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『ハーモニー』伊藤計劃 | 読書感想(生きづらさとは)

伊藤計劃の、第30回日本SF大賞受賞作品。

オルダス・ハクスリー『素晴らしい新世界』でディストピア小説の魅力に気づいたところで、ぜひ読んでみてはと紹介いただきました。

ベストセラー『虐殺器官』の著者による“最後”のオリジナル作品<br> 21世紀後半、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は見せかけの優しさと倫理が支配する“ユートピア”を築いていた。そんな社会に抵抗するため、3人の少女は餓死することを選択した……。 それから13年後。死ねなかった少女・霧慧トァンは、医療社会に襲いかかった未曾有の危機に、ただひとり死んだはずだった友人の影を見る――

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タイトルの<harmony/>や、紹介文の<br>といった見慣れない記号が出てきますが、これは本文を構成するMTML言語。
最初は戸惑いますが、なぜこの書き方がされているのか考えながら読み進め、意味が分かるとまた面白いものでした。
そういえば『ハンチバック』も似た始まり方でしたね。ちなみに<br>は改行です。覚えなくて大丈夫です。

ディストピア小説あるあるなのか、前半はどうしても設定説明が大半を占め、世界観の理解に時間がかかるため序盤は物語の進みが遅く感じます。突如、目の前で起こった友人の自死、そこから紐解かれる世界同時自殺の背景…。このあたりから急展開となり、一気に読みきってしまいました。

感想をひと言でいうなら、
『生きづらさと自由って紙一重』です。
以下、あらすじが長めに続きます。
既読の方は流し読みを🙇‍♀️


この小説の舞台は、『誰も病気で死ぬことのない世界』。
人々はある年齢になると自分の体にWatchMeという体内監視ソフトウェアを入れ、それはメディケア(個人用医療薬精製システム)と繋がっており、病気に対して完全な予防を自動的に行う。これは、この世界を統治する『生府(ヴアイガメント)』による、社会の構成員すべてが自分の、そして他人の健康を最大限尊重することを是とする方針からきている。

これだけ聞くと、真のユートピアな気もしますね。病気にならない。太らない。痩せすぎない。素敵じゃないですか。

健康が崇拝され、常に健康であれという支配的な意識が漂う世界。医療を受ける、受けないの自由はなく、すべての人が自動的に健康にされ続ける。個人の身体はこの世界のリソースの一部とされ、社会の共有物とされている。プライバシーはなく、個人の信用に関わる情報すべての公開が当然である。

うん、ちょっと胡散臭くなってきました。

健康のために自分を律することが求められるため、健康を常に証明しなくてはいけない。健康でないと信用を失うためアルコールや煙草は禁止。カフェインですら反社会的と言われ規制を求められる(この主張をする婦人の描写が一部のオーガニック推奨団体やフェミニストの姿と被り、ウッとなりました)。
また、装着したコンタクト・レンズで公開個人情報を確認でき、これを通した記録が残る。

このあたりで、この世界の人々が完全に『個の身体的な多様性』を失い、他者に監視されていることが分かります。息が詰まりそう…!

そんな中で暮らしている、主人公のトァン、変わり者のミァハ、友人のキアン。
健康・幸福社会を憎悪するミァハの提案で、3人は自殺を図るがミァハだけが死んでしまう。

それから13年。
紛争地帯で活動していたが日本へ送還され、再会したキアンとランチをするトァン。
「ごめんね、ミァハ」
そう言い残し、トァンの目の前で自分の喉を切り裂いたキアン。そのとき、世界で同時刻に世界中で6,582人の人々が一斉に自殺を図る「同時多発自殺事件」が発生していた。

事件解明にあたり動くトァン。途中、犯人からの犯行声明を聞く。
『これから一週間以内に、誰かひとり以上を殺してください』
声は分からずとも思想は完全にミァハのもの。トァンは関係者を辿り、遂にミャハのもとへとたどり着く。その先で迎えた完璧に幸福な世界とは…。


恥ずかしながら伊藤計劃は初めて読んだのですが、34歳という若さで病気によってこの世を去った作家ということ、この作品は入院中、無菌室で書き上げたものと知ってびっくりしました。若すぎる…。病気とは、身体とは、他の人と違う生活とは。様々なことを感じ、考えて作られた話なんだなと感じました。
この話を構成するマークダウン、MTMLがHTMLをベースにした感情をも体験できるものという設定もよかったですね。

人は生きづらい。太っていても、痩せすぎていても、病気になっても。肥満も痩身も目立ち、病気は行動の自由を奪う。人は老い、いつか死ぬ。死に向かって進む中で、私たちは自分を誰かと比べ、悲観し、最悪は死を選んでしまう。
そこに人間の意識がある限り。

意識が亡くなった『幸福な』世界でなら、人々はきっと生きづらさを手放せるのだろう。
争いのなくなった、意識のない世界。それが完全な調和(ハーモニー)なのだとしたら。人間は人間のままで、調和を得ることは不可能だとこの物語は告げている。私も、そうだと思う。

じゃあ、あの『幸福な』世界に行きたいか。
太らず、痩せず、体に正しいものを食べ、病気にならず。煩わしい『選択』をせず、常に他人が正しいと決めてくれるものに従う、戦争のない、すべての人が共存繁栄できる世界に。

私は嫌だ。好きなものを食べて、好きなことをして、他人に迷惑をかけないか自分の頭で考えて。自分なりの倫理に沿って生きたい。秘密だって持ちたい。私は私でありたい。

健康に生き長らえることは、きっと多くの人が望んでいる。それと、個人が自由になにかを選ぶこと、社会が安定して皆が共存することは突き詰めれば相反する願いなのだろう。だとしたら。

人間が人間でありながら、少しでも調和に近づく努力を続ける必要があるのでしょうね。

生きづらさは、自由から来ていると思う。
なにかを選ぶことの煩雑さ、選んだものの他人との差。親や支配者が選んだ自由の中で、動けなくなる不自由さも含めて。

誰もが自分の人生を、自分の手で、探りながら歩いている。間違えたら後戻りしたっていい。不幸を受け入れて、不運を飲み込んで、嘆き喚きながら歩く。その先にあるか分からない、か細い光に向かうため、個人の孤独の中で。

その光を信じることを、
私たちは希望と呼びながら。


伊藤計劃『ハーモニー <harmony>』
2014年、ハヤカワ文庫

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