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思うまま

ここ数日連続で、詩を投稿し始めました。
どうした?って思って、離れた方もいらっしゃるでしょう。


昔から思いついた言葉をメモにするだけで終わり、形として残してこなかったので、せっかくここも始めたから投稿していこうかなと思って書き始めました。

今になって始めたきっかけは、最近ずっと気持ちのモヤモヤ、息苦しさが取れなくて、カウンセラーみたいな聞き方のできる人に私のセクシュアリティ(アロマンティック/アセクシャル[細かく説明するとデミセクシュアル])も含めて、自分が考えてることやモヤモヤが何かを相談してみました。

aro/aceのことについてドキドキしながら伝えたら、あぁ、最近それよく聞くね(終)と流してくれたので、気分が楽になって話を先に進めることができました。


aro/aceを知って自分がどんな感覚を持っているかの自覚ができて、最近ドラマや映画が増えて似た感覚がある人がたくさんいることも前よりわかって、まだまだ全体に知られていないのかなとは思いつつ、でも良い状況には進んでると思って毎日を過ごしているうちに、ふと無意識に湧き上がる色んな気持ちについて、"アロマンティックなのに"この気持ちは何?とか、モヤモヤすることも増えました。


本当にごく稀に、とある人がいたとして、無条件に、その人がひとりがつらい時や精神的にしんどくてどうしようもない状況に陥ってしまったら、隣にいてあげたい、何かできることがあったら手伝えることはないかと聞けるぐらいそばにいたいと思う気持ちになることがあって(わたしの場合は相手の性別関係なし)、これは恋愛なのか友情なのか家族的な愛情なのか何なのかがわからない、もし恋愛だとしたら、アロマンティックと自認したけどそうじゃないのか?、とか、深く考えすぎて息苦しくなっていました。(※追記:とある人とは仮の話です。)


そのわからない気持ちを相談したところ、湧き上がった気持ちにいちいち名前をつけて動こうとするからしんどくなってる、自分がどう思ったか、こうしたいと思いついたらそのまま突っ走っていいんだよ!と言われました。

"わたし"が取った行動に対して相手がやめてと言うか言わないか、それを見聞きした周りの人がどう思うかまで気にしているから何もできなくなってると。

なるほど、と思って聞いても、じゃあ、私はどう言葉にしたらいいのかなとか、またそこでぐるぐる考え始めてしまい、その様子を見たその人に、『あなた一匹狼で超博愛主義の自由度高めなタイプなのに、まわりに合わせようとしすぎてがんじがらめになってるよ』と分析されて、
(そう言われればそうです群れるのが苦手なんですでも一応社会人として基本のルールは守りたいし会社という組織で働けてるしまあでもズバリ言われたらやっぱり変なやつ…自覚できてるつもりでした…)、
昔から好きだったこととかやりたかったけど途中で諦めてしまったこととか思い出して、動いてみたら息苦しさがちょっと楽になるんじゃない?とアドバイスしてくれました。

年齢が、とかも気にしないで、やってみる!これだけ!と気合いを入れられました。手始めに、まずモヤモヤする気持ちを言葉で表すことから始めてみました。

つい最近、舞台ケンジトシという宮沢賢治さんと妹のトシさんを中心に描かれた作品を見て、宮沢賢治さんが心象スケッチと書かれていたのを思い出したのも、詩を書いてみたくなった理由の一つです。(ケンジトシ、めちゃくちゃ素晴らしかったです)
風景や人物を絵に描いたり、写真や映像に残すように、湧き上がった気持ちをスケッチのように言葉に残すって面白そう。

詩人やいろんなアーティストの方々の言葉を読むのが好きだから、自分で書いてみるとどんな思考になるのかも興味が出てきました。まだ投稿したのは2回ですが、書き出す行為は、より気持ちと言葉に集中することができて、あと書いたものを客観的に読んだ時に、想像していなかった雰囲気に変わったりもして、とても面白い作業です。


セクシュアリティの話に戻りますが、アロマンティックアセクシャルについて調べていた時に、その感覚はいろんな経験を経て揺らぐことはあると書かれていた記事を読んでいました。

人と違う感覚があることについて悩む人たちとつながったり、一人じゃないと知るために、社会生活をしていく上で知ってもらうために、民族、言語、セクシュアリティやジェンダー、その人のアイデンティティを名乗ることはとても大切です。

でも、自分の感覚はこんな感じだと人との違いを自覚したとはいえ、その時点で"わたし"というものをパッケージみたいに固めすぎてしまって、大きなストレスになっていました。

毎日同じように過ごしていても、基本的な考え方の土台は変わらなくても、季節とかすれ違う人から受けたことで、気がつかないうちに色んな感情が増していく、逆に前はこうだと思っていたことが気にならなくなったり、少しずつ変化しているんですね。それは自分だけではなくて、まわりにいる人も。


気持ちの変化、見聞きしたことを観察して残す。
しばらく続けられそうな楽しみが一つ増えて、ちょっと息がしやすくなったように思います。