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あなたは、子どもや部下など、「育てるべき」対象に

対して
「やればできる子」
「やればできるハズ」
と考えて接した経験はないでしょうか。
私はあります。

もれなく、部下育成、子育ての時です。

なんとなく
「無理だな、この子」
と思いながらも、
「いやいや、やればできるハズ」
と思ってしまい、的外れな習い事をさせてこともありました(涙)。

その要因と対処法を今回はお伝えします。

「やればできる」他者がいたから

ひとりではなく、比較対象物が
それも比較的近くにいるからです。
例えば、野球で活躍して欲しい

今では
「大谷翔平は〇〇をしていた」
「イチロー選手は、△△をしていた」
などを手本にして、だから、
「あ~しよう、こ~しよう」
と考える育成本も沢山でました。

しかし、すぐにそれを手放すことはできます。
なぜならば
「余りに遠い、存在だから」
比較対象として
「まあ、そこまでいかなくてもね~」と納得できるのです。

しかし、
「お隣の△君ができた!」
いえいえ
「お姉(兄)ちゃんは、できたから」
になると、厄介です。

「あの子はできる。でも、この子はできない」

と明確にが分かってしまう。

となると、
「やらないからだ」
 ↓
「やればできるハズ」

とちょっと無理な質と量の行動を促します。
でも、それで本当に「やれる子」になるのでしょうか?

判断軸の豊かさ


「やればできる」の 「やる」 こと。

その、やり続けること自体が「能力」=「才能」ではないかと思います。

「いや、できるはずよ!あなたも」
「うん、そうだね」
といいながら、相手がどんよりして活気がなくなるのは、本来もつ「才能」とは差異があるから。

なので、逆にいうと「期待する分野の才能」が「ない」と認めるのが、指導者や親の役割かも知れません。

それは、今、脚光をあびているスポーツではないかもしれない。
名の通った学校に入る学力ではないかもしれない。
その部署で、発揮すべき力ではないかもしれない。

指導者は「判断軸」を、豊かにもつことが大切です。
長い人生を生きる「人」として、
良い意味で自分とは違う「他者」として、

「どうやって、その人は能力を発揮するのだろうか」


を、ちょっと突き放して健全な好奇心をもって、観察しましょう。

「どうやったら、この人の能力を発揮させれるのか」
ではないですから(苦笑)

本当に才能があるものならば、黙っていても、
例え泣きながらでも
「また、やってみよう」
と「本人」が思えるはずです。

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