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残暑お見舞い申し上げます。

最近の話。

 



熱中症になりそうに

なかなかどうして、うさぎがいるとクーラーは必須なのですが、私はウサギ温度は寒いですし、クーラーも本来苦手です。真冬の息が白くなるくらいの透明な寒さは好きなのに。
それでクーラーをつけっぱなしにして、鎌倉スワニーのセールに二日続けていったのが良くなかった。暑い暑いと思いながら、普段水分を人よりとる私が、朝から午後まで一滴の水も飲まず、しかも布は重いので、その疲れがすごかったのが二日も続いたのですから。そして家に帰れば、寒いくらい。リビングはウサギ専用。私の部屋はむしろ扇風機もなく、ピアノ防音もここに引っ越してきたときに2畳用というものにアップライトを入れたのでクーラーがミニ。そのミニが実はほぼ壊れていて、送風のみ。本来夏は創作に向かないという意味で作曲はしないのですが、ピアノは弾きたくて、その時はウサギのクーラーを全室に渡るくらいに冷やして。(なんということ!)
夜寝る前は、ベッドの部屋は除湿して消してアイスノン枕をして眠るということだったのですけれど、それでも今年は2時間と眠れない。これがたたったようで、ある日、夜中に吐き気、足のしびれ、体温がままならない(寒いのか熱いのかもわからない)目がちかちかする。そしてうさぎのいるリビングに。冷蔵庫のよう・・・。少し呼吸が楽に。そしてこれは困ったと、天然塩を直接舐め、「しょっぱいどころか、おいしい~」とそして常温の水をたくさん飲み、念のために買っておいたOS-1を飲み、へその下にホカロンをし、リビングで横になっている間に、寝室を冷やしていた。
どうも、寝ている間に、ずいぶんと寝室が熱くなっていた模様。

友達にすでに熱中症になった子がいたおかげで、天然塩を舐めて水を飲むという初期治療?がよかったようで、そして近くの土壌改良されていないところの農家さんのしょっぱい梅干を一つ食べたのもよかったのか、足のしびれが、3時間くらいでなくなった。

風邪薬というのを初めて飲んだのは40代かな。
今回も飲んでみたら、頭痛が消えた。対処療法とはいえ、2か月くらい続いていたので助かった。
しかし、風邪は原因がわからんのだから、薬というのは・・・。

子供のころは体が弱かったのでよく病院に行っていて、大学生のころ入院した時に、やはり病院というのはちょっと違うなと自分の中で確立したものがあり、すぐお医者さんになどと思わなくなっているのも良いのか悪いのか。
親戚に医者のグループがいるけれど、彼らの中で唯一信用できる人に聞くと「風邪の時は、栄養あるもの食べてねてりゃいい」といわれて、そういえば知り合いのチェリスト君が風邪ひいたから餃子を作って食べて寝たということをいってたわ!といったら、「そう、ニンニクやショウガは一番いいんだよ」と。
私は、昔から熱が出たら早く寝なさいと母に言われ、風邪で病院などという発想は持ったことが無かったので、10年前くらい??から、風邪やインフルになったら即病院へという知り合いを見ると「絵?大丈夫?熱があるのに歩くなんて」という感じなので、医者とは縁遠いのですよね。そして風邪の時は、いきなり38,39度出たら、ひたすら寝て、汗をかいて、母が擦ってくれたリンゴと、ぬるいはちみつレモンを飲むだけ。自分もよーし!この床に足がしびれる感じ、頭が氷枕に沈む感じが過ぎれば治るんだから、熱よウィルスをやっつけてくれ~とひたすら寝たのでした。熱が下がればあとは、鼻と咳がでて(それは戦ってくれた汗ということで)でも咳が一度止まらなかったことがあってその時だけ医者に咳止めだけもらったのですよね。懐かしい。
熱中症から話がそれたが、熱中症はそれでも最近は危険だと思うわ。ウィルスとは違うから。年々マメに水を飲もうと思ったのと、朝一粒の梅干し!
これ、お空に行ったおじさまに、「朝きちんと食べてますか?」といっていた私なのにと、クスッと笑ってしまう。
日本も、ある意味「我慢が根性」というのがだんだん薄れてきて、間違った意味での「我慢」は暑さに限らず、ストレスでもなんでも結局いつかは曝露してしまうという感じがする。

ドラッグストアでは、100円くらいでパン!と叩くと一瞬で冷たくなる袋が売っていたので買っていたのですが、ある時棚から落としてしまって「あちゃ~」とおもったら、みるみる冷たく。
これ、脇に挟んだり、首の付け根に歩きながらでもいいかもねと思いました。
本当に皆さん、残暑の中油断せず気を付けてくださいね。(誰に言ってる)


色々読書


今、精力的に訳していらっしゃる松本侑子さんの赤毛のアンシリーズを、再読しています。「赤毛のアン」というと少女の話よね~と思うでしょうが、もちろん私もオカルトが好きな時に、息抜きで読んでいました。が、彼女の訳している(今、日本初の全訳している最中、しかも文庫で)赤毛のアンシリーズ。歴史、文化などなどとにかくすごく詳しい。むしろ海外文学やる人は、この方のアンシリーズを読めば、その訳注など、すごい発見があり、彼女一人の訳業のエネルギーを、ある意味簡単にいただけるのではないかと思います。村岡花子訳で育った私だったので、ある時から、違う翻訳者さんが出してるな~と以前思いましたが、その時は手にしなかったのですが、文春文庫で今刊行中のを試し?に手にしたら、引き込まれる引き込まれる。

一方、50過ぎると、本当に若者、年配の間になるからか、実感としていろんなことが見えてきますね。若いころ、大人になってからわかるというのはちょっとどうなの?と思い、人間の想像力をきちんと発揮しなければと、「わかったつもり」ではいましたが、これが見事に50過ぎてものすごく。
この感覚、だれかと共有できないかな?と思いながらも、心許せる人はほとんどいなくなったので、どうにも。
そして、50過ぎて、読むもの見るもの10代のころに戻ってきてもいるという不思議。ゴダールとか、その辺の映画は若いころ深夜2時などに映画が放映されていて、ヴィスコンティ没後20周年は、銀座に足しげく通ったけれど(子供のころから好きな映画館だったし)あれは、20代だったかな。
そんなのとか、マヌエル・プイグが日本で集英社がやった対談(野谷さんだったかな)のあと急死されたこととか、懐かしい。私が学生のころの1980年代はようやくスペイン語の本も手に入るようになって、それでもフラメンコをやっていたときも「フラメンコって何?」と聞かれることが多かったのに時代は変わったというより、古くなったな自分(笑)とよく思うのだった。

病み上がりで何かいているかよくわからないが、とにかく身体あっての生だから。笑顔で眠れるよう、快適に過ごすことを大事に。



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