「女子力」という言葉が嫌い

私は、いわゆる「女子大学生」だ。

ただし、化粧もしなければ髪の毛もなにもしない。服もユニクロとGU以外はほとんどないし、無地ばかり。男を立てるようなことは言えないし、サラダを取り分けることや他人のための注文などしない。

そういう私のことを、周りは「女子力がゼロ」だという。

ただ、そんな言葉は一ミリも響かない。なぜなら、女子力をつけたいなどと思っていないから。単純な話だ。そもそも何故女子に限ってはポイント制で評価されるのかがわからない。裁縫、掃除や料理ができれば女子力ポイント、気遣いできれば女子力ポイント、見た目がよけりゃ女子力ポイントが加算というこの変なシステム。

「女の子はみんな、キレイでありたい」

どこかのコマーシャルで聞いた時、いや、別にそんなこと思ってない、と思った。私の人生の優先順位の中で、外見を取り繕うことは一番下にほどなく近いところに位置している。一生懸命与えられた課題をこなすこと、奨学金を維持すること、海外の友達と近況報告しあうこと、面白い!とおもった論文を読むこと、研究レポートを書くこと、、、。外見までいくのにいくら挙がることか、自分でもわからない。

私は「女子」としてではなく、一人の人間として、あわよくば一人の研究者として生きていたいだけなのだ。ただそれだけなのに、なぜ人に見下されたようなものいいをされたり、興味もないカテゴリーでポイント評価されないといけないのか。例えば、アスリートを学力テストで評価するような世界があったとする。この人は数学ができるからポイント、理科もできるからポイント加算。ただこの人はどの主要5教科もてんでダメだからアスリート力がゼロ。生物学的にメスと分類されているだけの人を、裁縫や料理のうまさや、外見をよくする努力で評価するのはこれと一緒だと思うのだ。

生物学的にメスと分類された人がみんな「完璧女子」という虚像のようなものを目標にして生きていると思われてはこまる。だいたい、外見を気にするのは結構だが、大学に入ってから、いわゆる「女子力高い」と評される人に「あさばっちし化粧なのに遅刻」系女子や、「髪も顔もセットされてるけどシンクには2日分の皿」系女子がいることも現実として知っているのだ。私としては、衛生状態やら人へかかる迷惑よりも自分の外見を優先する人の評価は低い。

私は、「女子」ではなく「一人の人間」として、勉強という与えられた仕事を全うし、好きなことをとことん伸ばし、他人に迷惑をかけないように生きていきたい。

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