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子どもに問われた答えで、あなたが問われる


私はnote記事で、無責任に自分の仮説を好き勝手に話してます。
カラスは何色かと問われれば、私は黒だよと答えます。
しかし、高次元の存在がカラスは何色かと問われれば、一言では答えにくいでしょう。
黒だと見えるのは、地球上の光の波長と、地球人の目と脳によって、認識しているに過ぎないことを、凝り固まった地球人の脳みそに理解させるには大変だと感じます。
黒だと答えても、1つの視点であり、別の全ての答えも全て正しいともいえます。
その感覚が理解できない私たちに、地球上の言葉で説明する、さぞ難儀なことでしょう。

小さい子が親に、なんで空は青いのとか、ヘリコプターは何で飛べるのとか、聞いてきますよね。私はよくぞ聞いてくれたと幼児にもわかる例など挙げながら説明するのは好きだったんですが、多くの親御さんは大変だとか困ったとかと話されてますよね。
幼児の頭で理解するように説明するのが大変ですが、それの何倍も、何次元倍も、高次元の方が地球人に説明するのは大変だと思います。
もちろん楽しくやられているとは感じますが。


ここで話はズレます。
子供に質問されたとき、相当重要な局面だと私は個人的に考えてます。

ファンタジーに答えるのは、子供の想像力に良いと思いがちですが私は危険だと思います。
「空が青いのは天使たちが青い布を広げている」とか「ヘリコプターのプロペラに魔法をかけてる」とか、そんなふうに答える人を目の前で聞いたことがあります。
原理があってその上で想像するのは土台がしっかりしています。何の根拠もなくふわふわしたのは、根無し草で腐るような、そんなイメージしてしまいます。知人の子が、そんな脈絡のない子供に育っているような気がします。

「自分で調べてみな」とか「大人になったらわかるよ」とかは、自主性を育ててるようで突き放してるように感じます。子供が親に質問するのは、質問の内容が半分、自分を見てくれるかどうかが半分です。自分に関心がないと不安に思う子供になってしまうかもしれません。

「後で一緒に調べようね」と言ったなら、ほんとに一緒に調べてあげてください。もし親が忘れて子供が覚えていたら、大人はごまかすものだと認識してしまいます。
「この前の青い空はさぁ」って言っても、子供が忘れちゃっててもいいんです。自分のために覚えてくれているんだという認識は子供に残ります。

子供の質問は、質問そのものでなく、親の器量を問いてます。

などと、私は無責任に、あーだこーだ言います。
子どもが質問して来たら、「どう思う?」なんて子どもに質問返ししてはいけないと考えます。
わからないから聞いてるのだから、堂々と答えればいいのです。わからないなら「わからない」と堂々と答えるのがいいと思います。
高次元の存在は、理解してない地球人に対して、ごまかさず、本質を外さずに、地球人の言語体系で、説明するのは大変だと思います。
お手数おかけしております。

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