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第四話「喧嘩」長編小説「15th-逆さまの悪魔-」

 歌羽は琴音を同じ趣味に引き入れたいのか、あの日からずっと麻理恵の話を頻繁にしてきた。麻理恵の他にも、同じT中学校に通っていて不登校になった者や有名な問題児の名前を出した。全員のことをインターネット上で監視しているらしかった。更に聞いてみると、身の回りの範囲に留まらず、事件を起こして逮捕され今はひっそりと活動しているタレントや、干されて凋落したお笑い芸人のことも見張っているのだという。歌羽は彼らの“みじめな”生活を興味津々で追い続けているらしかった。見せられた検索アプリのブックマーク欄には、彼らのSNSページの他にも、ニュース記事やその記事を元にした匿名掲示板のスレッドなどのリンクがあった。

 歌羽はそんな活動のことを「ウォッチング」と称した。

 周りに人がいる教室でそんな趣味について長々と語ってみせる歌羽に、琴音は椅子に腰掛けたまま疑問を呈した。

「そんなことして楽しいの?」

「楽しいよ。ストレス解消になる。みじめな人の様子ウォッチングしているとさ、世の中にはこんなつらい場所があるんだなって分かって面白いし、病んだ人たちが必死に浮かび上がろうとしてるの、見ててウケる。高みの見物ってやつかな」

 歌羽は心から楽しそうな、活き活きとした表情を浮かべていた。曇りも屈託もない笑顔を見て、本当に好きなんだろうなと琴音は察した。

 背中を丸め、机に向かって両腕を伸ばしながら素直な感想を述べてみた。

「あまりいい趣味じゃないと思うけど」

「そうかな。でも私がウォッチングやっても、誰も傷つかないよ。何も隠しているところを覗き見しているわけじゃなくて、本人たちが発信してるアカウントとか、表に出された記事や掲示板を見ているだけなんだから。掲示板は同じ人のアンチスレを年単位でずっと見てるけど、書き込んでいる人の中には結構そういう人いるっぽいよ」

 そう言いながらも歌羽はスマートフォンをいじっていて、突然噴き出して笑った。

「見て、この書き込み超ウケる」

 琴音も見てみたが、何のことか分からなかった。しかし書き込みをした人が、誰かを中傷しようという意図の上で、言い得て妙な表現をしたいとのだということは分かった。

 ただ、浅ましいなと感じた。そんなものを日常的に摂取したがる気持ちは全然分からない。

 夜になって、歌羽からメッセージが届いた。

――琴音ってさ――

 どことなくよい話題ではない気がした。

――藤沢麻理恵といとこだって本当?――

 琴音は思わずスマートフォンをひっくり返して一時的に目から遠ざけた。とうとうバレてしまった。なんて返事したらいいんだろう。

 仕方なく、もう一度ひっくり返してスマートフォンの画面を見た。さきほどのメッセージの他は何も送られてきていなかった。

 少しだけ安心した。

 嘘をついても永遠にごまかすことなんてできないだろう。仕方なく、認めることにした。

――そうだよ――

――なんで教えてくれなかったの?――

――言いそびれちゃって――

 怒られたらどうしようと琴音は反射的に全身に力を入れて身構えた。もしこれが豊子なら恐ろしいくらい激怒しただろう。

 だが歌羽は怒らなかった。その代わり、嫌な注文をしてきた。

――いとこだってことはさ、妊娠と中絶のことについて詳しく知ってるでしょ、その辺り教えてよ――

――それはできない――

――なんでよ、いいじゃん。教えてよ――

――麻理恵は大切ないとこだから、その個人的なことを他の人たちにしゃべるわけにはいかないんだよ――

――そんな、ケチ――

 琴音は気分を害した。頭に血が上ってきた。

――ケチでいいよ。私にその話はもうしないでね。あと噂を広めるのもやめて。麻理恵のアカウントを監視するのも絶対やめてね――

――えー、そんな禁止する権利、琴音になくない?――

――麻理恵の名誉を傷つける人を放っておく訳にはいかないの――

――人聞きの悪いことを言わないでよ――

――実際傷つけているでしょ?――

――私はただちょっとアカウント見てるだけだよ。本人が世界全体に発信しているアカウントを見て、何が悪いの?――

 琴音が返信する前に、すぐ次が送られてきた。

――ああいうのやるってことは、見てほしいからやっているんだよ。じゃあ見てあげた方が喜ぶはずじゃん。琴音のいとこも見られて嫌なんて思わないよ。それが誰かを傷つけてるなんて、琴音の勝手な考えでしょ?――

――でも麻理恵はそういう気持ちで見てほしくて書いてる訳じゃないと思うよ――

――それも推測でしかないし、じゃあどういう気持ちで見たらいいの?――

 そう言われて、琴音は手を止め少し考えた。すると琴音の答えを待たず歌羽が詰ってきた。

――ほら出てこないじゃん。琴音も分かってないんだよ――

 琴音は急激に苛立った。かなり頭にきた。

――今考えてるんだよ――

――とにかくさ、私の楽しい趣味をやめさせる権利なんか琴音にあるわけないんだから、やめろなんて二度と言わないで――

――じゃあ麻理恵の分だけでもやめてよ。あの子は大事ないことなんだよ――

――やだ――

――このままじゃ、歌羽は私の大切ないとこを傷つける人ってことになるよ、それでいいの?――

――私は傷つけてないし、悪いこともしてない――

 続けて

――もういいよ。私お風呂入るから。今夜は話したくない――

 と返ってきた。 

 琴音はスマートフォンをベッドに放り出して、自分も横になった。

 とんでもないのと友だちになってしまった。どうしたものか。歌羽のことが完全に嫌いになったわけではないが、ストレス解消方法があまりにも悪趣味だ。それに興味だけでずっと監視するなんて、麻理恵のことを一体何だと思っているんだろう。麻理恵の人生は、決して面白がるためのネタなんかではないのに。

 同時に、別の感情を覚えていることに琴音は気づいた。

 歌羽は、琴音が怒ったこと自体には怒っていなかった。「琴音のくせに私に逆らうなんて許せない」といった種類の憎悪は向けてこなかった。そこにとても安堵したのだ。喧嘩しても立場上の死に直結しない。

 そうだとしたら、まだやり直せる気がした。相手と力関係の差があったらこちらが破壊し尽くされてしまうだろうけれど、向こうが私たちは互いに同等と考えているのなら、関係は修復できるし、続けることもできるだろう。

 ただあのウォッチングには目をつぶらなければならないのかもしれないけれど。

 とりあえず謝って歌羽と仲直りしよう。元の関係に戻って、友だち付き合いをしていかなければ。

 でも、本当にそれでよいのだろうか。

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