87-88冊目:雄気堂々(上・下)
入社初日、そそくさと帰宅しようとしていたところにある部長さんがきて、この本をくれました。上巻は渋沢栄一の幼少期から30歳までのお話。下巻はその後のお話。渋沢栄一という人物について、人柄や、生きた時代、周りの人たち、時代小説らしく読みやすく、面白く、そしてより深く理解できた。
渋沢栄一 倒幕→幕府
渋沢栄一は血洗島(埼玉県深谷市)で農家として生まれた。まだ身分制度の残る江戸時代後期、世の中は尊王攘夷(反幕府運動)の流れにより乱れていた。栄一自身も、倒幕や横浜を焼き討ちにしようなんて企て、正義感から世直しをしようと奮闘するも空回ってばかりの少年だった。
ただ同じように正義感を持つ他の人と違った点は、正義感だけで物事を推し量ることなく、自分の中に可能性を残していたことだと思う。栄一以外の仲間は皆、志し半ばで命を落とすことも、牢に閉じ込められることもした。
栄一にとっての大義は世の中を良くすること。そのためなら倒幕を企てた過去を持ちながらも、幕府 徳川慶喜に使えるという選択もできた。
栄一はたとえ信念に背いていようとも、冷静に、現実的に、人生は一つしかない、ならば今どう行動するかを考えた。感情任せでなく、根気強く、時が来るのを待った。
渋沢栄一 幕府
後に大金持ちになる栄一にも貧乏時代があった。薄給の上、借金もあった栄一は生活を切り詰め、ねずみ取りで捕まえたネズミを醤油のつけ焼きにして食べた。
当時は借金を借りっぱなしにする人も多かった。栄一は借りた金は返すとけじめをつけて生きた。
そんな栄一も幕府に仕える中で多くの経験を積み、多くの人との出会いがあった。
そして思った。
渋沢栄一 ヨーロッパ
栄一は幕府としてパリの万国博覧会へ行くこととなる。フランス語を独学で覚え、誰より早くマゲを切り、外国の文化に染まった。
そして日記を書き続けた。それが面白い。
今はバターをパンに塗り、コーヒーを飲むのは典型的な朝食という感じだけど、これが栄一には誠に美味うござんしたそうで、今の日常に感謝。
パリでの栄ーたちの一行には、日本の名誉総領事をしているフロリ・ヘラルドという銀行家がつきそって、世話をしてくれた。栄一はヨーロッパを周り、実業を視察し、経済を学んだ。
渋沢栄一 新政府
帰国後、静岡で、大政奉還した後の徳川慶喜の元で、栄一は商売し、ゆっくりと余生を過ごそうとしていた。そこへ突然、大隈重信により新政府へ勧誘された。
一柱の神として、国づくりをどこまでやれるか、ためしてみたい。そうして、栄一は、新政府に出仕することにきめた。
渋沢栄一 富岡製糸場
富岡に工場を設立した。しかし400人働くはずの工場には講師となるフランス人の女工がいるのみ。その理由がまた面白い。
今でこそワインだと分かるけど、当時の人は赤い葡萄も知らなかった。
渋沢栄一 合本組織
栄一は合本組織を夢見た。
ただそんな夢見た合本組織(株式会社)設立後にも問題はいろいろあった。合議体がよいとしても、くだらぬ提案や意見の対立のため、まとまるべきものがまとまらず、その結果、せっかくの名案も流れてしまう。最初の会社はそんな不完全な組織だった。
その後も問題は多くあり、三井や三菱など今でもよく知る会社や人物が登場する。そして、こうして少しずつ改良され、今の日本社会が作られてきたのだと分かると、とても感慨深い気持ちになる。
渋沢栄一のことを知るにはいちばんのおすすめ
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