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春のような温かさがいつもある学校に… 「そこまでしなくてもいいんだよ」と言いたくなるのをがまんするよ 〜心の宝物164・165

🌷終わりが見えない落ち葉の掃除
コロナ機の学校
山に抱かれるようにあるこの学校には、秋の訪れと共に、風に誘われた落ち葉が、敷地内のありとあらゆる場所に吹き込み、積もります。

落ち葉のプール^ ^


大きな桐の葉が吹きだまるグラウンドの一角は、時期になると、まるで落ち葉のプールのようになります。お互いに落ち葉にうずめ合ったり、かけ合ったり。四季の営みを全身で感じながら成長できる環境にあることへの感謝と、私を落ち葉に埋めて大喜びする子どもたちと共にあることの幸福を実感します。

もちろん、いいことばかりではありません。元々開口部の多いつくりであることと、感染予防措置として、ドアや窓を極力開放していることとで、校舎内にも遠慮会釈なく、山の落ち葉が訪ねてきます。
まして、校舎周辺は言わずもがな。中でも、2年生の担当場所、彼女たちが取り組んでいる、職員室南側のテラスは、その向こうに山が連なる広大なグラウンドに向いている、正に最前線です。
週末きれいにしても、月曜の朝にはそれなりの状況に戻ってしまいます。風の強い日には掃きとるそばから積もることも決して珍しくはありませんでした。

🌷「そこまでしなくてもいいんだよ」と言いたくなるのをがまんするよ
そんなことなど全く意に介さないように、彼女たちは元気に生き生きと、掃除に取り組んでいました。

言葉少なで静かな彼女は、日頃の印象が意外に思えるほど力強く、散り敷いた落ち葉を集めていきます。どんな小さなひとかけらも見逃しません。落ち葉の量が多ければ多いほど、士気が高まるようです。芯の強さは、若い日に担任したお父様譲りです。そんな声をかけると、にっこり微笑む表情さえ似ています。

活発な彼女も、いつもにも増した勢いで、砂埃と、落ち葉と格闘しています。テラスにひざまずき、視線を低くして隅から隅まで、ほうきで取り切れないときには掌で集めてちりとりに入れて。休み時間に仲間と遊んでいるときと変わらない表情と快活さで取り組む姿から伝わる、無邪気な善良さは、見る者の心の深いところに届いて活力に変わります。

ある日には、二人で、グラウンド面から部屋に上がるための低い階段と、テラス面の隙間、最も引くところでは20センチにも満たないような隙間に、頭をねじ込むようにして奥にたまった落ち葉やごみを搔き出していました。

「きれいにしてくれてありがとう。でも、危ないからそこまでしなくてもいいです」
と言いたい言葉をぐっと飲みこみました。
彼女たちが、最善を求めて考え、工夫を凝らし、選択した行為に水を差すことになると思ったからです。

教えようとしなくていい。助言しようとしなくていい。子どもたちの活力や、無邪気な崇高さに圧倒されたなら、ただ立ち尽くし、感動に身を任せて、目を奪われていればいい。そうして、その子の行為で、いかに自分の心が揺れ動いたかを、偽りのない言葉で伝えればいい。
わからなくてもいい。ただ何となく、温かいものは届くはず。先生の仕事は、そういうことじゃないのか。それでいいんじゃないのか。

彼女たちを見つめながら、自問自答していました。

かけがえのないあなたへ
素敵なきらめきをありがとう
出会ってくれてありがとう
生まれてきてくれてありがとう
どうか、ありのままで
どうか、幸せで

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