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中立とは何か

 こんにちは。ローヴェです。

 昨日、投稿したかったのですが、少し疲れていたので、今日の投稿となりました。

 さて、今日の記事のテーマは「中立とは何か」です。

 「中立」ってなんとなくフェアなイメージがありますよね。偏ってなくて信頼できそうというイメージ。僕ももともと「中立」でいることはいいことだと感じていました。

 でも本当にそうなんでしょうか。

 まず、「中立」と見られているものが、本当の意味で中立でないことがあると思うのです。よくあるのが性差別の問題で、「女性もしんどいかもしれないが、男性だってしんどい」といった言説が「中立」だとみられるといった事例です。これは、圧倒的に男性の側に特権が集中していて、男性と女性との間に非対称性があるので、到底、中立とは言えません。

 もう一つあって、そもそも中立を求めることに正当性がない議論も存在します。例えば、人種差別の問題。人種差別をする側と人種差別される側について、される側にも問題があるといった言説や、する側される側の両論併記すべきだといった言説は果たして正当性のあるものでしょうか。「差別がなぜいけいないか」という議論はそれだけで記事になりそうなので、今回は脇においておくとして、「差別はいけないもの」なのでそこに中立を求めることはあり得ないと思います。

 考えてみれば当たり前のことなのですが、これらのことは昨今の「中立は善」といった風潮のせいで覆い隠されているような気がするのです。もっとも、「中立」を表明することは、ある議論について立場を示さないようにも見えるのですが、その議論において非対称性が存在する場合や、そもそも中立を求めることがナンセンスな場合は、「中立」を表明すること自体が偏った意見表明になってしまうことだってあるのです。たちが悪いのは、「中立」を装っているがゆえに立場が曖昧になっている上、その意見がフェアに映ってしまうことです。

 本当は数多くの具体例があるので、具体例を載せたいのですが、多くの場合は取り扱うのが難しい問題が多いので、今回は抽象的な内容に留めておこうと思います。また、もう少し勉強してから、具体例についての記事を書きたいと思います。
 ここまで読んでくださってありがとうございます。次回もお楽しみに。

【まとめ】
・「中立」ときくとフェアなイメージがあるが本当だろうか?
・非対称性が含まれる場合、そもそも中立を適用するのが正当でない場合、中立を取り扱うのには注意が必要。
・「中立」を装う言説の裏にはどういう意図があるか考えてみたい。


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