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第三話「歌羽の本性」長編小説「15th-逆さまの悪魔-」

 あっという間に数週間が経った。黒板の右端の日付は二十を過ぎていた。琴音は歌羽との関係に馴染んできた。教室でも琴音と歌羽は二人組という認識がなされ、立ち位置が固まりかけていた。クラスの顔ぶれも分かってきた。みんなもう男子も女子もクラスメイトそれぞれの顔と名前を把握したようだった。

 ある日、二人で下校しているときだった。春半ばの悠長でむら気なぬくもりは頭の上に気まぐれに漂っていて、午後の日差しは目には眩しく、髪には熱を帯びて照りつけた。一方で足下には風に流された冷たい空気が吹き付け、膝丈のスカートの下に覗く脚が縮こまる。

 歌羽は思いもよらぬことを言い出した。

「そういえば、うちの中学にやばいのいたんだよ。知ってる?」

 琴音は急に声色を変えた歌羽の顔を一瞥した。

「やばいのって?」

「大学生の男と付き合ってた人がいたんだよ」

 琴音は思わず固まってしまった。絶句していると、歌羽は意地の悪い口調で続ける。

「塾かなんかで知り合ったらしいんだけど、ホントにつきあってて、最後まで行ったらしいの。最後って、あれだよ。えっちしたんだよ。それだけでも超やばいじゃん?」

 琴音はまだ言葉を詰まらせていた。

「しかも何回もえっちしてたから妊娠しちゃったんだって。やばいでしょ? 中学生で妊娠、こんなやばい話他にないよ。それでね、手術して中絶したんだって。その後全然学校来なかったんだよ。だからこれ絶対ホントの話なの。今はずっと家にいるみたいだけど、その男とまだ会ってたりして!」

 歌羽は可笑しそうに笑った。 

 琴音は恐ろしい思いに駆られて、尋ねた。

「その生徒が誰かってのは、知ってるの?」

「うん。藤沢麻理恵っていうんだ。うちの学年にいたでしょ? 知ってる?」

 知っているも何も、自分のいとこだ。しかも幼い頃から姉妹のように育ち、とても大切に思っている存在の。だがそんなこと言えるわけがない。

 話題に出されたのはやはり麻理恵のことであった。

 麻理恵のあのことが皆にバレていたんだ。どうしよう。私のせいで、麻理恵はまだ苦しめられなきゃいけないの?

 琴音は身体の中を北風が通り抜けるような強い悪寒を覚えた。

 麻理恵は交際相手だった白田先生と家出騒ぎを起こしたあと学校に来なくなって、卒業するまで姿を見せなかった。伯父伯母も、うちの両親も、もちろん自分自身も他人にその秘密を漏らしたことはない。あの豊子は麻理恵が白田と仲良くしていることに気づき、塾に密告するに至ったが、起こったことの詳細は知らないはずだ。だから隠し通せていると思っていた。

 だが歌羽は事情をほとんど全て知っていた。どこで露見したのか、学校で噂になっていたということだ。

 たくさん悲しい思いをした上、詮索好きな同級生たちの会話のおもちゃにされていたなんて。哀れな麻理恵のことを思って、琴音は思わず涙が出そうになった。

 結局あれからずっと会えていない、私のせいで傷ついた麻理恵。

 歌羽は琴音の動揺に気づかず、話を続けた。

「その藤沢麻理恵ってさ、×××のアカウントもってんだよ」

 歌羽は若者に人気の、とあるSNSの名前を出した。

「それがこれ」

 歌羽はスマートフォンの画面を見せてきた。そのアカウントの投稿欄には短い文章や写真、動画が載っていった。アカウント名は麻理恵の本名ではなかったものの、写真の中に、麻理恵が大好きなうさぎのキャラクターであるカーチャのぬいぐるみが映っているものがあって、なるほど確かに本物の麻理恵のアカウントだと納得できた。

「私、この人のアカウントずっと見てるんだよね」

「友だちだったの?」

「ううん。違うけど、見てるとウケるからもう一年以上追ってる。見つかりたくないからフォローはしてないけど、アカウントを非公開リストに入れとけばいつでも見られるんだ」

「なんでそんなことしてんの?」

「だって、ウケない? めっちゃ病んでるしさ、たまに男の思い出語ってたりして――これで本当は裏で会ってたら更にウケるけど――見てるとマジおかしい。ざまあって気分になる。琴音も見ない? アカウント教えるよ」

 歌羽が言葉を発する度に気持ちが沈んでいく。落胆のあまり頭も地面に落ちそうだ。と同時に琴音は歌羽の陰湿さに失望した。大ショックであった。優しい子だと思っていた
が、幻滅したと言ってよかった。

「私はいいや」

「えー。ウケるのに」

「ねえ、その話、みんなにしてるの?」

「うん。すごい衝撃的な話だから、みんな驚くだろうと思ってね。誰に話してもめちゃくちゃびっくりされるから、その反応が面白い。そりゃびっくりするよね、T中の歴史に残る大事件だよ」

 つまり、積極的に噂を広めているということである。それは麻理恵の尊厳を傷つける行為だ。

 そんなことをしている人と、友だちでいるべきではないのではないか?

 琴音の脳裏にとある意思が浮かんだ。

 怒って絶交する・・・・・・?

 だが別の考えも浮かぶ。

 でも・・・・・・。

 高校に入ってできた唯一の友だちである歌羽と関係をここで切ったら、クラスで一人になってしまう、もしかしたら歌羽が報復のためにうまく立ち回って、琴音を教室で孤立させるかもしれない。そうなったら、他の友だちを見つけることも困難になる。

 琴音は臆病な気持ちになり、歌羽との関係を切る決断をできなかった。自分の弱さがほとほと嫌になった。

 二人が別れるバス停まで、歌羽は麻理恵の噂話をし続け、琴音は顔を歪めていた。自分の大切な人間のことをまるで芸能人のゴシップでも噂するようにあれこれ面白おかしく無責任に語る歌羽に辟易とした。歌羽は琴音が不機嫌な理由が分からないらしく、いかに麻理恵のしたことが「やばく」て「異常」で「ウケる」ものなのか琴音に説明してきた。

「もうそっちのバス来ちゃうね。ラインでリンク送ってあげるから、見るといいよ」

「いい、いらない。またね」

「えー、そうつれないこと言わず見なよ、共通の話題になるじゃん」

 琴音は頭を振って、強引に離れてしまった。

 どうしよう。麻理恵に謝らなきゃ。琴音は憂えた表情でバスに乗り、座席に就いてもスマートフォンをいじらないで窓の外の景色を眺め、現実スマホから目を背けた。

 外から襲いかかってくる現実からは目を背けた上で、自分に問いかけた。私はあのとき嫌と言うほど後悔し、深く反省して、麻理恵を今度こそ守りたいと強く思っているはずなのに。 

――私は結局またあの子を裏切るの?――

――私はやっぱり自分の利益のために麻理恵を犠牲にするような人間なの?――

 自分自身に問いを突きつけていると、徐々に腹痛と吐き気が起こり、琴音は苦しがりながら帰宅した。

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