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46万回のありがとう #37誤解があるから理解深まる

これはワタシが46万回のありがとうを言うまでの過程で起きた奇跡の記録。

37日目の朝。
土日はいつも早起きできる。
なぜに休みの日は休みというだけでワタシをこんなにもワクワクさせるのか。

彼からクリスマスにもらったパーカーを着て、新しい1日を迎えようとしていた。

しかし、このワクワクは思わぬ事件の幕開けだった。

いつものように彼におはようのLINEをする。
ふと、まだ日本に戻れそうにないよね、と訊く。

彼はホスピスにいる母を見舞い、帰国中だ。
日本を出る前に、彼のお母さんの術後の様子を写真で見たり、姉弟でスケジュール等確認する慌ただしさを目の前で見てるがゆえに、ワタシもその大変さはよくわかっていた。

かなり端折るが、この質問があらぬ誤解を与えてしまったのだ。

人はたった一つの言葉から、その裏にある背景を勝手に想像で膨らましていく。文章だけの場合はなおさらだ。

しかし、ここで、今までとは違うワタシに出会うことができたのは紛れもなく、ありがとうの鍛錬の効果であろう。

今までのワタシならきっと、誤解を解くために必死だ。それは、彼を失いたくないというより、彼を失って不安になる自分が怖いからだ。エゴ様のお出ましである。

今回も、エゴ様はするりおいでなすった。そして、ワタシに”仕事だけが残り、愛も楽しみもない生活”を見せた。恐ろしくて苛立たしかった。とにかく寂しかった。

しかし、その時だ。

真っ白な思考がその後の映像を全て破壊した。自分でも本当に驚いた。

「今までの人生に起こった全てのことに、ワタシ、今すごく感謝している。どの辛い体験も今のワタシからみたらありがたい経験で、良いも悪いも全ての経験が今のワタシを作ってる。今怖くてもこの経験は未来のワタシが感謝するありがたい経験なんだ。だから何があっても未来のワタシが不幸になる出来事は一つだってない。もう全てうまくいくことは絶対に決まってるからジタバタすることは何もない。」

と。
エゴがいなくなったワタシの頭の中は氷の世界のようにシンとしていた。

ワタシはものすごく冷静だった。

冷静になった後は、携帯を気にしつつも、家事を淡々と行った。そこに、執着はなかった。

台所を綺麗に磨きながら唯一考えたのは、

「死ぬ時に今起きている出来事に対してやればよかった、って思うことがあるとしたらなんだろう?」

ということ。

それは、少なくとも誤解だけは解いておきたい、ということだった。

とその瞬間、携帯を見たら彼から連絡が来ている。

家事をしながら携帯はずっと気にしていたから彼から返事が来ていないことは確認していたのに、彼のメッセージの時間を見たらワタシからの連絡直後にメッセージが入っていた。

パラレル飛んだか、ワタシ?

そしてなんと彼も、ワタシのメッセージを誤解していたことを言ってきた。ワタシも真意を伝えた。かくして、誤解あって互いの理解深まる。

まさに雨降って地固まるとはこのことか。

ありがとうはワタシという軸を紛れもなく強くしてくれている。そして、彼という存在の大きさにもまた気付くことになった出来事だった。

何が大事かがわかると行動にブレがなくなる。人はみな、大事なものがわかっていないから、漠然とした不安だけが常につきまとうのではないか。

ワタシの大事なモノは「今」と「自分をとことん信じること」、「今幸せに思えること」だ。自分がいない世界で、他人を愛し続けても愛は届かない。自分がいるから今の大切な人たちがいる。主人公は自分だと自覚しないと物語は始まらないのだ。

ゴミ出しに出る時にエレベーターのガラスに自分が写る。彼からもらったパーカーを60歳ぐらいになってもまだ着ている自分が浮かび、ふふっと笑ってしまった。捨てられないほど大切にしてるんだなと。

46万回のありがとうまで36万回をきってます。

読んでくださった方にありがとう。
スキくださる方にもありがとう。

ありがとうは言われた側にもご利益があるそうです。


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