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『はじまりの島』上映会 in 名古屋(2022/02/27)参加レポート

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後藤サヤカさんが2012年に制作したドキュメンタリー映画『はじまりの島』の上映会が、AMCアート&マインドセンター(名古屋市千種区)で行なわれました。

ドキュメンタリー映画『はじまりの島』とは?

沖縄世界の創世神話の舞台であり、創世神「アマミキヨ」が最初に降り立って琉球の国づくりを始めたと伝えられる"神の島"、久高島(沖縄県南城市)。

その久高島の旧正月の3日間の祭祀行事にスポットを当てて、カミと自然と共に暮らす久高の人たちの暮らしぶりや、沖縄本島や内地から移住してきた人たち、久高島に憧れと望郷の念を抱いて毎年のように訪れる人などの話を聴いたりして感じたことを、サヤカさんが見たままありのままに記録した映画です。

(サヤカさんのミニ・インタビュー映像入り『はじまりの島』予告編動画)

また、『はじまりの島』制作当時のサヤカさんへインタビューしたWeb記事も併せてご紹介しておきます。

このレポートでは、久しぶりに『はじまりの島』を観て気づいた2、3の事柄について、簡単にまとめたいと思います。

子どもから大人になりやすい島

私にとっては、この映画を見せていただくのは今日で3年ぶり・4回目か5回目でした。参考までに、前回2019年に神奈川県湯河原の城願寺で行なわれた上映会に参加した時のレポートをリンクしておきます。

この映画を観るたびに気づくのは、サヤカさんの久高の子どもたちへの眼差し。サヤカさんにとっては"久高のお父さん"的な存在である、久高島と沖縄本島を結ぶ連絡船を運航している、久高にとっての大功労者、内間新三"おじぃ"を囲んでの夜の宴席では、子どもたちが大人から「ここは大人が集まるところだから子どもはあっちへ行ってなさい!」と排除されることがない。

おじぃが三線をつま弾く様子を、小さな男の子が横目で見様見真似で三線を触っていたり、あるいは、眉毛を"今風に(?)"きれいに書いて整えた高校生くらいの男の子が、大人が弾く三線を真剣な眼差しで見つめながら三線を弾いていたり。
久高島でもとりわけ神聖とされる「外間殿(ほかまどぅん)」での旧正月の祭り3日目のクライマックスでさえも、大人も子どもも入り混じってカチャーシーを踊る。

この映画を観た私が見る限りで、この久高島では、子どもから大人になるための"通過儀礼"的な区切りがわざわざ設けられていないように感じる。子供から大人へ、途切れなくスムーズに移行していく…とでもいうのか。
今日の上映会に参加していたある人は、「大人が大人の役を演じていない、大人の振りをしていない」という言い方をしていました。

久高では、子どももありのまま。大人もありのまま。
お互いありのままで居合っているから、「子ども」「大人」という概念区分が、内地で都市生活者として暮らしている私が感じているほどにはあまり意味をなしていないのかもしれません。
もちろん、子どもを必要以上に・不自然に大人扱いしているのでもなく、また、子どもが大人を軽く見過ぎているわけでもない。お互いがありのままどうしで生きているから、久高で伝承されるべきものが、老年者から若年者へ自然なかたちで伝えられているのではないか…。おじぃと子どもの三線のシーンから、こんなことを感じました。

葛藤があるなら大丈夫

『はじまりの島』では、本島や内地から嫁いできたり移住してきて久高島で暮らすようになった女性たちへも多く取材しています。

中でも、私が特に印象的に思うのは、"心が爆発しそうな時"や、逆に嬉しいことがあった時などにもそれを報告するために、1年に一度くらいの頻度で内地から久高島に通っていて「大の久高島ファン」だという女性へのインタビュー。
その女性は、

「私はこんなにも久高島のことが好きなのに、いざ"久高に住んじゃえばいいじゃん?"と言われると、そんなに簡単には踏み切れないような思いもまたあるのです…」

と、率直に語ってくれていました。

この"久高の大ファン"さんへのインタビューのシーンは、『はじまりの島』の中でも私がいちばん好きな場面かもしれない。
久高島に生まれ育った人、久高に定住してなじんだ人々は、内地の時間感覚や沖縄本島のいわゆる"島時間"ともまた一味違う、久高島独特の穏やかな時間の流れに乗って、人間関係のギスギスしたストレスなども見た目からは窺い知れず、実にのんびりと仲良く暮らしているように、傍目には見える。

けれどもこの女性は、久高島のことが好きなのに、移住するかどうかとなると二の足を踏んでしまうという葛藤がある。
私はこの映画を通して何度目かにこの女性のことを見て、

「その葛藤があるなら大丈夫なんじゃないだろうか」

と思ったものでした。

また、映画全体として見ても、久高に住みたいのだけどどうしようかと迷っている人物を登場させることで、久高の魅力や、この映画そのものの魅力もより多面的に伝えることになっているのではないかと感じました。

久高に留まらない問題提起

久高島には、女性が守護神(または神の依り代)となって、島で働く男性の無事を祈り守護するという宗教性がある。これまでは久高で生まれ育った"ネイティブ"の久高の女性たちがそれを担ってきた。
久高島の宗教性・精神性を語る上で最もよく知られているのが「イザイホー」と呼ばれる12年に一度の大祭。

参加できる条件を満たしたネイティブの久高女性がだんだん少なくなってきたことなどから、イザイホーは1978年を最後に事実上"絶滅状態"にある。
イザイホーに限らず、久高島で営まれているカミ行事(祭祀行事)を担う久高人のオリジナリティがだんだんに失われていく中で、外からやって来て久高に定住している女性たちは「伝統はあるのが当たり前という時代は終わって、これからは久高の歴史を学び直して、何をどうやって後世に継承していくかを考えなければならない」と語っていました。

このことは久高島に限らず、少子高齢化や長きにわたる経済の停滞で、子どもを産み育てづらい社会になってしまっている日本全体への問題提起にもなり得るのではないだろうか。

血縁のつながりだけではない、人間としての種のつながりをどうやって後世に受け渡していくかを、長期思考で社会をつくる必要性を説くための「グッド・アンセスター(良き祖先)」という考え方があります。

この映画は、東京にあるアート系ミニシアター「アップリンク渋谷」でロードショウ上映もされたことがあるのだそうです。当時のアップリンクの支配人も、久高島の中だけの問題ではない、普遍性のある問題提起があるところを評価して、スクリーンにかけようと思ってくれたのではないかとも思いました。

島々の旋律

映画上映後には、サヤカさんのパートナーでクラシックギタリストの西下晃太郎(にしした・こうたろう)さんによるミニコンサートがありました。

『はじまりの島』で、内間新三おじぃが自ら作曲して三線を弾きながら歌う島唄「久高通い船」を、晃太郎さんがクラシックギター向けにアレンジした曲や、1600年ごろのアイルランドの唄を編曲したギター小品などを聴かせてくださいました。
地続きの大陸の音楽とはまた少し違う、海に囲まれた島に伝わる唄には、海の波のリズムにより近い、揺れて漂う感じがあり、聴きながら自然と身体がゆっくりと左右に振れていたりしました。上映会に参加していた他の方の中には、「仙骨からヴァイブレーションが伝わる音楽だった」と、繊細な身体感覚で感じられた方もいらっしゃったようでした。

託された一冊の本

今日の催しがひと通り終わって別れ際に、「この本をひろさんに託してもいい?」と、サヤカさんが一冊の本を手渡してくれました。

『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』(比嘉康雄(著)、集英社新書)

この本は、サヤカさんが『はじまりの島』を制作するにあたって参考資料として勉強したもので、ページを開いてみると至る所に黄色いマーカーペンでラインが引いてあり、熱心に学んだ様子がうかがえます。

古い身体の記憶として刻まれた阪神・淡路大震災。そして東京で体験した東日本大震災。この2つの震災の体験に突き動かされるようにしてたどり着いた久高島、そして生まれたこの『はじまりの島』という映画は、その後のサヤカさんの人生の様々な展開の"はじまり、原郷"となったのでした。

そして私にとってもまた、後藤サヤカさんとの出会いは、これまでとはまったく違う方へと人生が方向づけられていく"はじまり"となるものでした。

様々な宗教体系が編まれるようになる前の素朴で原初的な宗教性・精神性を携えた久高の人たちが自然に・ありのままに暮らす様子を、映画を通して何度も観るたびに、

「他の誰にもならなくていい、私は私のままただ居るだけでいい、この"只居性(ただいるせい)"を深めていけばいい」

…このことを何度も思い出させてくれます。

久高島に渡りたい人を、島は選ぶのだといいます。
久高に"呼ばれていない人"は、久高に行こうとしても飛行機が飛ばなかったり船が出なかったりで、なぜか久高に行けない…ということが起こるそうです。
「私は久高に呼ばれるのか、久高に渡る資格がある人間なのか?」とドキドキしながらも、いつか久高島を訪れる時が来るのを遠く望みながら、サヤカさんから託されたこの本をゆっくり読んでいこうと思います。

最後に、今日のこの催しを企画してくださった飯田容子さんに感謝申し上げます。容子さんは、名古屋にあるFMラジオ局「MID-FM(76.1MHz)」で「Yokoとらららトーク」という番組を持っていて、

次のトークゲストとしてサヤカさんが出演されるのだそうです。近々放送があるようなので、忘れずにチェックしておきます。
容子さん、ありがとうございました!

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