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イエス著の聖書なら印税はイエスに


経典もブッタの著作物ではなく、
新約聖書もイエスの著作物ではないですよね。
弟子が書いてますし、大部分はイエスにもブッダにも会ったことない人が書いてます。

パウロはイエスとは会ってませんし迫害する側でした。しかし、死んだイエスとチャネリングし、イエスの教えを書き記しました。と自称されてます。
聖書の中には、パウロの手紙とされる文章が多いです。
また、イエスの死後、弟子のペテロが書いたとされる手紙、ヨハネが書いたとされる手紙など、手紙が聖書に載せられてます。
この手紙の内容の多くが、本人の作ではないと考えられてます。彼らの名を語った、どこかの誰かが書いたものであります。
つまり、後々の教会指導者の誰かが、パウロが言ってた事にすれば信じてくれるだろう、っていうのが多いとされています。

インチキだと言いたいわけではありません。
誰もが聖書を書こうとして書いたものでなく、キリスト教全体の共有認識としてまとめたもの、それが聖書です。
Wikipediaみたいなものです。
作家が誰か、ではなく、みんなの認識を集めたものです。
言語生成AIみたいなものでもあります。
真実か、ではなく、現在の表向きの認識を集めたものが生成AIです。

私にとって見分けるポイントは、イエスの教えと矛盾してないかどうか、それだけです。
イエスの行いを記した福音書の中でも、イエスの中の矛盾が感じられる箇所があります。
ましてや手紙などイエスとチャネリングしたものは、生前イエスと言うことが違うじゃんと思われるところが多々あります。
私はイエスを尊敬してますが、新約聖書の多くの部分はキリスト教組織を作るための意向が含まれていると思ってます。
福音書のイエスの発言は、誰もがイエスになれ、組織になることは不要だとしてます。

そして、イエスの死から100年後、ヨハネがイエスとチャネリングして終末の話を聞きました。
ヨハネの黙示録」です。
刻印とかラッパとか最後の審判で天国と地獄に分かれる話が新約聖書に組み込まれました。
イエスもあの世で時間が経ち、だいぶ考え方が変わった、という内容です。
イエスの霊なのか、イエスが他の霊と集合したら霊なのか、全く違う霊なのか、そもそもチャネリングなんてないのか、個人的に思うことがありますが、立証出来ることはありません。


こんなキリスト教の根本を、ド素人に私が勝手にあれこれ書いても、度量を大きく受け止めてくれるキリスト教信者には感謝します
現在は、ウィキペディアだろうと岩波文庫だろうと、好きなだけ母国語でいろいろ調べることができます。組織に入る必要はありません。
中世であれば、協会側の言われるままの情報で一方通行に考えるしかありませんでした。というより、考えてはいけませんでした。
ラテン語を読めないとわからないから、神父の言うことを裏付けなくても信じるしかありませんでした。
現代は、キリスト教国でも信じない自由があります。そんな時代でもこれだけ残っているのだから、何かしらの真実性があるのでしょう。
というより、イエスの言葉を信じるよりも、キリスト教組織の言葉を信じることになってます。

私個人的に言えば、イエスの行い言動は尊敬してます。なので、イエス自身が書いた物を読んでみたいのですが、あの世いってからですね。

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