旅と美術館
1月から参加しているnoteのメンバーシップ「オトナの美術研究会」の月イチお題記事執筆企画。今月のお題は「旅と美術館」。
ちょっと壮大なテーマですね。例によって時間を行ったり来たりしながら書いてみることにします。
束の間の日常を求めて
20代前半に友人を頼ってドイツに渡り、そこを拠点にヨーロッパを旅した頃は、訪れるのは城などの古い建造物が中心でした。美術館も要所はおさえて、有名な絵画を観たりもしたのですが、楽しむというよりは見学したという感じ。観光の域を出ません。日本から一緒に行った友人と二人だったり、ドイツ在住の知り合いなどとのちょっとしたグループで周ったためかもしれません。
旅先でゆっくり美術館を楽しむようになったのは、専ら一人旅をするようになってからのことでした。
日本で美術館というと、興味のある展覧会を目当てに行くことがほとんど。でも旅先では美術館そのものや常設展こそが目的です。
そこにいけばいつもの場所にある絵画。パリに毎年のように行っていた頃は、滞在中必ず行く美術館がいくつかあり、お気に入りの作品がどの辺にあるのか頭に入っていました。それは有名な作品であったり、展示室の片隅で見つけてなんとなく好きになってしまったものであったり、とても個人的な対象でした。
まだ会社勤めで、駆け出しの頃よりは良いとはいえ、少々ブラックな職環境から束の間逃れるように行く旅先は、私にとっての非日常である夢の“日常”。いつものホテルからいつものような顔をして出かけ、絵の前に立ち、一年経ってまたここへ来られた幸せに一人ひっそりと浸るのです。なんという贅沢。
たまにどこかに貸し出されて、置き手紙のような張り紙にがっかりすることも。貸出先が日本だったりすると、なんでこのタイミングで、と少し悔しくなります。
でもそのあと、今頃日本でみんなが楽しんでるんだろうなと思いを馳せて、偉そうにこう思うのです。
まあしかたないか! 私のお気に入りだけど今回は貸してあげる。
逆に時々日本の展覧会で見覚えのある絵画を発見したり、それを目玉として展覧会が企画されているのを見かけることもあります。そんな時は懐かしいと同時に、表舞台で華やかに展示され、語られているのを見て、現地の様子を思い出して不思議な気持ちに包まれるのです。
地下鉄かパンか
話は最初に渡独した20代の頃にまた遡ります。
居候させてもらっていたドイツ在住の友人が、1ヶ月ほど日本に里帰りする期間。ひとりでドイツにいるのもなんなので、その間イギリスに短期留学することにしていました。ドイツから列車に乗り、フェリーを経由してドーバーからロンドン。一泊してからケンブリッジへ。初めての一人旅でした。
ロンドンの宿はガイドブックを頼りに直接B&Bへ行き、空き部屋を確認して決めました。この辺りは大陸周遊中に基本のやりとりがわかっていたので、ひとりでも大丈夫。
1ヶ月後、無事に短期留学を終えたあとは再びロンドンへ。
ところが調子に乗って留学中にお金を使い過ぎてしまった私は、所持金があまりありません。飛び込んだB&Bで交渉して少し安くしてもらい、ひとまず宿を確保。
帰路は途中までコーチ(長距離バス)を利用することにしていたので、翌日、まずチケットを買いました。出発は5日後。毎日出ているわけではないのでしかたない。コーチはブリュッセルまでで、そこからは列車で戻ります。列車の料金も調べ計算してみました。
どう考えてもお金が足りない。
宿代と残りの列車運賃を引くと、ほとんど残りはありませんでした。当時の主流はトラベラーズチェックとそれを換金した現金で、クレジットカードなんて持っていません。イギリス滞在分のお金以外はドイツにありましたが、友人も帰国中で術はなく。
帰りの運賃がなかったら、私は一体どうするつもりだったのか。ベッドの上に並べたコインを数えてみると、地下鉄の1日乗車券を何枚か買える程度。
どうしよう。一瞬考え、食事をあきらめることにしました。
せっかくロンドンにいるんだから見て回らなきゃ。地下鉄に乗ろう。5日くらい食事しなくたって大丈夫。
食費をゼロにと言っても、イギリスのB&Bは幸いなことにイングリッシュブレックファーストで有名。コーヒーとパンだけの大陸の朝食とはだいぶ違います。
スクランブルエッグ、ベーコン、焼いたトマト。トーストにはバターに加えてたっぷりとジャムを塗りました。毎日の食事はこれ一回のみ。夜はお土産だったはずのチョコレートを少しずつかじり、ケンブリッジから持ってきたミネラルウォーターをちびちび飲みます。
帰りの日まで地下鉄の一日券を何度か買い、向かったのは大英博物館やナショナルギャラリー、テートギャラリーなどの博物館、美術館。ロンドンは入場無料も多く、貧乏旅行者を受け入れてくれる救いの場所だったのです。
お腹はペコペコなのに気持ちだけは満ち足りて、若気の至りは忘れられない思い出となりました。(無事帰れたからいいものの!ですが)
夜明けから日暮れまで
若さゆえの乱暴な旅の話をもうひとつ。
イギリスから無事に戻り、しばらくあとの小旅行で買ったユーレイルパスの期限が少し余ったため、パリへの弾丸旅行を何回かしました。
ドイツの友人宅から夜行でちょうど一晩。早朝にパリに到着します。
まだ薄暗い中、そのままメトロで美術館近くまで行き、開館を待ってまずは印象派美術館(当時)とオランジュリーへ。公園を挟んでルーヴルを守る衛兵のように並ぶ二つの美術館。落ち着いた雰囲気とともに、この位置関係もなんだか好きでした。
マチスに妙な親近感を覚えたのもここ。階段を登ってすぐ、右の壁に飾られている小さな絵を見た時は、今まで持っていた巨匠のイメージが崩れて、なんだか微笑ましくて声に出して笑ってしまった。
ルーヴルに行くのはたいてい午後。絵画だけでなく、数々の工芸品をこの中だったらどれが欲しいかな、などと考えながら見て回るのもとても楽しいものでした。ブランド物の買い物なんてできませんが、さながら世界一贅沢なウィンドウショッピング。
遠くへは行かず、終日この周辺で過ごし、ランチはチュイルリー公園のベンチで持ってきたパンをリュックから出して食べる。
そうして日暮れには駅に戻り、また夜行でドイツに帰るのです。
この同じ一日を、パスの期限が切れるまで時々繰り返していました。
夜行と言っても普通のコンパートメントでしっかりとは眠れないし、まったく余裕はなかったけれど、今考えるととても贅沢なワンパターンでした。
もう少し他を歩いてもよかったのですが、迷ったり時間を忘れたりで、その夜の列車を逃してしまったら大変。行き先はいつもここ。思えばこのあたりから美術館をいつもの、馴染みの場所のように感じ始めた気がします。
旅の記憶
旅から少し離れた今、大抵の場合、美術館へは展覧会を目指して訪れます。展覧会というイベントだからか、今では自分で時間をコントロールできるようになったからか、旅先とは逆にそこにある小さな非日常として。
そうして平日ゆったりと気に入った絵をぼんやり眺めていると、ふとした瞬間に違う時間の流れにいるような、説明のできない感覚に囚われることがあります。
旅の記憶のあちこちに痕跡を残す美術館。私にとって、どこかに繋がるポータルのような存在でもあるのかもしれません。
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