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今野敏作品に見る護身術の心得

子供の頃の私はほとんど読書をしたことがなく、むしろ苦手、嫌いでした。
大学時代は、学費を払うからにはしっかり勉強しようと思い、意識的に色々な本を読んでいましたが、本格的に読書が好きになったのは社会人になってからです。

出張先で、取引先のオフィスにあった本棚から帰りの道中のお供として本を一冊もらえることになり、ジャンルも冊数も数多ある中、今野敏先生の『特殊防諜班-標的反撃-』という小説を手に取りました。
この一冊が、後に私の人生を変えることになります。

当時は今野敏先生の名前も聞いたことがなく、なんとなく「タイトルがかっこいい」というだけの理由で選びましたが、ホテルに戻ってパラパラと読み始めるとあまりの面白さに止まらなくなり、帰りの道中のお供とするどころかもらったその日のうちに読み終えてしましました。

出張から帰り、同じシリーズの作品を皮切りに今野敏先生の作品を片っ端から読み、次第に他の作家の小説や、小説以外の様々なジャンルの本もすすんで読むようになりました。
今では読書が生活の糧の一つになっています。

更に、今野敏先生の作品はじめ、私の読む小説の登場人物はなぜか皆、剣術か大東流合気柔術をやっていて(笑)、武術への興味も湧きました。

興味が湧くと見ているだけでなく自分でやりたくなってしまう性分なので、色々と調べた結果、現在お世話になっている剣護身術に行き着きました。
この辺りの経緯は剣護身術のサイトにも寄稿したので、あわせて読んで頂けると嬉しいです。

つまり、今野敏先生の影響で、武術・護身術を習うことにもなったのです。
護身術も読書と同様に日々の生活の糧となっているだけでなく、転職にも大きく影響しているので、まさに人生を大きく変えられたと言えます。

さて、今では(悲しいことに)会社内で煙たがられる程の護身術フリークとなり果てた私は、小説を読んだり、映画を観たりする際、登場人物の考え方や行動を護身の観点で評価してしまうクセがあります(作品全体としてももちろんちゃんと味わっていますが)。

護身の観点で印象的な作品は色々あるのですが、その中でも、この記事では私の人生を変えた今野敏先生の二つの新作について書きます。


『暮鐘-東京湾臨海署安積班-』

一作目は、安積班長率いる刑事達が活躍する「安積班シリーズ」の最新作。
私にとっても大好きなシリーズの一つです(好きな作品やシリーズは多過ぎて、一番を決めることはとうに諦めました)。

本作は、「暮鐘」を含めた短編集で、そのうちの「防犯」「実戦」という二つの短編は、タイトルからも察しが付く通り、特に護身術との関連が深いです。

「防犯」では、現実でも社会問題になっているストーカーとあおり運転がテーマになっています。

安積班長の同期にして盟友の速水は本作の中で、自分の身を護るためには「ちょっとした気配り」が必要であると言います。

速水が言う「気配り」とは、夜道を一人で歩かない、危険な場所に近付かない、他人の反感を買うような運転をしない、といったようなことです。

護身術というと、犯罪者と相対した場合の対処法のことを思い浮かべられることが多いのですが、「犯罪者と相対した場合」というのは既に最悪の状況なので、まずはそのような最悪の状況に陥らないことが第一です。
その意味で、私は速水の主張に賛同します。

犯罪において被害者の方にも非がある、ということではありません。
しかし、残念なことに犯罪を犯したいと考えている人間はいなくならないので、護身術を学んでいる身としては、最悪の状況に陥らないための方法を、より多くの方に知って頂きたいと考えています。 

「実戦」では、安積班長の部下の黒木がフィーチャーされます。

黒木は学生時代に陸上をやっており、警察官になってからは必修の武道も持ち前の身体能力と規律で身に付けます。
本作では、襲い掛かってくる数名の暴徒を黒木が警棒を使って一瞬にして制圧し、上司である安積班長が驚くという場面があります。
安積班長は、黒木が実は剣道五段の腕前だということを初めて知ったのです。

この件を機に、黒木は警察内部の剣道大会に出ることになりますが、勝ち進む自信がないと安積班長に告げます。
それは、黒木が「実戦にこだわりたい」「試合で勝つことより、刑事として剣道を役立て」たいと考えているからです。

本作の中で黒木も言っていますが、武道の試合に勝つには物凄い努力が必要です。
しかし、実戦は試合とはまったく異なるということは、どれだけ注意してもし過ぎるということはないでしょう。

黒木が警察官として一人で複数名の暴徒を相手にしたように、一般市民が護身術を使わなければならないような場面も、自分は素手で相手は凶器を持っている等、基本的に「自分の方が不利」という状況を想定しなくてはなりません。
何より重要なのは、試合とは違って勝敗を判断して止めてくれる審判がおらず、敗北は最悪の場合「死」を意味するということです。

目的を「試合に勝つこと」と置くのか「実戦に役立てること」と置くのかでは、同じ技術だとしても稽古の内容に違いが出ると思います。
常に実戦を意識した黒木の稽古方法はとても気になります。

『大義-横浜みなとみらい署暴対係-』

二作目は、みなとみらい署の暴対係(暴力団等の組織犯罪を担当する部署)シリーズの最新作です。 

安積班の面々が勤務する臨海署はお台場を管轄する警察署なので、奇しくも両方とも「港町」が舞台の作品ということになります。

本作も短編集で、その中でも「心技体」というエピソードが印象に残っています。

暴対係の面々は、日々暴力団と渡り合っているだけあって、強面であったり、腕っぷしが強そうな見た目をしています(そのように描写されています)。
その中で、倉持という男だけは、チンピラにもなめられるような弱そうな外見です。

しかし、人は外見だけでは判断できないもので、実は倉持は高校時代から大東流合気柔術を習っており、逮捕術にかけては屈指の実力者です。
そう、私を武術の深い世界に引きずり込んだ、大東流合気柔術です。

本作において倉持は、心技体という言葉についての持論を述べます。
一般に、武道の世界では心技体はすべてを充実させるべき、と言われますが、倉持はそうは考えません。

というのも、幼い頃から身体が小さく、気も弱かった倉持にとっては、すべてを充実させるというのはとてもハードルが高いからです。
そこで、倉持はとにかく「技」に専念しました。

技を学ぶために夢中で稽古していた倉持は、ある時、いつの間にか身体も丈夫になっていることに気付いたと言います。

私が学んでいる剣護身術も、大東流合気柔術がベースになっています(週に一回は大東流のクラスもあります)が、稽古を続けているうちに身体が丈夫になるというのはとても共感できます。

武術の経験のない方とお話しすると、「武術に筋力は必要ないんでしょ?」と言われることがよくあります。
多分、色々な小説やアニメ等において、小柄で細身の人物が大男を投げ飛ばすといったようなシーンが人口に膾炙しているため、一般の方にもそのようなイメージがあるのだと思います。

私の感覚的には、そのイメージは半分当たっていて半分間違っている、といったところです。

まず、筋力はないよりはあった方がいいと思います。
本来、武術の技は体捌きや身体の構造を上手く利用することによって初めて成り立ちますが、体捌きが稚拙だとしても筋力で同じ結果が得られるのであれば、とりあえずはOKだと思います。

ただし、先述の通り護身術においては「自分の方が不利」な状況を想定しなければなりません。
したがって、自分より筋力や体格において優れている相手に通用しなければ、護身術の技としては意味がありません。
だからこそ筋力や体格に左右されない技術、すなわち体裁きや身体の構造を利用するといった原点に立ち返る必要があります。

つまり、身体を上手に使う訓練が必要であり、そういった訓練を繰り返していると、目に見えて身体は頑強になっていきます。
私は腰痛に悩んでいた時期がありましたが、武術・護身術を習い始めてからは一切なくなりました。
護身術は健康法としても役に立つということも、多くの方に知って頂きたいです。

また、小説の中で気弱だった倉持は、技を学び(技)、身体が丈夫になったこと(体)で精神面(心)の弱さを補えていると語っています。

現実社会でも、ストレスが多い中で「精神的に強くならなくては」と考える方が多いのではないでしょうか。
しかし、精神を鍛えるのは、場合によっては長い年月を必要とする、大変なことだと思います。
であれば、倉持のように精神を鍛えることを一旦諦める、ということを試してみるのはどうでしょう。

護身術(技)でも、筋力(体)でも、何か一つを伸ばすことで他が付いてくる、あるいは他の弱点を補うことができるのです。


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