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ワクチンとナスカの地上絵の関係性


あるブログ記事で小さな驚きがありました。
あのコロコロするワクチンの危険性を公言する医師のブログです。

その反ワクチンの医師も、同居する親兄弟でさえ説得できず、ワクチンを打たれたそうです。
医師の息子の医療意見を信じないって事は、医療を信じてないですね。ワクチンを医療として捉えてないって事ですね。
医師の息子を信じず、テレビの中の医師を信じる。
自分の考えを信じるのではなく、多くの人の考えを信じる。
自分はAだと感じても、みんながBだと信じていたら、自分もBだと思い込ますのでしょうか。
ワクチンは、同調圧力だと思ってたんですけど、それさえも違うような気がしてきました。

劇場映画のテレビCMでも、試写会に呼ばれた素人俳優が「泣きました!」「勇気をもらえた」と、玄人俳優と同じくらい下手くそな演技をします。しかしこの手法が今だに続くという事は、効果的なんだと分かります
多くの人は、自分が感じたことを信用するわけではなく、赤の他人の「※個人の感想です」を信用するわけです。

また、何かニュースがあると、街頭インタビューして国民の声を聞いたりします。
私個人的には、専門家の意見を聞いて、必ずいるそれに反対する専門家の意見を聞くと、物事が立体的に見えて本質がわかってくる感じがしてます。考えるときはそうしてます。
しかし街頭インタビューで、ド素人の意見を聞いて、それを材料にド素人が判断する。
ニュースのド素人の芸人が、構成台本どおりの発言をしてます。バカ構成作家が正解ですか?
これで正しく判断できるんでしょうか。
小学生が知らないことを考えろったって、判断材料がなければロクな判断ができません。
とある小学生の校外学習で模擬裁判したところ、「よくわかんないけど死刑」と結論したようです。そりゃわかんないんだからわかんないよ。

今、あることを思い出しました。
私の小学4年生ぐらいときに、社会か理科の授業でナスカの地上絵は誰がどうやって作ったのか、という宿題がありました。
私は図鑑などを見ながら、当然答えなんか書いてないんですけど、あの現象とこの現象を組み合わせた、何らかの稚拙な仮説をつくりました。どんなことか全く覚えてませんけど、子供なりの筋道を作りました。
ところが授業でのみんなの発表では、どっかから巨人が現れて書いたとか、妖精だとか魔法の力でとか、何の根拠もない5秒考えただけのような話ばかり。ただし、盛り上がりウケるんですよね。
私の真面目な仮説はシラけるだけ。あ〜、何が正しいかじゃなくて、何が盛り上がるかなんだなぁ、とわかった小学生の時です。
なんだか教師も、私を子どもらしくない、などというオーラを放ってました。
国語とか図工の授業じゃなくて、理科や社会の授業だったんだと思うんですけどね。
魔法とか言うのが子供らしさなんですか?、大人になってから壺を買ったら救われるかを人に聞くんでしょうか。
そりゃ、医療を科学的に考えるというより、周りとのノリを考える、そんな社会なのかもしれません。

久々に思い出しましたよ、あの授業。
ワクチンからナスカの地上絵までつながる、これがnote記事を書いてる面白さですね。


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