見出し画像

お年寄りは人生の達人

高齢者施設で医者しています。
この施設では入所された方の看取りを行っています。
少しずつ衰弱が進むときに、医療ではなく、生活の場である施設でスタッフ一同その人とご家族の希望をできるだけ受け入れながら看取ります。

呼吸停止となって、医師である私が呼ばれます。
その時の他の入居者の方の過ごし方をみていると「わかっている」と感じることがあります。
介護スタッフは通常通り、ほかの入居者の方のケア、食事介助などに入っています。
小さな音で流れるテレビの音。
だれだれさん亡くなったの?とはどなたも話しませんが。
なんとなく静か。
医療スタッフや家族が慌ただしく出入りする様子をちらちら見ながら食事が粛々と進んでいきます。

3.11の記憶

これは3.11の時の高齢者の方の様子につながります。
当時私は病院に勤務していました。
発生当初はテレビで地震や津波の被害の様子を見ました。
その後は停電になり、予備電源が発動して、患者さん達はテレビを見られなくなりました。
比較的若い患者さんは家族と連絡とりたいと願って、焦っている様子が見えます。何かやらなければ、でも入院中でできないとイライラ感を抑えられない方もいました。
そのうちに食事の時間になり、温めなくても良いものだけの簡単な食事(その後数日続きました)が提供されました。
長く入院しているAさん(80歳女性)が「大変なことがおきたのね。だから食事が少ないのはわかる、昔戦争の時もそうだった。ありがとう」
と話したそうです。
地震直後、電力不足、人員不足、スタッフ用の食事は特に用意されていません。
その中で静かに話すAさんの感謝の言葉がとても嬉しかった、ほっとしたとのこと。
私には静かに過ごしているのが今の自分の役割と受け入れているように感じました。

高齢者施設での看取り

私が診察のために、お部屋に入るときは急いでいてあまり感じないのですが、心停止(死亡)の診断を終えて部屋から出たとき
他の入居者の方と目が合います。
そのまなざしは、「もういないのね、前にもそういう人がいた。私もいつか…」と語りかけているように感じられます。
決して何があったの?とは聞かないで全部わかっている。

考えてみれば80歳過ぎて、親は義両親、兄弟姉妹、そして配偶者を亡くしている方ばかりです。ヒトによっては子供さんも先に逝っている。
死が通常の生活の延長にあることをわかっていらっしゃるのでしょう。

いつもと変わらないホール(食堂)の様子に、ほかの入居者さん、そして高齢者の賢さ、人生への対処のしかたを感じます。
お年寄りは皆さん人生の達人です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?