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最後に見た星

文:井上雑兵
絵:フミヨモギ

「我々は宇宙人だ」

 消灯時間がすぎて、わたしがいつものように浅い眠りと覚醒のはざまを行き来しているときに、その声は聞こえる。
 重たいまぶたをもちあげると、見慣れた病室の白い天井が広がる。
 顔をかたむけて視線を下げると、やはり見慣れた白くてひょろい自分の右手が清潔なシーツの上にぽつんと乗っていて、それにつながった点滴のチューブがベッドのかたわらのスタンドまで延びている。
 そこまでは異常なし。変わり映えしないいつもどおりの光景だ。

 だけど、わたしは異変にすぐ気づく。
 かかしみたいな点滴スタンドの横には、黒いスーツに水玉のネクタイを締めた典型的なサラリーマンのような姿をした男の人が立っていて、わたしを見つめている。顔つきは若いけれど、それ以外に特徴がない風貌。
 知らない人だった。
 お父さんの知り合いだろうか。あるいは遠い親戚とか。
 その男の人は小さく咳払いをしたあと「我々は宇宙人だ」と、一語一語区切るようにして同じ言葉を繰り返す。

「我々って……おじさん、一人しかいないよね」

 いろいろな疑問はあったけれど、わたしはひとまずそのことを指摘してみる。サラリーマン風のおじさんは表情を変えずに言う。

「私にもわかりませんが、こういう場合には人数に関わらず必ずこのように告げる決まりになっているのです」
「へえ……」

 わたしはなんと応じればいいかわからなくて、とりあえず感心してみる。

「えっと、おじさんは、宇宙人なの」
「はい、あなた方からするとそういう存在にあたります」
「そうなんだ」

 わたしは再び感心する。
 それが嘘や冗談だとは思えなかった。
 たかだか十年と少しの人生経験だけれど、わたしのまわりにいる大人たちは、わたしにたくさんの嘘をついてきた。
 嘘をつく大人の目には、多かれ少なかれ必ず特有の「揺れ」があらわれるのだけれど、この宇宙人と名乗るサラリーマン(?)の目には、それがまったくなかったのだ。

「実はあなたを人類のサンプルとして拉致しにきたのです」
「えっ」

 さすがに驚いてしまう。

「どうして、わたしが」

 おじさんは表情を変えず、淡々と説明する。

「サンプルの選定にあたり、私は次のような点を調査し、評価しました。第一に、個体としての能力が低く、抵抗に遭う確率が低い。第二に、他の個体またはコミュニティへの関係および影響力が少ない」
「ようするに、わたしが抵抗できないぐらい弱くて、いなくなっても誰も困らないし、誰も心配しないからってこと」
「そのとおりです。この一帯で調査した限り、あなたは総合してダントツのナンバーワンでした」

 おじさんは大きくうなずきながら言う。もしかしてほめているつもりなのだろうか。

「ひどいなあ……。わたし、天涯孤独ってわけじゃないよ。お母さんはわたしが生まれたときに死んじゃったけど、お父さんがいるし」
「あなたの父親は、もうこの地域にはいません」

 スーツ姿のおじさんは、その服装にふさわしい口調で淡々と告げる。

「失礼ながら調べさせていただいたところ、あなたが入院する前から、彼は多額の借金を負っていました。あなたを含む知人すべてになにも告げることなく、彼は今朝早く、ここから遠い地域へと至る列車の切符を買いました。名前を変え、仕事を変え、身分とあなたを捨てて別人として生きていくつもりのようです」

 その話は、思ったほどショックなことじゃない。なんとなくわかっていたのだと思う。一昨日、この病室から去る父さんの別れ際の表情を思い出しながら、わたしは自らの心のうちに安堵に似た感情を見いだし、ため息をつく。
 お父さんは、わたしを捨てて逃げた。
 でもそのことを責める気持ちは少しもわきあがってこなかった。いちおう、それでも、このようなときに言うべき言葉を口に出してみる。

「……ほんと、ひどいなあ」
「申し訳ありません」

 あまり申し訳なさそうでもなくおじさんは機械的に頭を下げる。

「それで、私に同行していただけますか」

 てっきりむりやりに連れていくものだと思っていたので、少し驚く。

「もしも、いやだって言ったら……」
「その場合は、別の方を探してお願いをすることになります。ここで私と会ったというあなたの記憶は消去させていただきますが」
「わかった。いいよ」

 わたしはあっさり自称宇宙人の申し出を承諾する。

「……よろしいのですか」

 なぜか用心深く聞き返すおじさんに、わたしははっきりとうなずいてみせる。

「うん。もうこの病室は飽きたし、自分の足でここを出ていくこともできないしね。宇宙にでもどこでも連れていっていいよ、宇宙人のおじさん」
「そうですか。では、さっそく参りましょう。私たちの宇宙船は、この星の技術力では探知できない力場で覆われ、軌道上に待機しています」

 彼はそんな説明をしながら、優しくわたしの身体の下に手を差し入れ、抱き上げる。
 いつのまにか全開になっている病室の窓のそばまで歩く。ひんやりした夜の空気が、わたしの頬をなでる。

「タイミングが重要なのです。5、4、3……」
「タイミングって……」

 その意外に力強い腕に抱えられながらおじさんを見上げた瞬間、周囲から音が消える。
 同時にわたしはいきなり宙に投げ出されたような感覚をおぼえる。
 実際にはそうではなく、おじさんがわたしを抱えたままいきなり窓から外に飛び出し、四階の高さから落ち始めている。
 ただし地面ではなく、空に向かって。
 まっさかさまに、天へと落ちていく。

「うわあっ」

 というわたしの悲鳴も、大気に流れて溶けるようにして消える。

「大丈夫です」

 落ち着き払った声が、わたしの頭のすぐ上から聞こえる。もしかすると頭の下だったのかもしれないけど。

「重力を遮断しただけですので」

 さすがは宇宙人。
 わたしはみたび感心して、少しだけ心の平安を取り戻す。
 おそるおそる、首を下にめぐらせてみる。下というか、上というか、とにかく、今までわたしがいたはずの大地を視野におさめてみる。

 星が広がっている。

 わたしがいた病院はもうどこにあるのかはわからないけれど、街の光が、無数の星のまたたきのような輝きに満ち、眼下に広がっている。どこまでも、遠く、わたしが訪れたことのない彼方にまで。
 その一方、空へと落ちていくわたしを境い目にして、本当の夜空が濃紺の翼を広々と伸ばしているのが見える。宝石のような光を散りばめて。
 わたしという境界を挟む天と地――それぞれ装いを異にした二つの星空が、互いにその美麗さを誇示し、競い合っているみたいだ。

「すごい……」

 視界を満たす鮮烈な光景に対して、少し素朴にすぎる感想が、自然とわたしの口からこぼれる。
 数十秒か、あるいは数分か。そのあいだ、言葉もなくわたしと宇宙人のおじさんは空をすべるように上昇していく。
 薄い煙のような雲の塊を抜けて、星と月が近づいてきたそのとき、わたしは視界の片隅に赤い光をとらえる。
 地表で発生した、それは巨大な閃光を伴う爆発のように見える。

「あれは、なに」

 宇宙人のおじさんは淡々と答える。青い海の向こうを指さしながら。

「あの大陸の国が、隣国に対して核兵器を用いました」

 よく見ると赤い光は、地上のいくつもの場所に発生している。光はちかちかと激しく断続的にまたたいて、まるで線香花火の終わりぎわみたいだ。

「その報復と支援と阻止と、またその報復のために、さらに多数の熱核兵器が星のほぼ全地域で使われています。我々の計算では、今から7自転周期のあいだに、この星の生物はその98パーセントが死滅すると予測されています」
「そんな」

 その残酷な言葉の羅列を聞きながらも、わたしは眼下の光景を綺麗だな、と感じてしまう。

「あなたはサンプルなのです。この滅びゆく星における人類という種の」

 たくさんの赤い光に照らされながら、スーツ姿の異星人は特別に冷たくも暖かくもない言葉をつむぐ。

「あなたはこの星のコミュニティへの関わりが非常に薄く、自分の未来についても強い諦観を抱いているはずだ。それでも悲しみやつらさを感じるのですか」
「……そうだね」

 わたしは応じる。

「それでもわたしは悲しみやつらさを感じるよ。うん、正直なところよくわかっていないんだけど、たぶん、これは悲しさやつらさなんだと思う」

 自分でも形容しがたい心の動きをもてあましながら、わたしは何度も何度もくりかえし赤く明滅する光の群れをじっと見つめる。

「私たちの船の中で、聞かせてください。その気持ちを。あなたのことを。生まれてきてから今までなにを見て、なにを思い、どう感じてきたかを」

 そんなことを聞きたいと言われたのは初めてのことだった。もしかしたら最初で最後になるのかもしれない。

「いいよ」

 わたしは短くそう答えて、遠ざかる地球をもう一度だけ目にした。
 しんと静まりかえる星。まるで明かりの消えた寝室のような。


イラスト:フミヨモギ


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