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映画『ビヨンド・ユートピア 脱北』をみて考えたこと

私が幼い頃から北朝鮮という国は存在していて、自由のない国だと世界中から非難されている。本当にそんなにひどい国なら、なぜそんな国が罷り通っているのかと不思議に思ってはいたものの、それ以上に深く考えたことはなかった。そんな疑問への答えが出ないようで出過ぎているような、そんなドキュメンタリー映画だった。



韓国で脱北者を支援する牧師と、実際の脱北に密着したドキュメンタリー映画。単純に韓国に脱北するのではなく、中国側から脱北し、ベトナム、ラオスのジャングルを10時間にもわたって徒歩で通り抜け、タイに到着しなければならない。そんな脱北の実情やシステムは、この映画を通して初めて知ることばかりで、詳しく知れば知るほど、そういう人々が実際にいるのだという実感が湧く。



だからこそ、そんな実感が湧くほど脱北のリアルを映しているからこそ、脱北者の心境や考えることが気になってきた。

-「金正恩総書記をどう思いますか?」
-「北朝鮮では世界のことをどんな風に教えているのですか?」

インタビュアーから脱北者になされるこんな質問に、

-「若いのに国民のために尽くしている偉大な方です。」
-「他の国は貧しく人と人が殺し合っていると教わる。アメリカ人、という単語はなく、憎いアメリカ人、という単語がある。」

と答える脱北者たち。この場面では、洗脳国家の恐ろしさはもちろん伝わってくるし、そういう意図でこの場面があるというのも分かる。ただ、純粋に「北朝鮮は恐ろしい洗脳国家だ」という感想では終われないと思う。それでは果たして、私たちは「洗脳」されていないのだろうか?私たちの生きる社会が普通で、北朝鮮は「洗脳」されているのだろうか?

大前提、私は世界の大多数の国がとっている民主主義の社会形態に反対している訳ではない。しかし、民主主義社会が完璧な社会形態だとも思ってはいなくて、みんなが当たり前に受け入れているような「おかしな点」は私たちの生きている社会にも存在していると思う。それなのに、北朝鮮で国家の形態に反逆せずに生活している人々は「洗脳」されていて、日本で社会に反逆せずに生活している人々は「洗脳」されていないと言い切ることはできないような気がする。

日本の社会に反感を持っている訳では決してなくて、ただ北朝鮮の人々に「あなたたちの信じてきたことは全部嘘ですよ」と伝えると言うことは、私たちが北朝鮮の人々に「あなたたちが信じてきたことは全部嘘ですよ」と言われることと同じ重みがあるはずだ。そのとき、ああそうなんだ、と簡単に信じられるだろうか。自分の価値観を順応させられるだろうか。

もしそんな風に順応させることができるのなら、置かれた環境で自分の常識形成できるのなら、それは、北朝鮮という国が罷り通ってきた理由でもあると思う。

だから、密着してきた脱北者たちが脱北に成功し、
「もっと早く出てきたかった」
「自由になって嬉しい」
という姿を見て、脱北できてよかったねという安心感と同時に、どこか恐ろしさを覚えた。

でももちろん、彼らが北朝鮮から出て、単純に生活が安定して、命の危険がなくなって、そういう人権が守られる環境に来られて良かったと思う。ただ、人間の何がこんなに悲しい現実を作り上げて現存させているんだろう、これからどうしたらこんなことが起きないんだろう、どういう考え方を持っていれば、悲惨な歴史として残るような出来事に直面したときに、これはおかしいと気がつけるんだろう、という答えを知りたくて、そういう意味では、人は教わった価値観を信じて受け入れられる(もしくは信じて生きていくしかない、現にわざわざ民主主義の問題点を提唱して生きるようなことはしていないように)というのは結構大きな発見だった。







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