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第2回文芸実践会・漢詩和訳「雨夜」 | 活動報告

「文芸実践会」とは :
京都芸術大学の通信・文芸コース有志メンバーで発足したグループです。さまざまな文芸に楽しく初歩から触れる機会としつつ、皆が作品を持ち寄り批評し合うことによって、文芸作品や自身の作品への見る目を養い、さらなる表現力をつけていこうという目標があります。

第1回・短歌に続き、今回は詩の会を開催しました。同じ漢詩の和訳を皆で行うことで、各人による訳の違いを楽しみ、自身の表現の幅を広げることが目的です。

事前に提出された9つの詩を批評し合い、最後に本人が作品の意図について説明をします。
(↓漢詩和訳とは)

原詩について

今回、和訳を行った漢詩(原詩)はこちら。
明代に活躍した詩人・何景明(1484~1522)の五言律詩である、『雨夜』という作品です。

墨場必携より(大文館書店、1930年)

「秋風秋雨愁殺人(秋風、秋雨は悲しみで人を殺す)」という言葉があるように、漢詩では秋の描写をする際に寂しさや悲しさをしみじみとあらわすことが多くあります。『雨夜』では、静かに雨が降る秋の夜長に、長く帰っていない故郷を偲ぶ情景が詠まれています。

もとの詩の意図を読み取り、現代の「詩」として作り変えてもらいました。


『雨の夜、故郷を憶い出す』 しんと静かな中庭、

Elle:「高い森」は訳が難しかったので「のっぽ」という表現がよかった。「空の果てまで」が故郷の空を思い出して、いつか向こう側に行けるような本当に遠いところまで来てしまった感じがあった。「儚さを帯びた冬色」は、儚さは冬の到来か。意図を聞きたい。
秋:
原詩に忠実。1句を句読点で区切り、対句で1行にしていてもとのかたちを大切にしているように感じる。奇をてらった表現などもなく、素直で素朴な訳。
みずたま:「のっぽな木々」がかわいい。「ぱらぱら」と横並びで柔らかで可愛らしい。漢字、ひらがな、カタカナの表記のバランスがよく配置されているように見える。
田村:直訳に近いので少し固いが、「ぱらぱら」「彷徨って」など、表記にこだわっているように見える。原詩の対句を表現していてよい。

作者:川辺せい
漢文の和訳は初めて。対句を崩さずに忠実に作った。どうやってオリジナリティを出そうか迷って、体言止めや形容詞の表現にこだわってみた。「儚さ」は、原詩に哀愁などの寂しさを感じたため、冬に感じる切なさを表現したかった。


『秋霖』 中庭は寂として疎雨は降り

是酔:タイトルがおしゃれ。「霖」は初めて見た字。文章は非常に真面目そうな作者の性格を感じる。「秋を連れてくる」など、しっとりとしたよい表現だと感動した。「心許ない灯り」も、寂しさが伝わってきて、単語1つ1つが勉強になる。
凰陽:
まずタイトルから素敵だなと感じた。漢文の良さを失わない言葉選びと、読んでて心地よい音の流れ。こんな語彙力を私も身につけたい。
月見里:歴史を感じるような言葉使いが古風で趣がある。言葉として分かりやすく、しっかり耳に入ってくる。詩に慣れた方の文章か。
秋:もとの直訳を自分なりに言い換えて表現するチャレンジ精神を感じた。少し詰め込みすぎな印象も受けるので、際立たせたいものを絞ってもよかったかも。
田村:古風で真面目な感じ。1句が5・7の韻律を用いているところが、切れ味が良かった。「心許ない」は灯りの表現でありながら、自分の感情でもある。ルビが多く、少し詰め込みは感じた。

作者:Elle
表現にとても苦戦した。直訳をそのまま持ってくると、直訳のままでもよくなってしまう。どう表現し直したらいいか悩んで調べて作った。詰め込みすぎて、読めない単語も多く使ってしまったので、フィードバックを次に活かしたい。


『雨夜』 父兄の雨は鎮まるも

月見里:言葉選びがとても格好良く雰囲気だけで男子は惚れそう。意味がわかりづらい言葉もあるがこれは意図的だろう。「四面楚歌」「衣繍夜行」から楚の項羽の話だとわかる。江東は楚に含まれる地域で項梁と項羽が決起した場所。 和訳が限定されると思って原文や作者をわざと調べなかったが、これが本当の意味か。原文は項羽のことを書いた詩かと思った。
Elle:とても格好良い。自分ではとても書けない。「格好いい」単語を使ってみても、単語と詩がうまく合わなくなってしまう。この作者は歴史に詳しく、いろいろ調べたのでは。難しい単語も多いが読者を迷子にさせず、読みやすかった。
ジェーン:単語1つ1つが格好いい。孤独や寂しさの中に凛とした高潔さを感じて素敵。
田村:文語調で書かれていて、画数の多い漢字をためらいなく多く使っていて、やり切っている感がある。四字熟語を分解して使っている点にも工夫がある。原詩の「天」を用いて圧倒的なものに伏している様子が感じられる。

作者:是酔 芙蓉
知識はなかったが、単語を調べるうちに項羽に辿り着き、諸々の意味を知った。中国にとっての青桐の意味などを調べ、自分なりにストーリーにしてみた。(以下、参考画像)


『雨夜の決意』 雨が降りしきる静かな夜、

みずたま:「耳をすませば、この北の地の心地よい」と「暖かな故郷」が対比。気温的なものだけでなく、「ぬりかえる」表現がすき。「ふと故郷を離れこの地に染まりゆく自分に気づく。」は自分では原詩からは読み取れなかった。染まりたくなかったのだろうか。
秋:自分を主軸において、「音」に着目して翻訳している。自身を主語にしていてテクニックを感じた。「」の使い方や「きく」の2種類の使い分けなど、工夫を感じた。「ふと」の順序は変えてもいいかも。
Elle:「暖かな故郷」は本当に温かいだけでなく、自分にとって温かい場所。「音」にしているため、その後の実際の音を強調しているように思えた。
田村:「音」は物理的な音、「」なしの音は心理的な音と感じた。芯の通ったポジティブな印象をうける。全体的に口語調なので、「冷たき」は少し浮くかも。

作者:月見里 望
自分が実際にそうしている光景を思って作詩した。ある雨の夜、北の地の音楽が澄んだ心地よい曲に聞こえるほど、この地に慣れ親しんでしまった自分に気づかされてしまったのではないか。まだ達成できていない本来の志を思い出し、自分の心に問いかけているのではと感じた。「音」を軸として構成した。


『ある青桐の木(雨夜)』 ある青桐の木は

是酔:全部好き。長さ、主人公を梧桐にしていること、ストーリーにすること、すべてやってよいんだと思った。中国の要素も入っている。改行が面白く、そこで切る意図や良さを感じた。ストーリーも最後、綺麗に終わっていて良い。
川辺:長さに驚いた。原詩を咀嚼して再構築した、二次創作みたい。長いし語り口も違うけれど、原詩からの内容の乖離はそこまで感じなかった。「和訳」って何なのかわからなくなった…。
秋:梧桐目線にするというのは自分も考えたが、うまくかたちにできなかったので勉強になる。ただ、これを翻案と呼ぶのかどうか、議論が必要かも。

作者:田村穂隆
原詩を踏み台にしてつくってみた。〈直訳〉の「寒色は梧桐を上っていく」の部分がとても身体感覚に訴えてくる訳だったので、木に身体感覚があったら面白いなと思い作った。「大きな川」「小さな村」、「晴れの日には〜消えるのを」「風の日には〜飛んでいるのをみた」の部分など、対句は意識している。調べてみたら梧はとても大きな葉がつく落葉樹とのことだったので葉を落としたいなと思った。


『雨の夜』 ぱらり雨 静かな夜に風は立ち、

ジェーン:ぱらり、かさりころ、など、口に出して読むのが楽しく綺麗な詩だった。耳心地がいい。「ぽつねん」の意味を知らず、調べてみたら孤独を感じさせる部分もあった。ただ、「優しい夜へ」など、柔らかな表現もあり明るさもあった。
月見里:詩的で雰囲気がすごく良い。言葉えらびの巧みさ、リズム感の良さ、ひらがなの使い方、間の取り方、全体のバランス、意味の分かりやすさなど、書きなれた人のイメージを受けた。 声を出して読むとやわらかい雰囲気で心地よい。詩とはこのように書くものなのだと思った。
みずたま:末尾の「~へ」が印象に残った。「ぽつねんと」「またたく」ひらがなを続けていく表記、句読点の使い方など、さまざまな技巧が散りばめられているなと感じた。作り慣れているように思う。
川辺:状態を表す言葉がオリジナリティがあり、「〜へ」の部分で早く先を読みたくなる。「えんえんと」は、長旅と泣きながらを掛けているか。「僕」で柔らかな印象になっていて、自分もそうすれば良かった。
Elle:「、」の意味や意図を知りたい。ない方が読みやすいかも。
田村:オノマトペのオリジナリティがある。「ぽつねん」「えんえん」オノマトペじゃないけれど、オノマトペっぽくて面白い。5音と7音になっていて、韻律への強い意識を感じる。最後7・7で終わっているので長歌のよう。2行目、3行目の「、」はない方がいいかも。巧みに作られているが、構造や技術を優先して作っているので少し窮屈。

作者:秋
できるだけ原詩を尊重し、韻律などを活かしたかった。偶数句の最後の韻を「〜へ」で統一させることで少しでも表現できないかと思った。昔を思い出しながら眠りに就くイメージで、詩の視覚的な表現も意図した。「えんえん」が泣いているように捉えられるのは想定外。窮屈さは確かに感じるため、推敲したいところ。


『雨夜』 しとしとと雨が降り、

川辺:オノマトペが印象的。前半と後半で時間経過を感じた。「ラジオ」で現代になっており、イメージがしやすい。
凰陽:擬音語がたくさん散りばめられて、難しい漢文がちょっと身近に感じられた気がする。あの直訳から3文目からの情景が浮かぶ想像力がすごい。
秋:漢詩の翻訳だと中国のものを出さなくては、昔でなければと思ってしまうが、それを現代に変換する試みがよかった。
Elle:「ひたひた」など、とてもよい表現。じわじわと地面から伝わっていく感じがよかった。オノマトペを使うという発想がなかったので、使われるとこんなに柔らかくなるのだなと思った。
田村:「ひたひた」というオノマトペは独特で、冬が近づく音として用いられるのが特徴的。「唄」は昔の歌謡曲を連想した。「帰り煩う」は初めて聞いたが、複雑な気持ちを説明しすぎず表現していて巧み。

作者:ジェーン
「音」に着目して作った。「ひたひた」は15~20ほど候補があって最後まで悩んだ。時間の経過について、前半と後半で過去と現在にしているのは意図的。父が満州で豊かな生活と、終戦を迎えて事態が一転し残留孤児になりかけた経験をしている。戦時中、日本が苦しいにも関わらず自分は豊かな生活をしていたことへの罪悪感があり、晩年はラジオで「リンゴの唄」を聞くたびにその話をしていた。前半が過去の話で満州に向かう時もそして日本に帰ってくるのも秋の終わり、初冬だったとのことで過去を表現し、後半は晩年の父の部屋(現在)を表している。


『夜長』 夜遅く庭に佇み音を聞く

ジェーン:「音」にポイントをおいている。擬音語がなくても、情景がわかるように説明されている。「ランプは私を孤独にさせる」「~さえも」が孤独を的確に表現している。最後の1行で孤独すぎず柔らかな印象をもつ。「ソファ」や「ランプ」が現代的。
みずたま:
5・7などリズム感がよい。イメージしやすい言葉選びで、親切だった。
秋:最初に5・7・5に始まって途中で変わるので、最初のリズム感の良さから入って読みやすかった。歌詞のようだった。
田村:最初は5・7・5で始まって「隣家の音さえも」でリズムがゆるむので、そのゆるみの余韻を活かすために「〜孤独にさせる/隣家の音さえも」で改行を入れてしまってもよかったかも。「ランプは私を孤独にさせる 隣家の音さえも」の表現は、なかなかできない。

作者:凰陽 晶
ほとんど直訳みたいな詩になってしまった。音の流れを意識したが、どうしても余ってしまって難しかった。皆さんの詩を見て、もっと枠から外れても良かったかなと思った。


『早ヨ帰ランカ』 風ノマニマニ

月見里:リンリン、ポツポツなどのオノマトペを使うなど、古風でレトロ感がある味のある詩。自然の音が「故郷に帰って来いよ」と聞こえる様を表している。文字数が少なくシンプルでわかりやすい。タイトルに驚き、全体にカタカナを使っていることに驚き、言葉遣いに驚いた。雰囲気としてはかなり好き。
是酔:カタカナから古さを感じた。声にすると面白く、音を大事にしている。前半は楽しそうで子どもっぽい、後半は大人っぽいので、成長したことを感じた。「早ヨ帰ランカ 淋シカロウニ」の印象が強く、どきっとした。「木モ葉モ枝ヲモツレテ」はどこで切れるのか。
秋:井伏鱒二のオマージュか、挑戦的でとてもよかった。「早ヨ帰ランカ」は強すぎるかもと思ったが、強調したい部分なので強すぎるくらいでもよいなと思った。ふりがなもカタカナにしており、世界観のこだわりを感じた。
ジェーン:強い言葉である「早ヨ帰ランカ」の後に「淋シカロウニ」が入り、和らげられていて愛らしく読めてよい。
田村:先行作品(井伏鱒二の漢詩翻案作品)の方法論を自身の作品でも実践しているところにチャレンジを感じる。情景描写からの最後の1行に言いたいことを固めておいていることで際立っていて巧み。「木モ葉モ枝ヲモツレテ」は漢字にすると分かりやすいが、「連れて」だと少し現代的な印象になるかも。

作者:みずたま
思っていたよりも自由につくっていいんだなと思えた。事前資料を読むうちに井伏鱒二の訳だけがピンときて、「風のまにまに」が頭に浮かびそこからつくった。何度も考えた上で、カタカナ表記でリズムを合わせる井伏鱒二の訳をベースにした。前半・後半の子ども・大人の部分は自然とそうなってしまったもの。「木モ葉モ枝ヲモツレテ」は「連れて」。原詩が1句ずつ音や情景、視覚、行動や心を表現されていると思ったので再現した。


感想

・人それぞれの違いがあって面白かった。歴史に入り込んでしまった。
・漢詩=古いものと思って歴史を調べていたが、現代のものを取り入れている詩をみて自由でよいなあと思った
・自分なりに表現する勉強になった。詩へのハードルが少し下がった。
・どこまで自身の個性を出せるかが大事なのだなと思えた。
・もっといろんな詩を書いてみたい。純粋に読者として楽しかった。


提出された詩の一覧

しんと静かな中庭、ぱらぱらと響くまばらな雨音。遠くの風を受け止めてそよぐ、のっぽな木々。

清(さや)かな秋の声はこおろぎの声に連なって、儚さを帯びた冬色がアオギリの木をのぼってゆく。

低い寝台には、煌々としたあかりがひとつだけ灯っていた。村からは、澄んだ胡茄の音色がかすかに聞こえる。

私は空の果てよりも遠いところを彷徨って、長らく家に帰っていない。こんな夜は、故郷のことを憶い出してしまう。

『雨の夜、故郷を憶い出す』川辺せい

中庭は寂として疎雨は降り 色なき風を、森は甘んじて受け止める
秋を連れてくるこおろぎは いずれ梧を枯らすだろう
心許ない灯と 雨風に混じる胡茄の音
今は戻れない遠き故郷へ 今宵は想いを馳せる

『秋霖』Elle

父兄の雨は鎮まるも
仇(あだ)を風に背負いし我は

故軍(こぐん)を率いて咆哮(ほうこう)し
赤羽(あかばね)摘まれて寒冬至る

四面楚歌とはこれたるや
禊(みそぎ)の酒に涙を流す

衣繍纏(いしゅうまと)わず夜行かず
故郷背にして天に伏すなり

『雨夜』是酔 芙蓉

雨が降りしきる静かな夜、
部屋に小さな明かりを灯し「音」を聞く。
木々は風で擦れ合い、
虫の音とともに秋の気配を奏でる。
遠方から吹く冷たき風の音は響きを増し、
それらを冬へと塗り替える。
耳をすませば、この北の地の心地よい
澄んだ音色が聞こえる。
ふと故郷を離れこの地に染まりゆく自分に気づく。
暖かな故郷を思い出し、
信念を忘れぬよう心の音を訊く。

『雨夜の決意』月見里 望

ある青桐の木は秋の夜の雨にうたれながら
自らの思考が
かつてなく透明であることを自覚した
そして
人間の男が彼の枝をひとつ
切り落としたときのことを
思い出した
男は
笛をつくるのだ
と言って
それからというもの青桐の木は
笛の音を聞くたびに
腕が痛むのに耐えねばならなかった
枝を切られてはじめて
自らが観念的な腕を持っていたことに気付いたのである

多くの樹木たちにとって
自身が種であったころのことなどは
ひかりの靄の向こうがわ
それが過去のことか未来のことかどうかも
彼らにはわからないのであったが
その雨の夜
あまりにも思考が透き通っていたので
青桐の木は
そのことについて考えてみようと思った
わたしが種だったころ
大きな川と
小さな村が
近くにあった
晴れの日には
太陽のこどものような白いひかりのつぶが
川面にちらちらと生まれては消えるのを
風の日には
ひとひらの葉のようにうすくかるい鳥が
影だけになって飛んでいるのをみた
夜になると
村ではひとつの灯りを中心に
ひとびとが踊りだす
ああ、そうだ
そのころのわたしは
笛の音がいっとう好きで
種のからだをふるふるとゆらして
いっしょにおどっていたのだった

あの川辺からとおくはなれて
いまどうして
ここに根を張っているのか
わたしの腕で笛をつくった男は
とうの昔にどこかへ行ってしまった
男は旅立つとき
わたしに
故郷へ帰る
と言った
ふるさと
そうか
わたしにはもう
おどることも
ふるさとのあのかわを
みることも

青桐の木は
腕の痛みに全身を震わせて
つぎつぎに
そして最後のいちまいが
落葉した

『ある青桐の木(雨夜)』田村穂隆

ぱらり雨 静かな夜に風は立ち、森の袂へ
かさりころ秋の声たち 露は木を、伝って冬へ
ぽつねんとまたたく灯り 笛の音は、こちらのほうへ
えんえんと旅の道中 目を瞑り、
僕はいつかの優しい夜へ

『雨の夜』秋

しとしとと雨が降り、ゆさゆさと木が揺れる
はらりはらりと葉が落ちて、ひたひたと冬が近づく

橙色の灯の下で、窓辺のラジオから流れるあの唄に
帰り煩う故郷を想う

『雨夜』ジェーン

夜遅く庭に佇み音を聞く 疎らに降る雨 遠くの風
秋を伝えるコオロギに 夜露は枝木を染めている
小さいソファは窮屈で ランプは私を孤独にさせる 隣家の音さえも
長らく故郷に帰っていない 今宵は江東に想いを馳せよう

『夜長』凰陽 晶

風ノマニマニ ポツポツ雨ト
リンリン 木モ葉モ枝ヲモツレテ
ヒトツ灯レリ 胡茄ノ音キケバ
早ヨ帰ランカ 淋シカロウニ

『早ヨ帰ランカ』

みずたま


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