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一汁一菜の組み合わせ化学反応の料理

料理は楽しさです。
楽しくない料理はしなくていいです。

また日曜日の昼下がりに気まぐれにパパがしゃしゃり出てきて、材料の買い出し計画も無視して好きな食材も勝手に使い、家族の好みを聞かないまま調理をし、美味しいだろ?と押し売りしてくる勘違い料理好き男性の話ではありません。

私は、ほぼ毎日料理してます。料理し始めた時、知らないことが多くて面白かったです。
ホワイトソースって熱が加わっただけでこんなに変わる簡単なことだったのか、調味料の組み合わせは無限だけど基本に戻っていく事とか、繊維が壊れていく熱く溶かして冷やし固めることとか、食感を意識するとバリエーションになるとか、パスタやピザを生地から作るとグルテンを実感するとか、結構、化学反応の実験といいますか、材料と手法の組み合わせ作戦という感じで、頭を使って面白いですね。

素晴らしい手の込んだものを作りませんよ。人様に見せられるような料理名がつくようなものではないですよ。逆に余計なことを省いてシンプルにしていきます。
なので、その料理が家事となり、楽しくなくなり、家族のための責任となったら、もっと手を抜いちゃっていいと思います。

鶏肉とブロッコリーを蒸しただけ、筋トレを極めた人たちが好むような食事も理にかなっていると思います。
土井善晴の「一汁一菜でよいという提案」も、栄養素を組み合わせて、手間暇かかる調理なんて省いていい考えも理にかなっていると思います。いや実は本を読んでませんので、どういう概念かは知りません。だけど写真見ただけでわかります。
一菜はなくてもよく、「具だくさんのみそ汁」で十分ということです。鍋も同じことですね。
その他手法はいろいろありますが、その家族の状況にもよりますけどね。

世間には料理雑誌がたくさんあり、料理番組がたくさんあり、簡単だけど見栄えが良いもの、そんな矛盾と永遠に戦い続ける人が多いから、ずっとそのテーマで雑誌が存在しますね。
(料理の雑誌も番組もよく見ます)
食材に一手間を加えるのも、その食材が美味しくなり栄養が取れ、かつ1番効率良い方法を探っていくことなのでしょう。それは楽しんでいろいろやっていくうちに、それぞれがわかっていくことなのかもしれませんね。

食材に、こだわりすぎず、無頓着になりすぎず、
手間に、やりすぎず、やらなすぎず、

それなりに自分に合って整っていくのでしょう。
若い頃は外食などで、いわゆる美味しい店の美味しい料理を食べたりしたものです。
しかし、自分で工夫して自分の好みの味付けしたものが1番に美味しいんですよね。
客観的にでは無いですよ、自分にとってです。

私なんかが料理のことを語るほどのものは何もないんですけど、楽な料理で、誰もが料理が苦役にならないといいなぁと思っただけです。
昔、女性の友人が、小鉢がないとか、もう一品が欲しいとか彼氏が言ってくると愚痴ってました。
どうせその男は自分で作った事は無い甘ちゃん、家は居酒屋じゃねーんだよアホ、って感じです。
見栄え料理を求める家族は、見栄え料理の作る大変さを体験してみればいいです。
見栄え休日旅行を求める家族は、自分で見栄え休日旅行の資金を作り計画を立てればいいんです。
17歳になってから家事を手伝えったって無理でしょ。5歳からちょっとづつ家事を手伝ってもらって分かってもらっていくのがいいと感じます。
お互いを理解し、お互いが楽になる、料理でも何でもそうだといいんですけどね。

ちょっと善人ぶりすぎの書き方かな?
まぁそんな大層なもんでもないです。


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