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金魚文明から逃れる(読書記録)

『スマホ・デトックスの時代 「金魚」をすくうデジタル文明論』(ブリュノ・パティノ著、林昌弘訳、白水社)を読んで。


⚫︎きっかけ

立ち寄った本屋で開催されていた『〈6社共同〉「世界のノンフィクションがおもしろい!!」フェア』にて取り上げられていた本。

原題の「金魚文明」の意味(デジタル文明のどういった側面を指しているのか、なぜ金魚なのか?)や、表紙デザイン(黒い背景に尾鰭の優雅な赤い金魚のコントラスト)に興味が生じ手に取った。

なんとなく自分のスマホ使用状況に危機感を覚えていたのも、意識にあげないようにしつつも理由の1つだったように思う。
(依存というには抵抗がある。けれど、本書を読んであえて依存・中毒と呼んで然るべき姿勢で臨むことが必要と認識した)。


⚫︎内容


書かれている内容は、収益構造、行動心理やUI/UX等の面から、デジタル世界が如何に利用者から関心・時間を奪う(中毒になる)ものなのか、どうして民主主義や連帯の深化といった設計時の理想とは異なる世界となったのかの説明、そして、その支配からの脱却への策の提示。

デジタル世界は拡張しても利用できる時間は増えず、時間の重要性が増し、サービス提供側にとっては、関心を呼び起こして使用時間をのばすことが課題に。

提供側には個人の利用データが蓄積され、標的を絞った広告配信やサービス利用促進がなされ、個別化された環境が的確に関心を呼び起こし益々時間を奪っていく、という利用者にとっては負の連鎖(企業にとっては収益構造)。

カプトロジー、ダークデザインといった利用者の関心を獲得する術は磨かれ、利用者は意思を曲げられ依存に陥りやすい環境に接している。

関心を呼び起こす過剰な刺激に時間を奪われる他、アルゴリズムによるデジタル世界での自分の期待に応える環境下での活動は個別の現実を生んで人類の連帯感を損ない、
感情的な情報や極端な情報が優先されるプラットフォームのアルゴリズムやデジタル世界との関わりに働く認知バイアスにより、期待されていた開かれた討論の場・集合的知性の働く場としての機能も損なわれている。


感想として、
一連の収益構造の中で自分が実感できたのは「誰でも発信できること」と「中毒性」。
「誰でも」が、逆に、目にする情報が偏りなく発信されたものだと(お金がかけられて目立っているわけではないと)の認識を生み、巧みに情報の性質を隠している面がある、など、知識の無さが自分をより「鉢」の中に閉じ込めていることを自覚してぞっとした。

収益構造・心理学やUI/UX等、多様な要素が絡むデジタル世界の有様を知り、自分の立ち位置・スマホを使うこの時間が収益に組み込まれている、という俯瞰的な視点を得て、デジタル世界のみでなく無意識の怖さを思い知らされた。

⚫︎金魚文明に思うこと

筆者は、人間のデジタル世界への中毒や、利用者個別の環境世界が作られその内で活動するようになる状況を鉢の中の金魚に例えている。

補遺の「鉢での飼育は金魚の死亡率を上げ、社会性を破壊する」との言葉からは、現デジタル世界への筆者の危機感の強さが伝わってくる。

現デジタル世界に自覚なく生きる1人1人が鉢の中の金魚。

金魚に関連してショッキングだったのは、金魚は記憶力・注意力をほとんど持たず、注意持続時間は8秒間。一方で、ミレニアル世代の人間の注意持続時間が9秒間であり、1秒しか差がないこと(他動物の持続時間がわからないので、この差を相対的に捉えきれていないとは思う)。

ネット上には、人間の注意持続時間は金魚より短いとしながら、動物と比較した長短よりも昔と比べて持続時間が短くなっていることを重要な点として指摘する記事もあり、身近なスマホ利用への危機感を強めた。

金魚文明から逃れるためには「アクセスを切断できるか」が鍵だそう。
ちょっとした節制が「自己の存在の奪回」になる。
心したい。

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