自己肯定って難しい

「あんみ、自信なさすぎだよ。」

何度友達に言われたことか、わからない。特に外国人の友達には、自分のことをもっと愛するべきだとか、自信を持つべきだとか、本気で言ってくれる人が多い。

そうはいえども自己肯定なんてしろと言われてできるものではない。

昔から容姿では馬鹿にされ続けた。控えめに言ってもブサイク。なんなら貧乏時代、ヘアアイロンどころかコンディショナーもなく、髪の毛は常にボサボサのチリチリ。なんとか後ろ髪は縛ってごまかせたとしても、ごまかせないアホ毛と前髪。ひどいあだ名もつけられた。容姿に肯定感はどうしても持てない。

性格に関しては、徹底的な人格否定を毒親にされ続けている。昔からの刷り込みのようなもので、お前は成績以外に取り柄がない、一緒にずっと住んでいる親が言うのだからそれは真実で、お前に友達が不思議といるのは長い時間をを共に過ごしていないからだという。こんな親の言うこときくことないと自分でも思うし友達にも言われるけど、それでも否定され続けてしまうと無意識のうちに自分を責めたり否定したりしてしまう。

高校までは唯一の取り柄だった成績も、大学3年生にまでなってくると同じくらいの人はたくさん出てくるし、なんなら高校までの勉強が得意だからといって研究ができるわけでもないので行き詰まることももちろんある。これが行き詰まると、私はほぼほぼ肯定できるものを失ったも同然となる。

わたしのことを肯定してくれる友達だけが、唯一の自己肯定のリソースになってしまったように感じる。結局のところ、自己肯定は他人の肯定の上に成り立っているものなのだろう。友達に、あんみは頑張ってるんだからもうちょっと自信もっていいんだよ、とか、あんみはもっと自分を大事にしてあげるべきだよとか最初の文に書いたようなことを言われてはじめて、自分が自分であっても良いんだという気持ちになれる。どちらかというと自己容認かもしれない。自分はもっとできるんだ、などという肯定感はないけれど、少なくとも自分を認めることはできるようになってきた。

家で何年もひどく否定されていると、マイナススタートなんだと思う。まずはマイナスからゼロ、すなわちとりあえず自分を責めないで認めるということから始めなければいけない。マイナススタートで自己肯定まで最初から行こうとするのは階段を三段飛ばしするようなものだから、今までずっとそれができないでいたのかなと思うようになった。ムリに自己肯定しなくてもいいと思っていくことが、もしかしたら自己肯定できるようになるための最初の一歩になるかもしれない。





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