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山にスギの木を植えた、おじいちゃんのはなし

花粉症、とっても刺激的です。
スギにもヒノキにもハウスダストにも反応してしまう、
敏感でデリケートな私。
春は、くしゃみとはなみずと涙が止りません。

花粉に悩むたびに、
「スギもヒノキも全部伐採して!」
「誰?!スギ・ヒノキをこんなに植えたのは!」
と頭をよぎります。
そして思い出すのは祖父のことです。

こんなこともあったのね、
と知って欲しい気持ちでnoteします。

今から80年以上前のこと

私のおじいちゃんは、今から15年前に92才で亡くなりました。
2023年、生きていれば、107才。

第2次世界大戦の時には徴兵されました。
近衛兵として、皇居周辺の警備にあたるはず、だったそうです。
ところが、大阪で集合したときに、
はなみずをズズっとすすったそうです。
そしたら、上官から、
「帰れ!そんな姿で陛下の護衛にはあたれん!」
と言われたとかで、即日除隊に。

ところが、家には簡単に帰れません。

なぜなら、田舎で近衛兵に召集される名誉は珍しく、
村じゅうをあげて、村の誇りのように出発した手前、
村に帰ることができなかったそうです。

村長の三男だったし、
旧制中学から農業学校に進学していたし、
体もがっちり、
健康そのものだったから選抜されたのでしょう。

なのに、即日除隊。
帰れないよね・・・

そのまま大阪で住む場所と仕事を見つけ、
なんとか生活しながら、当時18才のおばあちゃんと出会い、
恋愛し、結婚し、戦争が悪化する前に田舎に帰り、
終戦を迎え、私の母が生まれたそうです。

床の間には、
天皇陛下の写真を飾っていました。
在位記念の硬貨も飾っていました。

もうその家もなくなりました。

山崩れの土石流が家の中へ

おじいちゃんが亡くなった後、
大雨で山崩れし、土石流が家に流れ込んで、
すべてが土砂で埋め尽くされました。

おばあちゃんは、大雨の中、
おじいちゃんの位牌を持って、
着の身着のまま、土石流が流れ込む前に、
近所の人に助けられ、避難したそうです。

その山崩れで、家財、家のモノはなくなりました。
おばあちゃんいわく、
「ボランティアさんが、全部捨てた」そうです。
泥に埋まった、水洗いできないものはすべて捨てられたのでしょうね。
仕方ないです。
家のかたづけをお手伝いくださった皆様、
ありがとうございました。

その山崩れが起きた山は、スギの植林がされている山。
杉の林というのは、
広葉樹の自然の森と比べ、保水能力が弱いらしいです。
おじいちゃんの集落を取り巻く山々は、
見渡す限り、すべて杉の木が植林されています。

戦後の農地解放、農地改革

おじいちゃんは、地主でした。

おじいちゃんの名字は、
本家の裏山、
おいしい水が湧き出る山の名前と同じだし、
村長の息子だし、土地も持っていたんでしょうね。

ただ、自分は農業学校を卒業しているのに、
農業はせずに、田んぼと畑は小作さんに貸し、
郵便局を営んでいました。
おばあちゃんいわく、
畑の世話は一切しなかったそうです。

戦後の農地改革で、
おじいちゃんの田畑は二束三文、
タダ同然で接収されました。

細々と自作していた畑だけは残り、
おばあちゃんが世話をしていました。
わずかでも畑が残ったのは、おばあちゃんのおかげ。

農地改革には本当に憤っていたようで、
おじいちゃんが嘆きながら話していたことを記憶しています。


戦後の木材不足とスギの植林政策

戦後の高度経済成長を迎えた日本は、
住宅などの資材になる木材の不足に直面しました。

すると、政府は、
まっすぐに伸びる、スギやヒノキの植林を推進することに。

お上の言うことにはわりとすんなり従うおじいちゃん。

農地改革で取り上げられなかったのが山。
その集落の山々は、おじいちゃんの山だったそうです。
村長であるひいおじいちゃんから相続したんでしょうね。
本家はもう少し山奥です。

おじいちゃんは、自分の持つ山という山に、スギの木を植えました。


スギの木だらけにしたのはおじいちゃん


この集落の山にスギの木を植林したのは、
私のおじいちゃんです。

人を何人も雇い、
お金をかけ、
年月をかけ、
急斜面で高くそびえる田舎の山という山の
広葉樹を引っこ抜き、スギの木を植えまくりました。

お国の成長のため、
少しでもお役に立たねば、という気持ちだったそうです。
もしかしたら、
戦争に行けなかった後ろめたさもあったかもしれません。



そのうちに、
末っ子のどら息子(私の叔父)が、
無保険で車の事故をして、
その損害賠償に山を1つ残してすべて換金したそうです。
それはちょっと想定外の出来事。泣けます。
みなさん、車の保険には入りましょうね。

そしてそのスギの木が大きくなる頃には、
木材不足は解決し、社会問題は解決したばかりか、
木材として搬出するにはあまりにも斜面が険しく、
木材としての価値もない山に。

なのに、固定資産税がかかり、
国保料にも影響がある・・とおばあちゃんは嘆いていました。

おじいちゃんは、
自分の父から相続した田畑を失い、
私財を投じ、苦労して植林したスギ林は、
役に立つどころか、
花粉症の原因だとして、社会的損失を生んでいると、悪者扱いに。

おじいちゃんは、花粉のニュースには、
「悲しい」と言っていました。
(花粉症のハナをすすりながら、と言いたいところですが、そんな記憶はありません…)

おじいちゃんは、
少し大人になった私に、
悲しい表情でぽつりぽつりと、
戦後の農地改革とスギの植林について教えてくれました。

花粉症の私。
「スギの木、全部伐採やーーー!」と
心の中で強く思いますが、
おじいちゃんには言ったことはありません。


その集落の山々と田畑は

それでも、
自分に残った小さな畑と山ひとつは、
自分の生きているうちは処分してくれるなと、
おじいちゃんはこだわっていました。
やっぱり、
田舎なりにええとこのぼっちゃんで育ったからでしょうか。

おばあちゃんは、割り切りが早く、
おじいちゃんが亡くなったらすぐに山を売りました。
二束三文だったそうです。
おばあちゃんは、
引き取ってくれる人がいただけでもマシだと言っていました。

そして、もう畑の世話もできないし、
その土地が欲しいと言ってる人がいるからと、
残された畑も売りました。
裏庭の小さな畑で、野菜を育てるだけにしました。

おばあちゃんは、
固定資産税と国保料が軽くなると、
ほっとしていました。

その半年後、大雨でその山が崩れました。
その山の名義がおばあちゃんではなかったことが、
せめてもの救いです。

うちの家だけでなく、他の家も、
山崩れの土砂に埋まりました。


その家も、もう今はありません。
なんとかおばあちゃん一人で住む!と、
お金をかけてリフォームをしたのですが、
10年も住まないうちに
数年でひとり暮らし終了。

高齢になったら一人では生活させられません。

田舎には仕事はなく、
子どもも孫も、都会で就職し、家を建て、生活しています。
92才か93才を越えたおばあちゃんは、
娘(私の母)の家にやって来ました。
最初は寒い冬だけのつもりが、
寒がりのおばあちゃんはもう帰れません。

その後、認知症が進み、
介護施設に入りました。今年、103才です。
住む人のいなくなった家は、
潰して更地になりました。

その更地は、売ろうにも、
買ってくれる人は、もういません。

近所の人に聞くと、
イノシシやシカが、我が物顔で闊歩しているそうです。

人間の登記上、名義があっても、
実質の所有者はイノシシかシカか。

住職のいなくなったお寺にあった
お墓も引っ越しました。
もう、その集落には、
おじいちゃんのものは何もなくなりました。
こうやって人は、いなくなっていくのですね。

もしかしたら、
私のルーツもなくなったということかもしれません。

スギは毎年花粉を巻き散らします。

花粉症は、おじいちゃんの思い出です。


今回の見出し画像の木は
スギではなく、アカシア(ミモザ)だと思います。
スギには怖くて近寄れません。

アカシア(ミモザ)

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