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ソースプリンシプル・マネーワーク提唱者が語る「お金の歴史」「お金とは何か?」などについて印象に残ったこと


はじめに

さる、3月11日にJUNKANだいこん主催(※1)でソースプリンシプル&マネーワーク提唱者ピーターカーニック(※2)の来日イベントが大阪で開催されました。

※1 JUNKANだいこん🥬

日々の暮らしでの「じゅんかん(循環/いのちの流れ)」を土壌として、 「オーガナイジング(Organizing)・経営」&「マネー&テクノロジー」について、実践探究をしている群れ。

日本から始まり、ブライトン、ヨーロッパへと種が飛び芽吹いており、人類共通の楽しみや喜びを満喫している。
ライフソース:吉原史郎(しろう)

主な探究テーマ
ピーター・カーニックの「ソースプリンシプル&マネーワーク」
JUNKANと親和性のある生物学(今西錦司 etc)
哲学(西田幾多郎、ヘラクレイトス etc)
生命科学(福岡伸一 etc)
考古学・人類学(『万物の黎明』 etc)

※2 ピーターカーニック

ソース・プリンシプル &マネーワークの提唱者・創始者

スイスのチューリッヒを活動拠点とする。「人とお金の関係」、そして、最近は「アイデンティティと起業家精神」に関する独創的な研究とワークショップでよく知られている。1980年代初頭からマネーについての現象学の研究を行い、プレゼンテーションや小グループでオリジナルな研究を実施。ジュネーブでMBAを取得した後、企業の管理職向けのトレーニング、リーダーシップ教育、戦略立案プロセスを支援するビジネスを展開。1987年、企業や非営利組織向けの財務と組織の独立コンサルタントとして活動を開始。1994年、自身の研究を土台に、最初の「マネーについてのワークショップ」を開始。1999年にMoney & Business Partnershipに関する新しい国際会議をスタート。2009年、500人を超える起業家、及び会社や団体の創設者を対象とした調査を行い、ソース・プリンシプルに関するアイデアの精緻化を開始した。 著書:『30 Lies About Money: liberating your life, liberating your money』(現在、邦訳中)

イベントページはこちら

今回はそこで話された内容の中で印象に残った内容の一部を紹介したいと思います。

セミナーの中で印象に残ったこと

ピーターのオススメするお金の歴史の捉え方

歴史の話を知っていく際に大切なことは、お金の歴史はストーリーであって真実でもなんでもない。誰かの視点からのストーリーを語っているのだと知ること。

そして、その上で「お金とは何か?」というストーリーは自分にもつくれるということ。

そのストーリーが自分がやろうとしている大切なことを助けてくれるものなのか、助けてくれないもなのかはしっかりみていく必要がある。

ピーターの発言の要約

ピーターは、マネーワークというツールを用いて、例えば本当は自身が持っているのに、お金に投影してしまい、無いことになっている力を自身のものとして取り戻す、言い換えればお金と人の関係をアップグレードする支援を行ってきました。

この投影する対象とは、本当はお金だけではなく、この文脈でいうと歴史も当てはまります。

例えば、歴史は絶対的・静的・固定的なものであり、私たちは否応なしにその影響を受け続けている、と捉えているとしたら、逆に私たちが歴史に影響を及ぼすことができる、といった力(本来であれば誰もが歴史の一部であり、これからの歴史をつくっている主人公でもあります)は無いことになり、自ら選択する力が発揮されないといった影響が出てきます。

これは私の解釈ですが、ピーターの「力は私たち一人一人が持っている」といったメッセージがここでも込められているように感じました。

お金を交換のツールだと思いすぎてしまうことの弊害

史郎さんが「お金は交換のツールだということを思い込みすぎてしまうと、自分にその力があることを明け渡してしまう」といったことを言われていました。そこで浮かんだのは、ツケです。これは自分の培ってきた信頼をお金の代わりとする行為と言えそうです。言い換えれば、何か特定のツールを必要とせずにお金を通じて得たい結果を得ることができます。本当は私たち1人1人にそういった力がある、ということ。

生きるためにはお金が必要不可欠、は嘘

こちらも同じく話を聴いて思ったことです。食べるためにお金が必要、お金がなければ生きていけないというのは、色々な生活状況の方がいらっしゃるので十把一絡げに言えませんが、最悪、米農家さんに手伝わせてください、少しくださいと言っていただけたら、手に入る、という意味では、生きるために必要な力はお金があってもなくても自分が持っていると言えます。しかし、このことを実感する機会が少ないため、このような思い込みを持ち続けてしまうのだと思います。

17世紀に発明されたとピーターが言っている、現行の産業・金融のもとになったシステムは、私たちに多大な豊かさをもたらしてくれた一方で、1人1人が本来持っている力をないことにし、「このシステムがあるからできる」という思い込みをつくりだしているという陰と陽、両方の側面があると言えますね。

いかにして先人は金や銀ではなく紙に価値があるという認識を広げることができたのか!?

今の私たちの金融・産業システムのもとになったシステムは17
世紀にできました。金や銀ではなく紙をお金として受け入れるというビックリする発明が行われたわけです。

<中略>

紙がそういうものに変わって使えるものだということに社会全体を説得し、運営することができた。今は紙すらもない。

このピーターの発言は、よく考えたらむちゃくちゃすごいことだと感じました。これは言い換えると、多少なりとも土中環境や自然農法的な取り組みを実践されている方からすると、落ち葉というものの価値は高いわけです。ただ、特に都会の方では落ち葉はゴミでありすぐに片付けるものと思う人の方が多いでしょう。ここで言われている17世紀当時に起こったこととは、「万円札よりも落ち葉の方がいい」「こっちを使っていこう」と多くの人に納得していってもらったようなものだと思うのです。

これはどうやって為されたのかというのがとても興味深い。強制的に「これは価値があるから、使いなさい。とにかく受け入れなさい。」となったのかもしれませんが(汗)

さいごに

今回のセミナーの中で、ピーターは、とあるお金の歴史について書かれた本の話をしました。その本は、反響は大きかったものの、人をネガティブな意味での現状にとどまらせる、ないしは人を勇気づけるといった2つの方向性でいうと、前者の効果につながる本だったと評価していました。

私はそれを聴いた時に、ミーティングにおける「正論だけども、それを聴いてこっちはどうすりゃいいの?(こっちは行動しようとしてるんだから、反論自体はいいので行動に繋がるように話して欲しいんだけど・・・)」という発言を思い出しました。

私としては、陰陽を洞察した上でなお人が軽く明るくなるような、より強くなるような、本来の力を集団で発揮できるような情報・ストーリーを発信していきたいと思いました。

そして、そういった潜在的な思いを持っていた私だからこそ、お金とは?お金の歴史といった哲学を進める上での先達としてピーターカーニックと出会えているのかなとも思ったりします。

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