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黒髪信仰と社会のはなし

「地毛が生まれつき明るい茶色の子が校則を理由に黒染めを強要された」
「今まで茶髪にしていたけれど、就職活動を始めるので黒髪に戻す」
「社会人なんだから髪を派手な色にするのはやめなさい」
「母親なのに金髪なんてありえない」

こんな声は聞き飽きた。日本の社会は髪色に厳しい。社会人だけど、黒髪とか暗めの茶髪なんかやめて、この記事の見出しに使わせていただいたイラストのような髪色にしたい。ヨーロッパに行けば金髪も赤髪もいるじゃないか文句をたれれば、あれは地毛だからいいと言われそうだ。しかし、地毛というよりも黒という色への執着が強すぎると思う。私はこの”黒髪信仰”なるものが本当に憎い。

別に私自身の髪色がもともと明るくて、今までに何度も嫌な思いをしてきたというわけではない。むしろ日本社会が大好きな黒髪だし、校則で意味もなく白い目を向けられる天然パーマでもない。中学校や高校の校則でよくある「巻髪禁止」も全く意味不明だと思っているが、今回は髪色の話なのでいったんおいておく。

なぜ髪色にここまでこだわるのか。なぜこうも”黒”に執着するのか。

明るい髪色にするのが流行り始めたのは1990年代らしい。若者の間で茶髪ブームが起きたらしい。当時は茶髪=不良もしくは風紀を乱すものだとされていたという。そのイメージが現在まで変わらず受け継がれてしまったと考えるのが妥当だろう。

だが今では老若男女問わず明るい髪色をおしゃれとして楽しんでいる。風紀を乱していると取り締まるにはもう多すぎるだろう。

黒に執着する背景としてはこちらの記事がわかりやすい。

これによると黒髪信仰の背景にあるのは以下のようなものだ。

・管理型社会の象徴
・男性が女性に求める処女性
・黒髪がもたらす清潔感やキチンとしている感

筆者がこの記事以前に女性の髪形に注目していることから、特に女性への黒髪信仰について書かれている。しかし、2つ目の処女性を除けば男性にもあてはめられることだろう。

まず管理型社会の象徴について。みんな同じであれば管理がしやすい。日本人であれば黒髪であるはずだから、みんなと違う色の人は校則を違反して染めているという風にあぶり出しの対象になる。国際結婚も増えてきているこの時代、日本人であるから黒髪という定義はもう古すぎないか。

次に処女性について。上記のように多くの中学校や高校は管理が厳しく、10代以下で髪を染める人は少ない。20代以降はこういった管理に縛られることもなく、おしゃれのために髪を染める人が増える。こうしたことから黒髪=若さと従順性というイメージになるらしい。日本の女性アイドルたちがみんな黒髪なのもこの思考回路のせいか。(たしか宮脇咲良がHKT48からIZ*ONEに移籍して金髪にしたときに、品がなくなったとか猛烈に叩かれてた気がする)

そして黒髪がもたらすイメージ。男女問わず人生の節目や深刻度が問われる場面では黒髪がふさわしいとされる。これは明るい髪色=不良というイメージの裏返しということになろう。だから就職活動や接客業など、第一印象が重要なところでは黒髪が好まれる。私は接客業に就いていた身なので、このあたりの厳しさはよく知っている。そういう場面に直面するたびに、大事なのは髪色とか外見より中身じゃないのか?と何度も疑問に思い、憤慨したものだ。

もともと黒髪が似合う人もいれば、本当は明るい色の方が似合うという人もいる。近年、化粧品業界やアパレル業界では、パーソナルカラーという言葉を聞くようになった。その人に合うメイクや服の色があるように、髪色にもその人の魅力をより引き出すものがある。第一印象が大事だからと黒髪にしたせいで、逆に印象を悪くしてしまっている人だっているだろう。

人生100年時代というならば、おしゃれだってめいっぱい楽しんでもよいではないか。仮に100年生きるとして、髪色を自由にできる時間は学校や職業にもよるが10分の1あればいい方だろう。殊に金髪などブリーチを必要とする派手な色にしようと思ったらなおさら少ない。社会人だってKPOPアイドルたちみたいな派手で可愛い髪色にしたいのに、社会がそれを許さない。

TPOに髪色は含めない、髪色だけで人格を決めつけない社会になってほしい。どうせ長生きするのなら、より自由に、より自分らしく、おしゃれを楽しんで心豊かに過ごしたいものだ。

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