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障害と病気を理由に子供を持つことを諦めた私の話

フォローの中身が「アニメ公式・絵師・女性声優・僅かな友達」で構成されているにも関わらず、なぜか「おすすめ」タイムラインに「金がないなら・障害があるなら産むな」的な投稿が立て続けに出てきたことがある私のTwitter(現X)。

なぜこうなっているのかイーロンを問い詰めたいところですが、今回の本題はそれではありません。

私は大学卒業後に心臓の難病が発覚し、ICD(ペースメーカーの亜種みたいなやつ)を植え込んだことで障害者認定を受けています。つまり、冒頭の「産むな」議論の中に属するひとりです。

早いもので30歳手前になり、同級生の出産ラッシュ真っ只中といった感じのポジションにいます。ほんの数年前まで子供のことを考えることはなかったのですが、周りの温度感につられてなのか、動物としての本能的なものなのか、「子供欲しいのかもしれない」と考えるようになりました。

結論から言うと、「産まない」と決め手はいるのですが、頭の中で考えるだけだとものすごく悶々とするので、発散の意味も込めてここに考えを記そうと思います。

なお、先に断っておきますが「持病・障害がある人は産むな」「私と同じように障害があれば産まないという決断をした方がいい」のような意味は一切含んでおりません。そのあたりは誤解なきようお願いします。

私が産まないと決意した2つの理由

理由①そもそも身体的に「産めない」から

今服用している薬の中には胎児毒性があるものも含まれますし、体力もかなり落ちていることもあり、妊娠出産に耐えられるようには到底思えません。もし出産まで辿り着けたとしても、子供が走り回るようになったとき、その動きについていくことは間違いなく不可能でしょう。

とはいえ、それでも私に産みたいという強い意思があったとしたら、服薬内容を変えたいとか治療プランを変更して対処できる可能性がゼロではないかもしれません。

私の場合、心臓移植を受ければ根本治療ができ、現在の待機期間は5年前後と言われています。

主治医にこの話を特にしたことがないので妄想レベルの話ですが、今から人工補助心臓を入れて移植の順番待ちをし、30代後半すぐに移植を完了できれば、服薬内容や体力の状況だけ見れば「妊娠出産に耐えうる」状態になっているかもしれません。

…が、その可能性があったとしてもやっぱり産まないなと思っています。

理由②遺伝したときに幸せにしてあげられる自信がないから

私の病気は遺伝する可能性が比較的高い病気です。病気が発覚したときには既に肉親はいなかったので、私に関しては遺伝によるものなのか単なる偶然なのかは分かりません。

「障害者は産むな」的意見の根拠の多くは「遺伝すると可哀想だから」が多いように思います。もっと過激な表現のものもあるかもしれませんが、ここでは触れないでおきます。

当事者として、上記の考えに関しては、「分かっていて産むなんて可哀想」という意見も「産んでみないと分からない・健常者同士の子供でも障害を持つ可能性はある・個人の自由」的な意見も両方一理あると思っています。ツイッターで過激なやり取りが起こるのもまあ納得なわけです。

じゃあなぜ私が「遺伝するから産まない」を選んだ理由は、私があんまり幸せに生きていないからです。

もし遺伝したとしたら、どういう道を辿るのかはもう目に見えている。私は現在進行形でその道を歩んでいて、周りの力も借りながら自分で自分を幸せにするために日々あがいているわけですが、しんどいことが多いわけです。

「義務」とか「べき」とか、そういう強い表現はあまり使いたくないのですが、産むからにはその子を幸せにする義務があると私は思っています。私はその自信がないから自らの意思としても「産まない」と考えました。

なので「遺伝する可能性分かっていて産むなんて可哀想」という意見については、産む本人が幸せで、同じ若しくはそれ以上幸せにすると思っているなら外野がどうこう言うもんじゃない、というのが個人的な意見です。

もしそうでないとしても、他人の人生どうこう言うものではないと思いますが、個人がどう考え・どう発言をするかも他人がどうこう言うものじゃない…という話になってくるので、やっぱりイーロンそういう別界隈をチラ見せするのやめてくれ。おすすめタイムライン見なければいいと言われても、意思弱いから見てしまうんや…。

余談:そもそも私は産める身体だったら産みたいのか

こういう感じで一旦夫とも結論を出したわけですが、正直インスタの出産報告や子供の投稿を見ると未だに胸がザワッとするので、未練に近い感情はやはりあるんだろうなと思います。

ただ、冒頭にも触れたように、ほんの数年前まで子供のことは考えたことはなかったので、「未練に近い感情」があるのがなんか不思議なんですよね。

ご近所付き合いの都合で中学卒業くらいまでは年の離れた子と関わる機会も多かったのですが、その頃から子供は得意ではありませんでした。今では2,3歳くらいまでの子供は可愛いと思うようになったのですが、子供全般で考えると昔から感覚は変わっていません。

なのに「未練に近い感情」があるのはなぜなんだろうと。

動物としての本能なのか、未練ではなく単なる嫉妬、産めないから産みたくなる「ないものねだり」的なものなのか。「みんな産んでるから」「子供がいる=幸せ・普通の人生」と考えているのか、人生に変化が欲しいからなのか、夫が子育てしているところを見たかったのか…。

あり得る候補をザッと挙げてみましたが、最後が一番しっくりきたので、産める身体だったら「産みたい」寄りにいたんだろうなと思います。とはいえ、自分の子育て適性・心臓以外の身体のこと・経済的観点・世間の状況等を一旦無視した話ですから、そこ次第ではまた結論変わってたのかもしれませんが。

まとめ

これまで見る専だったのですが、フォローしている女性声優にしっかり「いいね」をするようになってから、おすすめタイムラインにセンシティブな内容が減り、推しとの自撮りを載せているフォロー外の声優のポストが増えたような気がします。

この調子であまり心がざわっとするものに必要以上に触れず、自分の意思で自分の人生と向き合っていく日々を過ごしたいものです。





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