それって思い込みかもよ?(自分に向けて…)
先日、「苦手だな~」と感じる人のイベントを手伝う機会がありました。
この記事は、自分のための回顧録として、その時のことを残しておこうと思います。
その方は、私の親世代でとても情熱的な方。
社会的にも意義ある活動をされているので、イベントの司会をしてほしいと声が掛かった時には、「私でよければ」と快諾しました。
そこから、イベント当日に向けて、何度か打ち合わせを重ねると、「あれれ…」と感じることが…
(その一例)
✔ ボランティア参加だが、イベント参加費はきっちり徴収される
✔ 打ち合わせに、事前準備無しで現れる
✔ だから、打ち合わせが無駄に長い
✔ スタッフ同士の意見が割れたとき、主催者として判断しない
✔ だから意見ラリーばかりで、打ち合わせが無駄に長い
✔ 任された役割の内容確認を投げても遅レス
✔ だから打ち合わせで確認しようにも、無駄に長くて確認機会すらもらえない
✔ 私以外にも年少者の意見には、時間も耳も割かない
文字にしてみて改めて分かったのは、私は「無駄に長い」が苦手のようですね…
自分でコントロールできないことに、強制的に付き合わされることを時間泥棒に感じるようです。
この時期は、主催者のことを「クレクレさん」と勝手にテイカー呼ばわりしていました←
事前準備の段階で、そんなストレスが積もり、いつしか「主催者は、私のことを軽く(下に)見ている」と不満として捉えるように…
そんな負の感覚を抱えたまま、当日を迎えました。
負の感覚は腹の奥底に隠して、完全なる作り笑顔で、表面上だけでもにこやかに務めました。
さすが、行き当たりばったり感あるイベントらしく、トラブル続出でしたが、無事に終了。
終わった直後は、「やっと終わったー。もう二度と関わらない。」が正直な感想でした。
あれから数日経ち、当事者意識が抜けてから冷静に振り返ると、分かったことが3つあります。
①負の感覚は、個人的な思い込み
主催者は、私を軽く扱っていたわけではなく、ただただ「認識が違った」だけでした。
親ほどに世代が離れた方からしたら、感覚が違って当たり前ですね。
事前準備なしの打ち合わせも、「打ち合わせ」の概念が、「合意形成」ではなく、「ブレスト的に意見を出し合う」ことを目的にしていたのかもしれません。
年少者に対する扱いが「ひどい」と感じたのも、主催者にとって意図したものではなく「イベント主催が多忙でそこまで配慮する余裕がなかった」とも考えられます。
②負の感覚は、視野を狭める
こうやって、時間が経てば視野を上げて考えることもできます。
ただし、当時は「やらされてる感覚」「お互いに尊重しあえない感覚」しか体感できていませんでした。
視野が狭くなると、自分が張ったラベルでしか物事を認識できなくなりますね…
③負の感覚をほどく = 強いもので上書きする
負の感覚の悪影響は認識したものの、芽生えてしまったものはどうしたらよいのか。
ストレスコーピングとして2つのアプローチがあります。
今回芽生えた負の感覚は、セカンダリーコントロールで対処可能でした。
では、どうやって受け取り方を変えるのか。
いろんなやり方がありますが、個人的には、芽生えた負の感覚よりも、グッと強く高ぶるもので上書きするやり方があっているようです。
今回であれば、「自分の言葉で、来てくれた人の楽しいを創る」というモチベーションのみに集中することで、負の感覚をほぐしてリリースできたように思えます。
ただ、もう一度この主催者に協力するかと自分に問うと、それはNO!
自分の時間も守らないといけません。
一度離れた関係であれば、プライマリーコントロールを使います。
あとがき
心理を学び始めて、生きやすくなる知識は得てきました。
ただ知識を得ただけでは、それ止まり。
どう解釈して、どう味付けして、どう活かしていくのか。
まだまだ青い自分を認識して、改めて考えさせられた経験でした。
最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
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