見出し画像

絶対に怒らないでください

あるビルの出口から意気揚々と出てみた。
足取りは自然と軽かった。だからいつも以上に胸を張り、腕を振ってみたんだ。

それまで居たのは「歯医者」だった。
え? 歯医者から意気揚々と出てくるなんて馬鹿じゃないの?
バカにすんなよ、これは偉大な偉大な達成だったんだぜ?

この世で一番キライなものは歯医者だし、自分の1番のコンプレックスは口腔内環境だ(ちなみに自分の体で一番自信のあるところは足の裏。いらん情報)
だって昔から歯医者に行くと、苦言か叱責しか浴びてこなかったから。

磨きにくい歯並びで、虫歯も出来やすい。
幼少期から怒られてきたトラウマのせいで、すぐに行かないものだから、歯医者は「もっと早く来い」「ちゃんと磨け」と怒られる場でしかなかった。
待合室で診療を待っている時はビクビク、会計を待っている時はギラギラ。物腰が柔らかいと言われることが多い僕も、ひとたび歯医者に入れば「15の夜」。
歯医者を出ればまた放浪の旅、次来る時は痛みに我慢できなくなった時。けっ、絶対帰ってくるものか! イキッた家出少年。


それが、なんと今の歯医者には5年近くも定期的に通えている。本当に不思議なことに、穏やかに(というか、おとなしく)。
先生の腕が良いのもあるし、スタッフもみな優しい。もしかしたら、クリニックが患者を叱責するような時代が、いつの間にか終わっていたからかもしれない。

ただ、この環境を作るために僕がしたことが1つだけある。
それは5年前のよく晴れた暑いくらいの春の日のこと。ちょうど今日のような陽気だった。
昨晩から続く前歯の痛みに悶絶しながら辿り着いたのが、今通ってる歯医者だった。
歯の激痛は頭へと胃へと放散するようだった。受付で渡された問診票を半ば朦朧状態で書き殴った。氏名住所や症状など最低限のことを書き終えて、ふと紙面の一番下を見やると、そこに或る文言を見つけた。

「ほかに何かご要望があればお書きください」

僕の手は祈るように

「絶対に怒らないでください」

と、書きおくった。
その時、僕はすでに30歳を過ぎていた。恥ずかしいことかもしれない……きっと恥ずかしいことに違いない。
しかし問診票を受付に提出した時、わずかに歯の痛みが和らぐかのような、安心感と、充足感を得たのをよく覚えている。

治療は簡単に終わった。
いっさい怒られることなく。

それからその歯医者には3ヶ月に1度、定期的に通っている。虫歯を見つけられるたびに「またかよ?」という気持ちが起こるけれど、重篤化する前に簡単に処置をしてもらえている。
放置していた親知らずも、そこで全部抜いたんだぜ?(ドヤ顔)

今日、歯周ポケットのチェックと歯石除去をしてくれた衛生士さんが、一瞬怒りたげな顔を浮かべたように見えた。でも優しく言ってくれた。「ここを磨くのが苦手みたいです」「ここは縦に磨いてください」と。
5年も通っているのに、僕の口腔ケアは完璧にはならないんだ。やっぱり恥ずかしい。僕は苦笑いで返した。

しかし僕の中の不良少年を炙り出さないよう配慮してくれていることはとてもありがたい。手間をかけさせて申し訳ないとは思うけれど、それをされたらまた僕は家出してしまうかもしれない。。。
そんな歯医者との関係の変化がなんだか可笑しくて、気付いたら意気揚々と出口を通り抜けていた。

たぶん、色んな世界、色んな業界に、それぞれの模範や理想がある。彼らが発信するものはそれらに基づいていて、受信する我々の思考もそれに準拠している。
でも現実はその通りにはいかない。うまくいかないのが現実だ。だからどこかで「折り合い」を見つけていく必要がある。

大キライな歯医者と、大キライな自分の口の中との関係に、折り合いをつけた言葉が「絶対に怒らないでください」だったのだと思う。
これほどの祈るような弱音は、もしかしたら今後も吐き出すことはないかもしれない。
でも長い人生を考えたら、すごい良い経験だった。それはこの言葉が、抱えた重荷を下ろす際や、重荷を背負いすぎないための言葉に連なる、という意味で。

「僕には無理です」
「助けてください」
「休ませてください」

僕はきっとこれからも弱音を吐く。歯医者でも、職場でも、家庭でも。だからその分、他人が弱音を吐くときに、受け止めてあげられる人でありたい。

絶対に怒らないでください」は歯医者キライな僕を5年間1か所に留めた言葉。折り合いをつけてくれた大切な言葉。
たぶんコレって、その時の自分から出てきたものじゃなくて、ギラギラしてた10代の自分が必死に隠し持っていたものだったんじゃないかな。

その言葉を引き出してくれた
ほかに何かご要望があればお書きください
にも感謝を込めて、ここに書き残しておきたい。


ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!