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一人称のはなし

私はこの「私(わたし)」という一人称を使うとどうもこそばゆいというか、ムズムズするというか、しっくりこない感じがする。名前が二文字で言いやすいので高校生あたりまで友達や家族と話すときは自分の名前を一人称のように使っていた。しかし、徐々に「一人称が自分の名前であるのは子供っぽい」と思うようになり、あるいは周囲からそのような気配を感じるようになり、「私」と言うようになった。

この「私」という一人称、それまで自分の名前を一人称同様に使っていた私にとっては長ったらしいのである。

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私は言語が好きで学生時代にいろんな言語をつまみ食いしてきた。幼少期から習っていた英語に加えて、フランス語、チェコ語、フィンランド語、スウェーデン語、リトアニア語、ハンガリー語、北京語、広東語、上海語、韓国語。自他ともに認める言語マニアだ。なぜこんなに言語沼にはまってしまったかについてはまたの機会に書くとして、これらの言語の一人称について、主格「私は」にあたるものをまとめてみる。読みについては、言語学をかじった身としては国際音声記号を使いたいところだが、今回はローマ字を用いてより近い発音を示すことにする(北京語、上海語、広東語の声調も省略する)。

英語: I [ai]  
フランス語: je [ju]   
チェコ語: já [ya]   
フィンランド語: minä [mina]   
スウェーデン語: jag [yo]   
リトアニア語: aš [ashu]   
ハンガリー語: én [en]   
北京語: 我 [wo]   
上海語・広東語: 我 [ngo]   
韓国語: 저 [cho] または 나 [na] (前者はより丁寧な表現)

どれも1音節または2音節(母音の数が1つまたは2つ)である。それに比べると日本語の一人称、特に「わたし(watashi)」や「わたくし(watakushi)」は長い。長ったらしくてあまり好きではないので、人と会話しているときは時折一人称を省略してしまう。英語やフランス語あたりだとそうはいかないのだが、これは日本語のちょっと便利な点かもしれない。とはいえ外国語の一人称はそもそも長ったらしくないので抵抗なく使ってしまう。

「私(わたし)」が長ったらしくて言いにくいと感じるのならば別の一人称を使えばいいのではないかと思い立った。日本語には一人称がたくさんある。しかし、そうはいかない。日本語の一人称には性別や職業、社会的身分などが紐づけされているからだ。女性は「わたし」、男性は「ぼく」「おれ」、公的な場では男女問わず「わたし」「わたくし」を用いるという暗黙のルールが敷かれている。多くの外国語には一人称に性別がないのでこのようなルールに悩まされることはないのがうらやましい。

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女性でも「ぼく」を用いる人が少数いる。正直なところ、私も「ぼく」の方が短くて言いやすいので使いたいと思うこともある。だが、世間的には「ぼく」を一人称として使う女性のことを「ぼくっ子」と揶揄することばもある。「おれ」を使う人もいるかもしれないが、「ぼくっ子」同様に偏見の目を向けられるだろう。

逆に、男性が「わたし」という一人称を使ったらどうだろうか。公的な場では普通であり、カジュアルな場面であっても少しお堅い印象をもたれるだけで、多少いじられることもあるだろうが、あまり気に留められることもないはずだ。男性が「わたし」を使うのと、女性が「ぼく」を使うのではハードルの高さが違うというのは少々不公平な気もする。

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日本ではやたらと男性性や女性性を強調する。男性はこうあるべき、女性はこうあるべきという話を様々なところで耳がタコになるほど聞く。その人の性別に合わないことをすると表立って、あるいはひそかに偏見の対象になる。一人称もその一例だろう。性別に関係なく自分が使いたいと思う一人称を使えるような、その人の存在と性別を直接的に結び付けられることのないような、そんな世の中になってほしいと思う。


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