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人生のバイブル -十二国記

誰も惜しまない命だから、自分だけでも惜しんでやることにしたんだ

小野不由美作の小説「十二国記」より第一作目の『月の影 影の海』に登場するセリフである。2021年9月に30周年を迎えた大人気シリーズを、私は節目のその年に初めて手にしたのだった。

「十二国記」シリーズは、私たちが住む世界と架空の異世界を舞台に繰り広げられるファンタジー小説である。異世界には十二の国があり、それぞれの国は天意を受けた霊獣である麒麟と、その麒麟が見出した王によって統治されている。シリーズを通して一つの国や一人の主人公を描くのではなく、十二の国とそれを治める王や麒麟などをそれぞれ舞台として物語が進んでいく。

第一作目『月の影 影の海』は上下巻に分かれており、主人公は中嶋陽子という女子高校生。平凡に暮らしていた陽子はある日突然現れた“ケイキ”という男に連れ去られ、異世界に渡る。しかし渡る途中で“ケイキ”とはぐれてしまい、見ず知らずの異世界で孤独な旅をすることになる。流れ着いた巧国ではよそ者扱いをされ死刑にされそうになり、命からがら逃げたところを拾ってくれた人には騙されるなど、なんとも苦しい経験が続く。

冒頭に紹介したセリフは、陽子が蒼猿とのやりとりの中で発するセリフだ。この蒼猿は、陽子がつらく苦しいときや何かに迷っているときに現れては陽子をからかう。自分を助けてくれた楽俊というネズミを信じていいのか迷う陽子を、人を信じることすら簡単ではない、いっそ死ぬ方が簡単だと蒼猿は唆す。それに対して陽子が言い放つ言葉だ。

誰も惜しまない命だから、自分だけでも惜しんでやることにしたんだ

とても強い決意の言葉である。私は初めてこの箇所を読んだときに心が震え、何度もこの箇所を反芻したことを覚えている。自分と陽子を重ねずにはいられなかった。

陽子はクラスでは優等生で、暮らしぶりも特段貧しいということはない、だが、女の子らしくあれという父親や、仲の良いようで心から友達とは言い切れないクラスメイトたちに囲まれ、決して心地良いという思いはしていなかった。こうしていれば楽だから、嫌われずに済むからと振舞っていた。私にも似たような経験があった。特に中学、高校時代は成績優秀でいい子であるように努めた。そうすれば親や教師からは信用と期待を得られ、友人からは頼りにされる。優等生であることを自分のアイデンティティとして存在価値を見出していた。

しかし、大学生になったあたりからそのアイデンティティに違和感を覚え始め、新卒就活の失敗によりそれはあっけなく崩れてしまった。私が頑なに守ってきた“いい子ちゃん”キャラは、無理矢理あてがったアイデンティティで私の本質ではなく、まるで砂上の楼閣だったのである。自分が何でも器用にできる子から、何にももたないできない子になってしまったのは認めがたいことだった。“いい子”でない自分には存在価値がないと思った。

そんなときにふと読み始めた「十二国記」の陽子の姿に私は救われた。誰からも好かれるために自分を取り繕う必要はないし、そんなことをすれば疲れてしまう。誰かから愛されなければ生きている意味などないということはなく、自分で自分を愛してやればいい。他者ありきの存在価値ではなく、自分の存在価値は自分で決めればいい。そう言われているような気がした。

生きていればいいことがあると人は言うが、私は人生はそう上手くできてはいないと思っていた。幸せは平等に分配されているというのは幸せだけを享受している人の言葉で、彼ら彼女らが幸せに生きている裏でその分の不幸を誰かが背負っているんだと、そう思っていた。少なくとも「十二国記」の中嶋陽子に出会うまでは。

この世界に信じられるものなど何もないと、何に対しても疑心暗鬼になって意固地になっていた私の人生を変えた本こそ「十二国記」の『月の影 影の海』だった。陽子の元に景麒が現れ本来住むべき世界へ連れ戻され、楽俊という信頼できる存在に出会ったように、私にも必ず居場所があり、心から信頼できる人がいるのだと、そう信じて今日も生きる。

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