまない。それぐらいのインパクトを持ったコンテンツだった。

そもそも「たりないふたり」とは若林正恭(オードリー)と山里亮太(南海キャンディーズ)の2009年に誕生した漫才ユニットで、2021年5月末に開催されたこの『明日のたりないふたり』という漫才ライブで解散した。このライブの何が凄いかを勇気を持って一言で伝えたい。彼らは板の上で、傷の舐め合いではなく、開いた傷口の晒し合いを行うことで互いの交流を、そしてその交流をさらけ出すとによって、5.2万人以上の人びととの連続性を一瞬だけでも作り上げてしまったことである。

「たりない」、「たりてる」とはここではシステムに順応できてない、できているという概念だと理解していて欲しい。足りている奴に足りてない奴がたまには勝つと思ってたい奴らで組んだ「たりないふたり」が、いまや大人気芸人となり、結婚もして、地位も名声もパートナーも得た「たりているふたり」になったと世間的には思われてしまっている。そんな現状に対する苦悩や辛さを余すことなくさらけ出していく。そしてさらけ出して、ケツの穴、自傷した傷口でえぐられた身体はその魂だけを残す。そして彼らは発見する。その魂はまったく「たりない」ままで残っていることを。そう、若林が漫才中に毎回使おうとする「たりない側」から「たりてる側」へと移動しようとする「都合の良いヘリコプター」なんかないことが分かったように。それをこの漫才ライブで端的に表現した若林(MC WAKA)のヴァースがある。

これくらいの自傷行為 頭の中でやってんだよ毎日毎日 身体中傷だらけ Like a 大仁田厚 その傷見せびらかし やってきた「たりないふたり」 それが俺とお前の物語
たりなさの剣 諸刃の剣 悩みであり 武器であり お守り その剣振り回し やっとたどりついたのが『あちこちオードリー』 それが俺のヒストリー

若林(MC WAKA)、『明日のたりないふたり』

(「槍」の存在によって自身を傷つけ、その結果「他者」を見つけるって全く『シン・エヴァ』じゃないか!!これは次のエッセーで書いてみよう。)
この前の星野源のANNでのラップも聞いたが、若林のラップスキル(特にリズムキープ)は優にその辺のラッパーを超えている。武器だと思って手にした「たりなさ」が実はその悩みの原因でもある。しかし、それは今やもう、神秘的な力が宿った私を守ってくれるものとして存在している。だからこそ、思い切ってその「たりなさ」を振り回していけている。また、若林にとっていかに『あちこちオードリー』が大切な番組なのかもわかる。この『あちこちオードリー』は彼にとって一つの到達点なのである。

山里亮太の素直さ

あとは、ストレートに人に褒められたときを思い出す。そのときは謙遜しているが、張りぼての自信銀行・山里支店にはしっかり貯金されている)

山里亮太(2018年)、『天才はあきらめた』

この『明日のたりないふたり』を伝説のイベントに押し上げたのは、若林ではなく山里(やま「さ」と)亮太であることを多くの人は知らない。若林があそこまで裸になって魂と魂のぶつかり合いができたのは、あの、『天才はあきらめた』という名著を書かれた天才・山里の存在があったからだ。山里が「腹をみせてグラウンドに引きずり込む」ことで、「山里関節祭りの開催」がされ、そのリング上だったからこそ、若林は本気で噓・偽りのない言葉を吐けたのである。

山里の凄さはワードセンス、瞬発力、絶妙な間合いである。と書いてしまえば、かなり陳腐な文章になってしまう。それぐらい以上の3つは彼の凄さとしてすでに常識になっているように思える。なので、あえてここではそれらを否定し、私がもっとも天才的だと思う点を1つだけ挙げる。それは「素直さ」だ。山里亮太は素直だ、天才的に素直だ。普通の人間なら見て見ぬふりしていればいい他人の言動、なかったことにすればいい自分の言動が気になって仕方がない、そしてそれらを素直に吐き出してしまう。結果として、それらが他人に対しては毒舌になり、自身に対しては反省となってかえってくる。こうした天才的な素直さから得られたものを燃料にして努力を続られてしまう山里を天才と形容せずになんというのであろうか。

そして若林も『天才はあきらめた』の「あとがき」で書いているように、そんな素直な人間が愛を知ってしまったらもう手が付けられない。この本では山里が自身のコンビに用いる「僕たち」という言葉が28回出てくるが、その内27回が南海キャンディーズ結成以降、つまりそのほとんどがしずちゃんと山里の関係を「僕たち」と呼んでいる(ちなみに、その例外的な1回は足軽エンペラー時代の「僕たち初の冠番組」だけ。また、南海キャンディーズ以前は「僕たち」よりも、相手を見下している時に使われる「僕ら」というと言葉が多用されている)。そう、南海キャンディーズ結成以降、山里は「他者」を見つけてしまった。これまで自己-他人、自己-自己しかなかった山里が自己-他者という回路を見出してしまったのである。そんな「愛」を知ってしました素直な天才が用意したリングだったからこそ、若林もそれに応えるべく血みどろのデスマッチを繰り広げられたのだと私は思う。

「明日のたりないふたり」としてのCreepy Nuts

「明日のたりないふたり」とは結局誰だったのか。おそらく私を含めたそれを目撃してしまったすべての5万2000人が「たりないふたり」を継承していってくれというメッセージだったのでしょう。「新しい『たりないふたり』を作るのは、画面の前の、あなたたちです!」ばりに。しかし、ご覧になられた方ならわかったように、明らかに現時点で「たりないふたり」のバトンをたりないふたり本人から渡された人たちがいた。それがCreepy Nutsというヒップホップ・ユニットである。私の前口上が長くなってしまった、しかしこれはまだ始まったばかりで、道程なら長い、Creepy Nutsについて次回以降で書いていきたいと思う。


そのサポートは投資でもなく、消費でもない。浪費(蕩尽)である。なぜなら、それは将来への先送りのためでも、明日の労働のためでもなく、単なる喪失だからである。この一瞬たる連続的な交感に愛を込めて。I am proud of your being yourself. Respect!