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チェコのはなし 後編

徒然なるままに勝手にチェコ紹介、後編。ビールとミュシャとプラハ旧市街のおはなし。よろしければ前編も合わせてどうぞ。

4. チェコビールとの出会い

ビールが有名な国と聞いてほとんどの人がドイツと答えるだろう。ベルギーと答える人もいるだろうか。私もそのどちらかだと思っていた。しかし、チェコも隠れたビール大国だとチェコ語の先生が教えてくれた。チェコではビールが水よりも安いだとか、チェコ人の赤ちゃんはお母さんのお乳よりもビールを飲んで育つだとか、日本のビールはチェコのビールを参考につくられたとか、ビールにまつわるいろんな話を聞かせてくれた。そのときから私は「初めて飲むビールはチェコのビールにしよう」と心に決めたのだ。今回は私のお気に入りのチェコビールを2つ紹介する。

私が初めて飲んだのが、こちらのピルスナーウルケルだ。チェコのプルゼニュ(Plzeň)という都市で生まれた歴史あるビールで、“ピルスナーの元祖”と言われている。コクがあるけれど飲みやすいビールだ。プラハの街を歩いていると、東京でコンビニかスタバに出くわすくらいの感覚でこのピルスナーウルケルの看板を見かけた。そのくらい人気のビールである。初めて目にしたものを親だと思い込むヒヨコの習性ではないが、私にとってビールといえばこの味になってしまい、しばらくは他のビールが飲めなかった。ちなみに、個人的に日本のメーカーでピルスナーウルケルにもっとも近いと思っているのは、サッポロの黒ラベルである。

ピルスナーウルケル以外のチェコビールも気になり、チェコに行ったときにいくつか飲んだりおみやげで買って帰ったりした。中でも私の2番目のお気に入りはこちらのブドバル(ブドバー)だ。アメリカのバドワイザーの元になったビールである。

調べてみるとピルスナーウルケルよりも遥かに歴史が長く、王室御用達の最高級ビールとも言われているらしい。私の個人的な印象としては、ピルスナーウルケルよりもあっさりして苦味も少なくかなり飲みやすい。食事とともに飲めば水の如くスイスイ飲めてしまう。私の中ではこのビールはもはや水も同然だ。

☆チェコビールこぼれ話★
実際にチェコのスーパーでビールを買ったときのこと。缶ビールで330mlと500mlが棚に並んでいた。ふと値段を見てみると、なぜか330ml缶よりも500ml缶の方が安かった。見間違いではないと思っているが、チェコビール最大の謎である。

5. ボヘミア文学とミュシャとの出会い

言語を少しかじるとその国の文化も気になってしまうので、大学3年生のときにボヘミア文学の授業を受講した。この授業は毎年開講されているようだったが、私が受講した年はちょうど東京でミュシャ展が開催されている時期だったので、文学の授業と称しながらも教授はミュシャの絵画も取り上げた授業をしてくれた。教授のこの臨機応変な対応により、私はまんまとミュシャの沼にハマったのである。カフカやリルケやフラバルについての授業もあったし、ボヘミア文学の授業なのだから彼らがメインであるはずなのに、私の印象に残っているのはミュシャである。教授には少しばかり申し訳ない。

ある日、授業が終わると私はその足でミュシャ展をやっている美術館へ向かった。美術館にはもちろん音声ガイドやそれぞれの絵に関する説明があるが、私はどうしても授業で配られたレジュメを持っていきたかった。ミュシャ展ガチ勢である。レジュメに書いてあることや授業中に私がメモをとったことの大半は展示の説明書きにも書いてある。スラヴ叙事詩の18枚目に描かれている竪琴をもった少女はミュシャの娘ヤロスラヴァであるとか、実は未完成であるとか。

ひとつだけ、スラヴ叙事詩の説明でどこにも見当たらなかったことがある。スラヴ叙事詩の絵でミュシャのサインがあるのは1枚だけであるということだ。画家は自分の絵の右下か左下にサインをいれるものだ。しかし、20枚あるスラヴ叙事詩の絵でミュシャの文字が入っているのはたった1枚だけなのだ。

ミュシャ以外でこの授業で印象に残っていることといえば、プラハ旧市街の街並みに関する話である。

プラハの旧市街にある建物には、装飾として人の像が使われていることが多い(見出し画像参照)。この人たちは何者だろう。歴史上の人物?お店の創設者?それとも建築家の好み?どれもハズレだ。実はこの人物たち、チェコ人のルーツともいえるスラヴ神話の登場人物たちなのだ。

なぜスラヴ神話の登場人物たちを装飾に使ったのか。
チェコは昔、オーストリア=ハプスブルク帝国の支配下にあった時期がある。そのときにチェコ語の使用が禁止され、ドイツ語を用いることを強制された。チェコ人のアイデンティティともいうべきチェコ語を、表立って使うことができなくなったのである。このままではチェコ人たちの誇りが失われてしまう。言語を使わずしてチェコ人としての誇りを後世に残してくための手段として考案されたのが、建物にスラヴ神話に出てくる神様たちを装飾することだった。

私はこの話を聞いたときにひどく感動したのだ。自分たちの民族を守るためとはいえその手段が芸術的でロマンチックだったからだ。歴史の荒波に揉まれながらも生き残ってきたチェコという国の文化。その民族意識の高さと団結ぶりに心を打たれたのだった。

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2回に分けてお送りした、「チェコのはなし」。気づけばすっかりチェコの虜になっていた。思いつくままに書き連ねただけのだいぶ偏った記事ではあるが、チェコに興味をもつきっかけになれたら万々歳だ。海外渡航の規制が解除され、また旅行を存分に楽しめるようになったら行きたい。プラハは外せないが、ブルノやプルゼニュ、オロモウツにカルロヴィヴァリなど地方都市も巡るチェコ周遊の旅にしよう。いまはステイホーム、旅行の計画とチェコ語の勉強に励むことにする。

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