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守られない抱負と人生の有限性、あるいは人生からの贈り物について

はやいもので今年ももう半分が過ぎようとしている。noteの更新もなんだかんだと滞ってしまった。

前回の更新では新年の抱負とともに、健康不安の払拭の必要性について書いた。人間ドックが要検査となりぼくにとってははじめての検査が必要だった。結果は、大きな病気などなかったのだが、あらためて自分の人生をどう生きるか、考えるきっかけとなった。

また、インプットに次ぐインプットという抱負も掲げており、この進捗も良好である。Twitterで #インプット2023 というハッシュタグで都度記録をつけている。現在、主に書籍のインプットを51冊終えている。月に10冊のペースを維持しており、目標の100冊の折り返し地点まできた。これだけ新年に掲げた抱負の進捗がいいのは人生ではじめてかもしれない。

新年の抱負はほとんどが果たされないと言われる。実際に、2012年にJournal of Clinical Psychologyで発表された研究によれば、新年の抱負を立てるアメリカ人は、全体のほぼ半数に上る一方で、実際に守り通せる割合はたった8%だったという。しかも、抱負を守り通せなかった人々の多くが、新年早々に躓いてしまう。

では、なぜ多くの人がそんなにもはやく挫折してしまうのか。その理由を、アメリカのスクラントン大学の心理学教授であるジョン・C・ノークロスは、「節制違反(self-regulation failure)」にあると説明する。節制違反とは、何かをやめてしまった後、もう一度それをやってしまった時に起こるネガティブな認知的反応のことである。「ああ、やってしまった、もうダメだ」と事態を認知することによって、新年の抱負を諦めてしまうという。

実は、そんなぼくも4月はインプットが滞り、月10冊の目安を下回ったことがある。ぼくにも「ああ、やってしまった」。そう思うことがあったのだ。結果的には5月の連休を活用して、5月は月10冊を超えるインプットをすることで、遅れを取り戻すことができた。

では、なぜぼくは「もうダメだ」と思わなかったのだろう。抱負を諦めしまわずにいられたのだろうか。(とはいえ、まだ折り返し地点でまだまだ油断ならないのだが。)

その最大の理由は、先に記した健康不安であろうと思う。一時は最悪の事態を覚悟したこともあった。家を建てたばかりでどうしよう、と不安に苛まれた。やり残したことはないかと人生を回想したりした。最愛の子に、最後に何を残すことができるか、とも考えた。

ぼくは人生の有限性を意識したのだ。ぼくは今年40になる。ぼくの年齢では、ふつう人生の有限性を意識することはない。それよりも、日々、目の前の仕事や家庭のことでいっぱいいっぱいである。それが、人間ドックをきっかけにして、人生の有限性という究極の命題がぼくにふりかかってきたのである。

今、ぼくは人生の有限性への自覚化によって膨大なエネルギー与えてもらっている。モチベーションを与えてもらっている。生きるエネルギーやモチベーションは自分で醸成したり、他者に与えられたりするものであるだけでなく、人生からも与えられるものでもある。

ぼくは今、そんなことを考えている。

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