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痣 第4話

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対決の記憶

 「おい! 本当なのか、小山内!?」

 岐阜県警。
 捜査一課に割り当てられた部屋で、綿貫が受話器を片手に大声を出す。

 刑事たちはほぼ出払っている。
 正面のデスクで腕を組んでいた亀田警部がチラリと顔を上げた。

 受話器の向こうは、警視庁捜査一課に所属する小山内である。
 綿貫とは学生時代からの友人でもあった。

 『ああ……。死んでる』

 普段から無愛想な小山内の声は、いつにも増して暗い。

 「畜生……!!
 だから深入りするなと言ったんだ!」

 電話を切ると、綿貫は力任せにデスクを叩いた。
 いつの間にか、傍に亀田警部が立っている。

 「間に合わなかったか……」

 綿貫があの日も現地に残っていたのは、何処か腑に落ちなかったからだ。
 遺体から少し離れた場所で発見されたスニーカー。
 あの違和感。気づかせてしまった。


 「俺が殺したようなもんだ」


 綿貫は苦しげに呻いて頭を抱えた。


 ◇

 「西見凛、34歳。フリーの記者か」

 ビジネスバッグの中に入っていた免許証や仕事道具に目を落とし、小山内は呟いた。
 東京・江東区のマンションの一室。鑑識班が行き来している。
 
 パソコンデスクの傍に椅子が不自然に倒れ、零れたコーヒーがラグに染みを作る現場。
 転がっている紙製のカップは、どこかの店の物か。その先には──。

 かなり藻搔いたのだろう。喉が掻きむしられ、手はあらぬ方向に伸び、最期の表情は苦悶に歪んでいる。
 パンツスーツを着用したままの遺体はこの部屋の住人、西見凛であった。

 鑑識からの報告はまだざっくりしたものだが、死因は青酸化合物、死亡推定時刻は昨夜遅くとみられた。

 福岡に住む西見凛の母親から、「娘が通話中に突然苦しそうな声を上げ、その後応答がない」との相談が入った時にはもう、手遅れだっただろう。

 調べはこれからだが自殺の可能性は低いと思われる。

 「小山内さん。ご家族が到着されました」

 コンビを組む後輩、林が呼んでいる。
 小山内は、暗澹とした気分で頷いた。


 

 「嫌な思いはさせられたけど、亡くなったとなると複雑だね」

 五百扇いおぎ雪彦が湿った声で言った。
 
 雪彦が帰京して数日。
 フリーの記者、西見凛の毒殺事件は既に公になっている。
 風岡つぐみは、返事をする代わりに俯いた。


 ──何故……。


 初めてこの報道に触れた時、つぐみは戦慄した。
 つぐみが凛に会ったのは、まさにあの夜だったからである。



 ◇

 「お弁当、食べ損ねたんです」

 西見凛は、そう言って赤身のステーキを注文した。
 夜のファミレスで、つぐみは凛と向き合って座っている。
 コンビニからの帰路、突然声をかけられたのだ。

 「いつまで付き纏うつもりですか」

 「偶然よ。ここ通り道なの。
 でも良かった。出直す手間が省けたわ」

 凛は軽い調子で言うと、ステーキを頬張った。
 この時間でも店内は賑わっている。
 背もたれが高いテーブル席が多く、騒音で会話に苦労することはない。

 ──この女、何を言いにきた?

 つぐみは、ゆっくりとホットティーを口に含んだ。

 「五百扇さんはまだ岐阜です。
 遺体の鑑定中。でも、すぐ分かると思いますよ」

 そう言って一旦言葉を切り、凛はステーキにナイフを入れた。

 「雪彦さんのDNAと照合すれば。
 何と言っても家族……一卵性双生児ですから」

 だから何だというのか。
 つぐみは、ステーキを口に運ぶ凛を盗み見た。

 凛が、ふいと顔を上げる。
 つぐみと目が合うと、口の端についたソースを指で拭った。

 「彼氏の話をしてるのに、あまり興味が無さそうね。
 前から思ってたの。あなた、雪彦さんを愛してないでしょう」

 つぐみが予想だにしない切り込み方だった。
 この女は雪彦を、事件を追っているのではなかったのか。
 つぐみは身構え、下からすくうような目つきで凛を窺った。


 「そう! その顔、その目よ! 直接確かめたかったの」


 高らかな声が浴びせられる。

 「あなた、顔”は”変えてないでしょ」 
 
 全身の血が沸騰し、鼓膜を破るかというほど激しく脈を打ち始めた。

 この女──。
 この短い期間で何を知ったというのか。
 
 対面の凛は、つぐみに視線を貼りつけたまま肉汁が滴る赤身を喰らう。
 
 つぐみは必死で頭を回転させようとする。
 しかし。

 焦りの中で可能なのは計算ではなく、憎悪を募らせることのみであった。
 感情の赴くままに傍らのグラスを掴めば、掌にジワリと水滴が広がっていく。

 「復讐? 五百扇雪彦への。それとも故郷とか、この社会に?
 だとしたら見当違いもいいとこ……」

 ビシャッと音がして凛が沈黙した。
 凛は、涼しい顔のまま水に濡れている。

 「これ以上付き纏うなら警察へ行くわ!」

 つぐみは、空のグラスを持つ手を震わせながら悲鳴のような声を上げた。
 少し離れたところで店員がオロオロしている。

 「どうぞ。慣れていますので」

 凛はかぶった水を拭うでもなく、つぐみをじっと見据えた。

 「慣れてるの。警察沙汰も裁判も。あのね、お嬢さん」

 言葉が切れる。
 凛は、水が入ってしまったステーキ皿の残りの肉にフォークを突き立てた。

 「ちょっと吠えられたくらいで引いてたら、この仕事はやっていけないのよ」

 静かに微笑みながら言葉を継いだ凛の目の奥に、底知れない執念が揺れている。
 つぐみは、もはやこの場で座位を保つのが精一杯であった。

 「最後の質問」

 しかし、凛はあっさりと席を立つ。
 テーブルの脇で「答えなくていいけど」と前置きし、伝票を掴んだ。

 「あなたの傍にいる五百扇雪彦さんは、靴の踵を踏む癖はありますか?」




 決まりだ。あの表情。
 風岡つぐみの、あの顔を見て確信した。
 これは凄い記事になる。

 西見凛は、夜風を切って歩いていた。
 さっき水を浴びせられて濡れたスーツの胸元は、もう乾き始めている。

 しかし、まだ分からないこともあった。
 当時18歳の少女に、五百扇泰造を撲殺するほどの力があっただろうか。
 そして、”もう一人”とどうやって示し合わせたのか。

 ただ、逃亡後の手続きを東京湾の魔女に頼んだのは間違いないと思われる。

 盗まれた1億円。半分に分けたとして5千万。
 手続きの相場が3千万なら、手元にはまだ2千万が残る──。

 いつも寄るコーヒーショップに入った。
 ブレンドを注文する。
 持ち帰って、ゆっくり飲むのが日課だった。

 混雑する受け取り専用のカウンター。
 そこで何者かによってカップがすり替えられたことに、店員も凛自身も気づいていなかった。
 

 「綿貫さんからだ……」

 自宅に着いて、数分前の着信に気づいた。
 現地で、きつい言葉をかけてしまったことを思い出す。
 折り返そうとしたところで、スマホが震えた。母親からだ。

 「ああ、お母さん? うん、元気」

 目元を少し緩め、凛はパソコンの電源を入れる。
 傍らに、あのコーヒーを置いた。

 「あのさ……お見合いの話、進めてくれる?」

 話しながらカップを持ち上げる。

 「そんなに驚かないでよ。
 今の仕事、キリがつきそうなの。もうすぐ……」

 そう言って、凛はコーヒーを口に含んだ──。



 ◇

 「つぐみ? どうした、真っ青だよ」

 雪彦に声をかけられて我に返る。
 つぐみは曖昧に笑い返した。
 しかし、その作り笑いはすぐに複雑な表情へと変化してしまう。


 ──真実を知る者は、もういない筈。


 つぐみにとっては願ってもない状況が、かえって恐怖を増幅させた。
 都合が良すぎるのだ。

 「送って行こうか? それより、ここで少し休んだら?」

 優しげに肩を抱いてくる雪彦を振り切るようにして、つぐみは部屋を出た。

 まさか雪彦の犯行では、と考える。
 凛には相当しつこく付き纏われていた。
 5年前の事件について、嗅ぎ回られては都合の悪いことがあったのではないか。

 しかし。つぐみは重たい気分でそれを否定する。
 あの日、雪彦はまだ岐阜にいた。

 他に誰がと考えて、つぐみは愕然とする。
 最重要容疑者は、他でもない自分ではないか。
 あのファミレスでの出来事は、多くの人々に目撃されているに違いない。


 ──雪彦の傍には、もういられない。


迷宮

 毒殺事件の捜査状況は芳しくなかった。

 西見凛を死に至らしめた青酸化合物は、零れたコーヒーと紙製のカップから検出されている。
 自宅マンションにほど近いコーヒーショップはすぐに判明し、まずは店内が徹底的に調査された。
 予想された結果だが、店内からは何も出ていない。

 店内を映す防犯カメラも調査された。
 これも西見凛の様子は確認されたが、混み合った店内で特に異常があるとは判断されなかった。

 コーヒーショップで購入したコーヒーに、どうやって毒物を混入させたのか。

 考えられるのは、予め用意していた毒物を自分で購入したコーヒーに混入し、西見凛の物とすり替えるという方法である。

 防犯カメラの映像では、受け取り専用のカウンター近くは混み合って見えなくなっていた。

 ただ、現実的なやり方とは言い難い。

 事前に同じ種類のコーヒーを用意するなど不可能に近い。
 西見凛の生活サイクルや嗜好を熟知していたとしても、少しタイミングがずれれば計画は破綻する。
 用意するのが早すぎればコーヒーは冷め、凛が手に取った時に不審に思われてしまうだろう。

 店内でなければ外はどうか。
 西見凛がコーヒーを購入後、帰宅途中に何者かが接触した可能性だ。

 しかし、例えばぶつかった振りをしたとしても、毒物を混入するのは至難の業であろう。この店のカップには蓋が付いているのだ。

 そんな不審な人物と接触した後に、彼女がコーヒーを口にするとは考えにくい。
 
 毒物の調査と並行して、西見凛のプライベートや仕事関係にも目が向けられた。
 相当の野心家だったようだ。

 フリーの記者であった彼女の記事は、巨大企業の特別背任事件から芸能ゴシップ、娯楽まで多岐にわたる。
 その仕事ぶりはかなり強引だったらしく、彼女を恨む人間は方々にいた。
 過去2回、訴えられている。
 しかし、それらの人々のアリバイは間もなく成立した。

 そして、西見凛が最も力を入れていたのが、5年前の『岐阜 資産家強盗殺人放火事件』である。



 警視庁捜査一課の小山内は、まんじりともせず和室の布団の上に起き上がった。
 久々に自宅へ戻ったものの、考えるのは事件のことばかりである。
 隣からは、妻の軽やかな寝息が聞こえてくる。

 西見凛が追っていたのは五百扇いおぎ雪彦。
 5年前の事件で、ただ一人生き残った人物である。

 この人物も、西見凛の執拗な取材攻勢に疲弊していた。
 岐阜県警の綿貫によれば、彼も一度は容疑をかけられていたという。

 証拠がなく容疑から外れたが、あの事件の犯人ホシはまだ挙がっていない。

 ──もし、五百扇雪彦が5年前の犯人ホシだとしたら。


 「あら。あなた、眠れないんですか?」

 出し抜けに声がした。
 ナイトキャップを被った妻が、横になったままで目を擦っている。
 猪首でずんぐりした小山内と対照的に、ヒョロリと背の高い妻だ。

 「ちょっと腰が痛かっただけだ。おまえはもう寝なさい」

 言い終わる前に、妻は既に鼾をかいている。
 小山内は苦笑すると、再び思考の海に潜った。



 五百扇雪彦なら、西見凛に恨みを抱いていてもよさそうである。
 彼には動機がある。

 しかし五百扇雪彦は、西見凛が毒殺された時刻には岐阜にいたことが証明されている。
 皮肉にも警察関係者によって。

 双子の弟とみられる遺体が山中で発見され、その日は岐阜県に滞在していたのである。
 岐阜県警で事情を聞かされたり、遺体発見現場に同行して花を手向けるなどしていたようだ。
 DNA鑑定によって、遺体は弟の五百扇影彦と証明されている。

 雪彦に犯行は不可能だ。
 これで、西見凛に恨みを持つと思われる人々のアリバイが全て成立したことになる。
 岐阜県警の綿貫は、電話口で悔しさを滲ませていた。

 1つ望みがあるとすれば、凛がコーヒーショップを訪れる前に来店したファミレスである。
 ここで、凛が若い女性と同席していたことは捜査済みであった。
 何らかのトラブルがあったらしく、凛の方が先に店を後にしている。

 しかし、不特定多数の人間が訪れるファミレスでは、店員もいちいち客の印象など覚えていない。
 捜査は、ここで行き止まっている状態であった。

 その若い女性客の身元を突き止めたとしても、結局は毒物の入手や混入方法の謎に立ち戻ってしまうのだ。

 西見凛の母親によれば、彼女は「間もなく仕事にキリがつく」と話していたという。決定的な手掛かりを得ていたとみて間違いないだろう。

 つまり、これを知られたくない者による口封じ──。
 
 小山内は、腕を組んで深いため息をつく。
 何としても迅速に犯人ホシを挙げなければならない。
 小山内にとっては胃の痛む日々が続く。


 しかし。
 毒殺事件は、これ以上の進展はなかった。


 彼らは今後、当初はイタズラだと思われた一通のメールに翻弄されることになる。


 事件後、西見凛の自宅は隈なく捜査された。
 無論、主に仕事で使用されたパソコンもである。
 仕事関係かと思われる未読のメールも数件あった。

 その内の一通の送信元を辿ろうとすると──。
 パソコンに何らかのウイルスが侵入し、全ての情報が消えた。
 
 しかし。
 警察を嘲笑うかのような、その短い文面が忘れられることはなかった。




 【我に迫る者へ、天罰を。


  ──東京湾の魔女】


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