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2023年、どんな年にしようか。

また年が明けた。2022年もまた激動の1年だった。毎年の恒例行事。ここに2022年のふりかえりと新年の抱負をまとめておく。

2022年のふりかえり

自愛を込めた新年の抱負

昨年の新年の抱負を見返した。

そこに書かれていたのは自愛だった。思い返すと、2021年末は仕事にも、新居の建築にもエネルギーを使い、疲れ切っていたということをあらためて思い出した。

2050年の未来とか、誰かのための自己犠牲とか、自分に変化を強いるのには疲れた。今年はもうすこし自分のために生きようと思う。

「誰かのために生きた4年間とシリアルな挑戦と、あるいは自分のために生きる2022年について」
筆者noteより

そんな抱負もむなしく、以下に記すように結局は激動の1年を過ごすことになる。

ロシアの特別軍事作戦開始

そんな自愛を決め込んだところに、ロシアの特別軍事作戦が開始される。Twitterに流れる戦果の炎を前に、ぼくは眠れぬ夜を過ごした。焼け焦げた死体という衝撃的な動画も多数流れており、ぼくの心を蝕んだ。

なぜ、ぼくがこのニュースにそこまで胸を痛めたのか。

ぼくは批評家の東浩紀によって創業された「ゲンロン」という会社のサービスを利用している。ゲンロンは、学会や人文書の常識には囚われない、領域横断的な「知のプラットフォーム」の構築を目指しており、批評誌『ゲンロン』にてロシアやウクライナについて扱っているのだ。

この批評誌を読んでいたこともあって、ロシアやウクライナについては多少の愛着があったのである。

また、隣国が国境を越えて戦車で乗り込み、侵攻を開始するといった、まるで第二次世界大戦のような光景を見て、人間の進歩のなさにぼくの心は萎えた。

そして、奇しくもロシアは日本の隣国である。安全保障の既成概念が揺さぶられたのも記憶に新しい。

仮住まいへの引っ越しと新居の完成

そんな最中、茅ヶ崎へ引っ越しがはじまる。新居はまだ完成していなかったが、妻と息子は転勤、転園しなければならず、仮住まいに2か月ほど生活をした。

2ヶ月もすれば新居に引っ越しということもあって、荷ほどきもそこそこに生活した。最低限のリモートワークと料理ができる環境だけ整えて。

仮住まいは団地だったが、悪いことばかりではなかった。ぼくは幼少期に団地に住んでいたから、ノスタルジックな心地よさも感じることができた。マンションにはない、住人同士のコミュニケーションがまだそこにはあり、公共性を感じたものだ。

とはいえ、妻も息子も新しい職場、保育園での生活がはじまり大きな負担がかかってもいた。仮住まいへの引っ越しと生活環境が整わない2か月もの生活は、いくら新居への引っ越しが控えているとはいえ、短いものとは言えなかった。

安部元首相銃撃事件

7月8日、奈良市で参院選の街頭演説中だった安倍元首相が、同市内に住む無職の山上徹也容疑者(事件当時41歳)に手製の拳銃で撃たれて死亡するという前代未聞の事件が起こった。

ぼく自身、当時のTwitterをさかのぼるとその動揺がわかる。

このあと、旧統一教会と安部元首相との関係性が取りざたされ、大きく社会を動かすこととなった。暴力による社会変革。日本は先進国ともはや言えないのではないか。この事件もぼくの虚無感を増幅させた。

仕事に忙殺された夏

ぼくはプロフィールにもある通り、働く人たちに向けた教育や人事評価の領域におけるサービス責任者をしている。この時期、大きなプロダクト開発に関する業務が繁忙を極め、心身ともに大きなストレスがのししかかった。

コロナ感染

そんななかでの、コロナウイルス陽性である。保育園から息子がもらってきたコロナは容赦なくぼくに襲い掛かった。むろん、重症化することもなく今も元気に過ごしているわけだけど。やはり、身体的ダメージは数週間から1か月ほど残り、万全の状態になるまで時間を要した。

健康不安

コロナの後遺症的な不調がなくなったかと思ったら、人間ドックでの再検査判定である。40近くになり、老いを感じさせる。30代は慢性的な疲労が、40にもなると内臓にくるのかと思わされた。

このようにまとめてみると、とりあげたすべての内容がネガティブであると思う読者もいるだろう。ただ、このふりかえりは年始の自愛を込めた抱負に対するものであり、自愛に反する内容をとりあげただけである。

仕事も大きな収穫があったし、新居も完成し、第二子も生まれた。よいこともまた、たくさんあった1年であった。

2023年の抱負

上記にも書いたように結局は新年の抱負は守られないのだから、意味がないのではないかと思い始めるが、まったく意味がないわけではない。

抱負を書かなければ上記のふりかえりはできない。むろん、抱負を実践できればいちばんよいのだが。ということで考えてみることにする。

ぼくは新居に越してからというもの、ある種の燃え尽きを感じてきた。そして、そのことは以前のnoteでも書いた。ぼくにとっては、この決断は一世一代の大勝負であり、人生をかけていたからである。

キャリア論でいえば、ぼくは「ニュートラルゾーン」にいる。つまり、ライフイベントの一大イベントが終わって、次のキャリア目標を見つけるまでの空白期間のことである。この空白期間がなかなかにもどかしい。空虚を感じるのだ。

しかし、そんな空虚感は第二子の誕生が吹き飛ばしてくれた。新しい命は無条件で親を必要しているのであり、それだけで重要感は満たされる。

健康不安の払しょく

そんななかでぼくがまずしなければならないことは、健康不安の払拭だろう。1月中に精密検査を受け必要な治療を受けるつもりである。それが2023年をはじめる必須の条件になる。

自覚症状などないため、大事には至らないと思っているが念のための検査である。第二子の生命誕生とともに健康不安の一切を払拭しておきたい。

インプットに次ぐインプット

そのうえで、書籍および映画など100のインプットをおこなう。インプットのなかには、研修や会食も含める。自分の直観に従って、よいインプットになったと思えることはすべて換算していく。

きっかけは年明けに弟と会ったときに言っていた「映画を100本見る」という弟の抱負から着想を得たものである。では、なぜインプットなのか。

次男の誕生によって重要感が満たされ、生きがいを与えられたとはいえ、ぼくは今なお「ニュートラルゾーン」にいる。キャリアという観点においては暗中模索状態なのである。たくさんのインプットをおこなって次のキャリア目標を見つけたい、というのがひとつめの理由である。

そして、次男の誕生によって増加する抱っこタイムを有効活用したいという狙いがふたつめの理由である。乳幼児が増えると圧倒的に、一つの場所にじっとしている時間が多くなる。(寝ているあいだ、そのまま2、3時間動かずにいることもザラである)その時間は、書籍や映画といったコンテンツを消費する絶好の時間なのである。

遅ればせではあるが、2022年のふりかえりと今年の抱負を記載した。家族ともどもよい1年にしたいと思う。

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