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そして、学校を辞めた

手続き

 結局、我が子は2学期限りで学校を辞めることになった。正式に転出の書類を記入し、大量の荷物を持って帰ってきた。これだけたくさんの荷物を抱えて、この子はこの学校で一生懸命、頑張っていこうと思っていたのかと思うと、ただただ泣けた。

 管理職の先生はひたすらに謝っていた。そうするよりほかないのだろう。私たちが訴えた加害者に対しても、一部の子どもたちに対しては保護者も含めて指導は続けているという。それをこの転出の手続きの時に聞かされても、もう遅いし、どうしてもっと早くそれをしなかったのかということは改めて問うた。

 そして、死ぬほど恨んでここを去る者がいるということをわかってほしいと。うちの子が急にいなくなってから、正直にことの顛末をクラスの子や保護者に話せるのかと。話してほしいけど、それは学校の判断なので、とも言った。たぶん、言わないだろうな。いなくなったら関係ないもの。ようやく厄介払いできたくらい思っているかもしれない。

 「祈っています」という担任の手紙。その後の郵便物でも「また会いたいとみんな待っています」とも。電話では今まで、そのことについてはあえて触れなかったけれど、今日は私ももう最後の機会なので、釘を刺した。

 「何も子供達が変わっていないのに、会いたいっていう意味が分からない。それにほだされて行ったら、また同じ目に遭わされるんですか。とんでもない」と。管理職は「でも、そう思っている子がいるのも事実なんです」と言う。そりゃ、そういう子もいるでしょう。ただ、そういうような子はそもそも、加害者にはならない。うちの子が学校に行けなくなってしまったことに、胸を痛めてくれているかもしれない。問題はそうじゃない子どもたちが何も変わっていないということなのに。

 今回も担任から手紙を預かってきたという。ただ、私が解決もしていないのに、会いたいとか一方的に押し付けるのは理解できない、と言ったから、そういう趣旨が書いているので、お渡しはどうしましょうか、と問われた。迷わず、今は受け取れませんと拒絶した。うちの子がいなくなって、みんなに本当の事を話して、それをみんながどう受け止めたか。心の底から自分たちの愚行を悔い、改めたいという気持ちが芽生えたとみえるなら、そのとき、それでも担任がうちの子に言葉をかけてあげたいと思ってくださるなら、その時初めて、筆を取っていただければとお願いした。

 そんな勇気も覚悟もきっとないだろうな、と踏んでいる。それができるなら、こういうその場しのぎの対応で、ただただ傷つけて終わる、ということはしなかったはずだから。でも、残る人々はそれでいいと大半が思っているだろうし、そこに折り合いをつけられなかったうちは、身を引くよりほかないのだから。

 こんな思いで毎日、悲嘆にくれてきたけど、年明けからは新天地でやり直せるチャンスをいただいた。うちが抱えてきた悩み、絶望、怒り。そうした澱を全て聞いてくださり、うちの子の存在を認めてくれて、預からせてほしい、と言ってくださったところがあった。子供もとても前向きになり、はやくそこに通いたいと切望している。

 今度こそ、安心して過ごせる居場所になってほしい。


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