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猛烈に何かを書きたくなるとき

ここ数ヶ月ほどあまり書くことへの意欲がわかず、noteも月に一度とりあえず更新ずればいい方、そしてその”とりあえず”上げてみた記事すら気に入らずに下げ、連続更新バッジ泥棒のような有様であった。

書きたい気持ちはあったりなかったりする。そんなときに読むと「猛烈に書きたい!!!」と思わせてくれる人がいる。黒田龍之助氏と鷺沢萠氏である。

黒田龍之助氏は大学で教鞭を取る教授であるが、氏の書くエッセイは残らずすべて面白い。だいぶ年齢も離れているし、言語学で学位を取得した端くれとしては不遜にもあたりそうだが、もし同年代にいて出会っていたらどんなにか気の合う友人になっていただろうかと思う。そのくらい、氏の言語に対する姿勢や、世界の見方などに重なる部分がある(、と勝手ながら思っている)。

『もっとにぎやかな外国語の世界』なんかは最高である。「外国語の世界」というだけでワクワクが止まらないのに、それが「もっとにぎやか」というのだから楽しくないわけがない。昨今は日常で見聞きする外国語のバリエーションもかなり増えてにぎやかになった。単調でつまらない日常にひとさじのスパイスを与えてくれるような、そんな書籍である。

スパイスというのはやみつきになるものである。だから私は唐突に「なんか、今ものすごく黒田龍之助のエッセイが読みたい!!!!!!!!」という発作が起きたりする。そして、だんだんひとさじだけでは足りなくなってしまうのもまた、スパイスというものである。最近読んだのは『物語を忘れた外国語』だ。なんて素敵なタイトルなんだろう。外国語だけでなく数々の書籍も紹介されており、それらをすべてメモしては、私の脳内の積読の肥やしとなってもらうのである。読みたい本を1冊読んで積読を消化したつもりが、今度は何冊増えただろう。外国語だけでなく紹介された書籍までも魅力的に見えてしまうのが、『物語を忘れた外国語』というエッセイである。

さて、次は鷺沢萠氏である。私が彼女の文章と出会ったのは中学生か高校生のとき。教科書に『ケナリも花、サクラも花』の抜粋が載っていたのである。社会人になってふと思い出し、書籍を購入したところ、彼女もまた友人にいたらどんなにか面白かっただろうと思う人間であった。ちなみにこの書籍については、以前別の記事で書いているので内容は割愛する。

『ケナリも花、サクラも花』『かわいい子には旅をさせるな』『ナグネ 旅の途中』『明日がいい日でありますように サギサワ@オフィスめめ』、どれもまるで居酒屋で酒でも飲みながら、あるいは彼女のラジオでも聞いているかのような気分になる。そして、彼女の言葉が紡がれてから四半世紀近くが経とうとしていることに驚く。そんなに前に出版されたとは思えないくらい、彼女の言葉は今の時代にも通じるものがある。それくらい生き生きとして、鮮明なのだ。彼女がエッセイを書いてから現在まで、ちょうど”失われた30年”にあたる。これだけの間、この国は何も変わっていないんだなあということに絶望すら覚える。

『明日がいい日でありますように』
2004年4月11日に急逝する直前までの、生の言葉を収録したエッセイ。このタイトルが彼女の願いすべてだと思う。くだらない話、麻雀の話、お酒の話、そこに混ざる政治や社会への批判。今も生きていたらどんな言葉を綴っていただろうか。鷺沢萠の文章は、ときに私を励まし、ときに猛烈に共感し、ときに和ませてくれる文章であり、それでいて「私も何か言葉を紡がなくては」と思わせてくれる。


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