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平凡な舞台俳優が海を渡ると決意するまで (前編)


海外に拠点を移す話をすると「日本の演劇界が嫌になったの?」と聞かれることがたまにある。だけど僕にそんな気持ちは1ミリも無い。

幸運なことに僕は今まで素晴らしい俳優・演出家・制作者・スタッフの方々と仕事をする機会に恵まれてきた。デビュー後2年も待たずに大手事務所を退所した後も、直接出演依頼のお声がけをいただいた。本当に感謝しかない。
将来的にまた日本でも舞台や映像作品に携わりたいと思っているし、むしろその時のためにスキルアップ・スケールアップしなくてはと思って日々を過ごしている。

ただ、日本と海外と比べた時に「5年後の自分を想像できない」のが後者だったのだ。
よりワクワクする方へ
単純にそれが理由だった。


ー「俺が英語喋れたらすぐにでも行くけど」ー


東京の演劇学校に通っていた時から漠然とした海外志向があるにはあった。けれどそれは「堅実に日本でキャリアを積んだあといつか」という程度のしょぼい解像度。キャリアを歩み始めてからそれをグッと鮮明にしてくれた出来事がいくつかあった。
今回はその1つ目について書こうと思う。

演劇学校を卒業して間も無く、舞台『ヘンリー5世』(新国立劇場、2018年)に出演した時のこと。共演者に俳優でミュージシャンの岡本健一さんがいた。実は健一さんには演劇学校1年次からお世話になっていて、共演はとても嬉しい出来事だった。
公演期間中のある日。開演前の楽屋に来た健一さんが「レオ英語できるでしょ。ちょっと本番終わり付き合ってよ」と言う。嫌なはずもなく即OKしたのだが、詳しく聞くと「うちの息子に稽古つけるから」と言うではないか。

健一さんの息子の岡本圭人君は当時アメリカ演劇留学準備中。世界から受験者が集まる名門演劇学校の入学試験は当然狭き門だ。そこで健一さんが受験用の英語モノローグを指導するという。
彼らのファンなら失神モノであろう親子の空間に初めましてのボク。(絶対圭人君やりづらい…)と思いながらも(ここにいる権利をオークションに出したら幾らだろう)なんて呑気なことを考えていた。
でも真面目な話。築いたキャリアをリスクに晒しながらも、そして(彼は何も言わないが、)メディアに好き勝手書かれながらもアメリカ留学を選ぶ同い年の圭人が、僕にはとても眩しく見えた。

その(若干居心地の悪い)稽古終わりに健一さんがさも不思議そうに僕に聞いたことがある。

「レオは海外でやらねーの?俺が英語喋れたらすぐにでも行くけど」

ハッとした。「何のんびりしてんだ俺」と自分が恥ずかしかった。
その時は腑抜けてて健一さんにはまともに返せなかったけれど、僕の心の中で確かに何かが動いた。

健一さんのことだから、僕を稽古に呼んでくれたのはこれを見越してのことだったかもしれない。まぁ例え聞いても「覚えてねーよ」と言われそうだけれど。
ちなみに圭人(親愛と尊敬の呼び捨て)は当時既にブロードウェイを席巻していたミュージカル「Dear Evan Hansen」と健一さんが過去に演じた「リチャード3世」からモノローグを選んでいた。親子の稽古は、なんだかとっても良いモノだった。

(後編に続く)

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