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『繊細ながんばり屋さんに贈る55の禅語集』出版を目指す禅便り

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がんばれちゃうけど実はしんどいあなたへ贈る 『禅×認知行動療法』の教えと実践 元々はHSP気質をもった繊細さん向けに始めた『一日一禅』でしたが、もっと広く(気質は関係なく)繊細… もっと読む
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記事一覧

『繊細ながんばり屋さんに贈る言ノ葉便』 vol.18

本当は疲れているのに、休みたいって言えずにいませんか? 本当は助けてほしいのに、大丈夫っ…

『繊細ながんばり屋さんに贈る禅便り』 〜其の十七〜

 「なんで私ばっかり・・・あの人はいいよなぁ・・・」と隣の芝生が蒼く見えてしまうことがあ…

『繊細ながんばり屋さんに贈る禅便り』 〜其の十六〜

社会的な役割と【本当のあなた】がごちゃ混ぜになってしまっていませんか? ぼくが禅語として…

『繊細ながんばり屋さんに贈る禅便り』 〜其の十五〜

自分の感覚やペースと合わないということを、優劣や好き嫌いに繋げてしまうことはありませんか…

『繊細ながんばり屋さんに贈る禅便り』 〜其の十四〜

何か新しいことを始める前から、それを続けていった先にどうなるかを考えて二の足を踏んでしま…

『繊細ながんばり屋さんに贈る禅便り』 〜其の十三〜

周囲の人やコミュニティによって、どうしてもキャラを演じ分けてしまう自分が嫌になったりしま…

『繊細ながんばり屋さんに贈る禅便り』 〜其の十二〜

「あぁもう、この先どうなるんだろう・・・」と結果が気になって目の前のことが疎かになる時がありませんか? 今日は少し難しい教えですが、「そのものとひとつになれる」という部分、ここがピンとくるかどうかでその価値は0か100に分かれます。 とても簡単にまとめると、「行く末を気にせず淡々とやるべきことをこなしていく」ことの大切さを伝えている言葉です。 つまり、自分自身の力でこうしてやろう、ああしてやろう、こうなれああなれという欲や作為(下心)がある状態で物事に取り組んでも、いつ

【繊細ながんばり屋さんに贈る禅便り】其の十一 〜諸行無常〜

一度決まったことの変更を受け入れ、適応していくのは得意ですか? これは禅というよりも、仏…

【繊細ながんばり屋さんに贈る禅便り】其の十 〜淡交〜

あなたは「人付き合いの主導権」をうまく握っていますか? 道教の始祖である荘子は言いました…

【繊細ながんばり屋さんに贈る禅便り】其の九 〜吾道一以貫之〜

一度「これでいく!」と決めたはずなのに、気づかないうちに道をそれてしまっていることがあり…

【繊細ながんばり屋さんに贈る禅便り】其の七 〜秋露白如玉〜

「私はこれでいく!」という自分軸を自ら打ち破っていくことはできますか? 今日は葉と露の関…

【繊細ながんばり屋さんに贈る禅便り】其の六 〜日日新又日新〜

「くよくよしても仕方ない」と頭で分かっていても前を向けない時ってありませんか? 日常のち…

【繊細ながんばり屋さんに贈る禅便り】其の五 〜結果自然成〜

「あんなに頑張ったのに、なんで自分はいつもこんなに報われないんだ」と、最終的な結果に不満…

【繊細ながんばり屋さんに贈る禅便り】其の四 〜歩歩是道場〜

あなたは目の前の現実に 「なんで自分がこんなことをやらなければいけないんだ」 と面倒くさく感じることはありませんか? 『歩々是道場』(ほほ これ どうじょう)は 「どこにいてもそこがあなたにとっての道場で、なにをしていてもそれはあなたにとっての修行である」という教え。 これは非常に厳しいと同時に、生きることへの絶対的な希望をもたらしてくれる禅語のひとつです。 今ぼくたちが暮らしている世界はとてつもないスピードで移り変わっていて、ほんの少しでも油断をすると「自分ではないな